【Re:write】第44話 冒険者ギルドと、最初の値踏み
―絶望を、書き換えろ。
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王都の石畳は、朝の光を受けて薄く乾いていた。
馬車の轍に溜まった水が、ところどころで白く反射している。
焼きたてのパンの匂い。鍛冶場から流れてくる鉄の熱。通りの端では、露店の布屋がまだ眠たそうな手つきで品を並べていた。
その中を進む一行の隊列は、物理的にも社会的にも、かなり歪んでいた。
先頭を行くカイは、歩幅七十五センチ、ピッチ百十をほぼ正確に維持している。背筋は揺れない。視線は前方。目的地までの最短経路だけが、彼の足下に線として伸びている。
その数メートル後方で、エラーラが蛇行していた。
「あ! この苔の胞子嚢、対数螺旋を描いている!」
彼女は道端の石垣にへばりつき、通行人の足をぎりぎりで避けながら、目を輝かせている。
さらに後方では、ドレイクがミミを肩車したまま歩いていた。ミミが左右に揺れるたび、彼の重心も細かく補正される。巨体に似合わず、制御は精密だった。
「さっさと歩け! 俺たちは散歩に来たんじゃねえぞ!」
怒鳴り声だけが、無駄に通りへ響いた。
最後尾のアリアは、その光景を止めるでもなく、完全に諦めるでもなく見守っていた。足元ではミストが霧の猫になり、石畳の隙間をふわふわと渡っている。
カイが足を止めた。
「――非効率だ」
全員の動きが、半拍遅れて止まる。
「現在の平均移動速度は時速三・二キロ。最適解である時速四・五キロに対し、三割近い遅れが発生している。このままでは、ギルド到着時刻が昼食のピークタイムと重なり、待ち時間が十五分増加する」
カイは真顔だった。
「死活問題だ」
「いいじゃないか、たかが十五分!」
エラーラは石垣に張りついたまま反論した。
「見てくれ、カイ! この粘菌の自己組織化パターン! 王都の排水システムが生んだ新種の都市型スライムかもしれないぞ! サンプルを採取すれば、あるいは……!」
「腹が減ってるなら、そいつを食えばいいだろうが!」
ドレイクの即物的な声が飛ぶ。
「ええっ!? ドレイクさん、さすがに粘菌は……お腹を壊します!」
アリアが本気の顔で割って入った。
通行人が一人、振り返る。
ミミは肩の上で楽しそうに笑った。
カイは、粘菌の栄養価と戦闘力低下の相関を計算しかけた。すぐに破棄する。
(……理解不能だ)
目的地への最短経路は明確に存在している。にもかかわらず、エラーラは好奇心で逸脱し、ドレイクは食欲で返し、アリアは斜め上の安全管理を始める。
組織としての効率は最悪。
だが、視界の隅に映るミミの笑顔が、カイの思考の熱を少しだけ下げた。
(この三割の遅延がもたらす損失に対し、精神的安定という利益が見合っているのか)
計算式が成立しない。
(後回しだ)
やがて、年季の入った看板が見えた。
アストリア王国冒険者ギルド本部。
巨大な木の扉の表面には、無数の傷が走っている。
古い剣痕。荷物をぶつけた跡。酔った冒険者が蹴ったらしい凹み。そこだけ、街の空気が一段粗くなっていた。
カイは躊躇なく扉を押し開けた。
カラン、と乾いたベルが鳴る。
中は熱かった。
男たちの体臭。安酒のアルコール。油で拭かれた革鎧。鉄錆と、古い血の匂い。朝だというのに、酒場側のテーブルにはすでに数人が陣取り、低い声で依頼の取り分を揉めている。
一行が入った瞬間、いくつかの視線が刺さった。
酒場の隅。
歴戦の傭兵、鉄腕のダリオスは、エールジョッキを傾けたまま入口を見ていた。
「……おい、見ろよ。どこの貴族のお遊戯会だ?」
隣の斥候が下卑た笑いを漏らす。
黒髪の青年。白衣の変人。ドワーフ。少女と幼女。戦場には似つかわしくない。少なくとも、ギルドの連中が新人を見る時の物差しでは、あまりにも平和だった。
だが、ダリオスは笑わなかった。
彼の眼は、一行の中心に立つ青年の、温度のない瞳に止まっていた。
(違う。ありゃ貴族の坊ちゃんの目じゃねえ)
徹夜明けの歩哨が、交代要員は来ないと知らされた時の目。
いや、もっと悪い。
