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【Re:write】第35話 最初の調律と、心の水面

―絶望を、書き換えろ。


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前話:第34話 創世魔法と、世界の調律
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作業台の中央に、木のコップが一つ置かれている。粗い木目、縁の小さな傷、指でなぞると引っかかる浅い欠け、食器ではないと誰が見ても分かる置き方だった。

周囲に五つの影、呼吸が浅く、工房の空気が重く沈んでいる。油の匂い、乾いた汗の匂い、磨き粉の白い粉の匂い。

カイはコップの内側だけを見る。空っぽの底、そこに満ちるはずの位置。

アリアが竪琴を抱え、弦の上で指先を整える。爪が触れて、かそけき音が一つ、切れた弦の端がわずかに震える。

(大丈夫。カイさんが見ている)
(泉。光の反射。冷たい石。水の匂い)

和音。

空気が震え、光の粒が寄り、まとまりかけ、熱はないのに頬が乾く。だが揃わない、散る、コップの縁をかすめて外へ逃げる。粒が机の上に落ちそうで落ちず、睡眠不足みたいに目の奥がじりじりする。

ボゥッ。

光が収束したあと、コップは空のままだった。代わりに上空に睡蓮が浮き、花弁の先から光の粉が落ちる。粉は床に落ちる前に消え、匂いだけが一瞬、甘くなる。

沈黙。
ドレイクの顎が、一度だけ鳴った。
「……おい。水だろ」

ミミが手を叩く。乾いた音。
「きれい!」

エラーラが睡蓮を覗き込み、丸眼鏡に光が刺さる。袖でレンズを雑に拭き、薄い筋が残ったまま口を開く。
「ズレてる。あんたの言い方が、綺麗すぎた」
「アリアさんの『水』が景色とくっついてる。出てきたのは水じゃない。――そっちだ」

カイは一歩前へ出る。靴音が作業台を叩き、止まる。
「アリア。もう一度。条件を変える」
「泉は捨てろ。目の水は要らない」

自分の喉を指で押さえる。乾いた皮膚の下で息が擦れ、指先に小さな震えが返ってくる。
「渇きを思い出せ。舌が張りつく、唇が割れる」
「革袋のぬるい水。味だけでいい」

一拍。

アリアが息を呑み、竪琴を抱き直す。指先が弦の上で止まり、落ちる。
今度の和音は華やかではない。低い、地味で、重い、腹の底に沈む振動だけが残る。弦が空気を叩き、工房の梁が短く鳴り返す。
コップの中。空間が滲み、底から湧き出すように透明な液体が満ちていく。光らない、漂わない、重力に従い器を満たす。

匂いなし、色なし、形なし、ただ冷たさだけが先にある。
ただの、水。

「……成功だ」
カイの声は小さい。誰も叫ばない、息が戻るだけだった。

コップの水面に小さな波紋が広がり、やがて止まる。水面に工房の灯りが揺れて映り、覗き込む五人の顔が木目の縁で歪む。
遠くで鎚の音が一つ、遅れて地下の喧騒が薄く戻ってくる。壁の向こうの足音が二つ、そこで止まり、また遠のく。

コップは揺れない。
水だけが、そこに在った。

水面に映った灯りが、揺れたまま戻らなかった。


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