(あれは、休む場所を計算から外した奴の目だ)
その視線の中、カイは平然とエラーラに話しかけていた。周囲のざわめきは、ただの環境音として処理されている。
「エラーラ。活動資金の件だが、君の理論に基づき、鉛原子から陽子を二つ除去し、金に変換する核変換プロセスを試算した。エネルギーコストを考慮しても、利益率は悪くない」
エラーラの顔色が変わった。
「却下だ!!」
ギルド中に声が響いた。
喧騒が、ほんの一瞬だけ薄くなる。
「錬金術の根幹を揺るがす、冒涜的なアイデアだ! それに、そんなことをすれば市場への金供給量が過剰になり、王国の通貨価値が暴落する! ハイパーインフレを引き起こしてどうするんだい!」
彼女は両手を振り回した。
「私たちが欲しいのは、当面のランチ代だ。国家経済を崩壊させるのは、レギオンを倒した後でいい!」
ギルド内がざわめいた。
「おい、今、あいつら何て言った?」
「鉛を、金に……?」
「インフレって何だ。新しい魔法か?」
アリアが、顔を赤くして二人の間に入った。
「お、お二人とも、声が大きいです。『経済崩壊』とか、物騒な言葉をギルドの入口で言わないでください」
受付の女性は、笑顔のまま停止していた。
あの黒髪の青年の目は、冗談を言っているようには見えない。白衣の女性も、止めているのか賛同しているのか判別しづらい。
「フン。そもそも金なんぞ、俺の鎚を一本売れば……」
ドレイクがいつもの自慢話を始めようとした時、カイが小さな革袋をカウンターに置いた。
ゴトリ、と重い音がした。
中から転がり出たのは、水晶のように透き通った結晶体だった。朝の光を受け、内部に淡い青が走る。
「高純度の魔力触媒だ」
カイは、道端の石を説明するような声で言った。
「ただの石ころから不純物を分子レベルで分離し、再結晶化させた。市場価格の相場を知りたい」
受付嬢は、震える手で鑑定用の魔道具を取り出した。
結晶をかざす。
ピピピピピピピピピ――。
ボンッ。
魔道具の先端が弾け、小さな煙を上げた。
ギルド中の視線が、再びカウンターへ集まる。
「……測定不能……!? こ、こんなもの、どこで……」
「企業秘密だ」
カイは一枚の羊皮紙を差し出した。
「それより、登録手続きを。これが申請書だ。効率よく頼む」
受付嬢は、引きつった笑顔で羊皮紙に目を落とした。
「ええと……パーティー名、『リライターズ』……?」
一瞬、ギルドに生温かい空気が流れた。
「……なんだ、そのふざけた名前は」
ドレイクが、こめかみをぴくつかせてカイを睨む。
「俺は『鉄の鎚』とか、そういうのがいいって言っただろ!」
「『世界を書き換える者』。我々の使命を、最も簡潔に表した名だ」
カイは真顔だった。
「それに、『鉄の鎚』では検索性が悪い」
「検索性……?」
受付嬢は、そこで考えるのをやめた。
「ほ、本日より、皆様はFランクの冒険者となります。あちらの掲示板から、依頼をお選びください……」
一行は、巨大な依頼掲示板の前へ移動した。
板には、無数の紙が重なるように貼られている。
『ゴブリン退治』
『薬草採取』
『ドブさらい』
『倉庫の荷運び』
『隣村までの荷馬車護衛』
Fランク向けの仕事は、どれも地味で、安く、そして現実的だった。
「――さて」
カイの視線が掲示板を走る。
報酬。リスク。拘束時間。得られる情報。実戦データとしての価値。
紙の束が、彼の中で表に変換されていく。
「我々のリソースを最大効率で運用できる案件を選ぶ」
「でしたら、こちらはいかがでしょう?」
アリアが、『隣村までの荷馬車護衛』を指差した。
「これなら、ミミちゃんも安心ですし、お婆ちゃんのお荷物を運ぶなんて、人助けにもなります」
「却下だ。移動時間が長すぎる割に、得られるものが少ない。それに、お婆ちゃんの荷物に、世界の真理は入っていない」
アリアの指が、少しだけ紙から離れた。
「……入っていないとは限りません」
「確率が低い」
「低くても、ゼロではありません」
カイは一拍だけ沈黙した。
「保留ではなく、却下だ」
「そこは変わらないんですね」
「じゃあ、こっちはどうだい!?」
エラーラが横から一枚の依頼書を引き剥がした。
「古代遺跡の測量補助! 未知との遭遇だよ! 古代文明のロマンが私を呼んでいる!」
「却下だ。Fランクが立ち入れる区画に未知などない。あるのは、手垢のついた観光地だけだ」
「なんて夢のない男だ!」
「夢は評価項目に入っていない」
「入れなよ!」
「じゃあ、これだ!」
ドレイクが別の依頼書を指差した。
『オークの討伐』
「暴れるにゃあ、こいつが一番だ! 報酬も悪くねえ!」
「却下だ。脳筋は黙って見ていればいい」
「なんだと、この眼鏡!」
「眼鏡はかけていない」
「うるせえ! 雰囲気だ!」
三者三様の欲望が掲示板の前で衝突する。
ミミはドレイクの肩の上から、依頼書を珍しそうに眺めていた。ミストは足元で紙の端に鼻を近づけ、すぐに興味を失った。
その中で、カイの指が止まった。
誰も見向きもしない、黄ばんだ古びた依頼書。
端が少し破れ、文字も薄い。
「――これだ」
アリアが覗き込む。
『依頼:廃鉱山周辺の地質調査。
および、生息するゴブリンの斥候。
推奨ランク:E』
「……地質調査、ですって?」
彼女はきょとんとした。
「そんな、地味な……」
「全ての条件を満たしている」
カイは依頼書を掲示板から外した。
「まず、報酬。成功すれば、当面の活動資金は確保できる。次に、実戦データ。ゴブリンは統率の取れていない基礎的な敵性ユニットだ。ウンディーネの力試しには適している」
言葉が、少しだけ硬くなる。
「そして、最も重要なのが情報だ」
カイは、依頼書の文字を指でなぞった。
「この鉱山は、かつてドワーフが掘り当てた場所。ならば、王都の図書館にはない鉱物、特異な地質構造、採掘記録に残らない異常値が眠っている可能性がある。それは将来の『魔力鋼』開発に繋がる」
ドレイクの表情が変わった。
「……ドワーフの鉱山か」
エラーラも黙った。
面白みは薄い。
だが、意味はある。
アリアは依頼書を見て、それからカイを見た。
「ゴブリンがいるなら、近くの村にも被害が出ているかもしれません」
「その確認も含める」
カイは即答した。
「優先順位に入れる」
反論は、それ以上出なかった。
一行は、黄ばんだ依頼書を持ってカウンターへ戻った。受付嬢は、彼らが選んだ紙を見て、ほんの少しだけ意外そうな顔をした。
「この依頼で、よろしいですか? あまり人気はありませんが……」
「三点確認したい」
カイは依頼書を置いた。
「過去の達成率。冒険者の死亡・負傷記録。そして、なぜこの鉱山は『廃鉱山』になったのか。閉山の公式記録と、その地質学的根拠を開示してほしい」
受付嬢の笑顔が固まった。
「え、あ、あの……ゴブリンの数は……?」
「ゴブリンなどどうでもいい。俺が聞きたいのは、地層の褶曲の角度だ」
カウンターの周辺が、静かになった。
受付嬢は、完全に言葉を失っている。
その光景を、ダリオスは酒場の隅から見ていた。ジョッキをテーブルに置く。木と陶器が当たって、低い音がした。
(……間違いねえ。あの連中、ただの新人じゃねえ)
金でも、名声でも、派手な討伐でもない。
あの黒髪の青年は、依頼書の奥にあるものを見ている。
報酬の裏。
地図の空白。
誰も気にしない閉山理由。
(変人だ)
ダリオスは、口の端をわずかに歪めた。
(それも、とびきり厄介な方の)
受付嬢が、奥の資料棚へ向かう。
カイはカウンターの前で待つ。アリアは依頼書の端を押さえ、ドレイクは腕を組み、エラーラはすでに鉱山という単語の中に意識を飛ばしていた。
ギルドの扉が開き、外の光が細く差し込む。
床板に、四人と一人分の影が伸びた。
その影はまだ短い。
けれど、掲示板から外された一枚の依頼書が、カウンターの上にある。
王都の外れには、廃鉱山へ続く古い街道が伸びている。朝の荷馬車がその道を横切り、遠くの丘には、まだ薄い霧が残っていた。
ギルド本部の屋根の上で、風見鶏が小さく軋む。
王都はいつも通り動いている。
その一角で、誰も見向きもしなかった黄ばんだ紙だけが、静かに次の場所を指していた。
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