【3.11】適切に恐れることの難しさと共に生きていく。
こんにちは。RaMです。
本日は、ちょっと真面目に、しんみりと書いていきます。

毎年、Yahoo!JAPANさんとLINEさんで、やってくださっている『3.11』検索企画。
この記事を最後まで読まなくてもいいので、取り急ぎ、この検索だけでも、やっていってください。

※お願い※
本記事に、地震発生時の経験を書いた部分があります。
防災学習や、震災にかかわる内容を見るのがしんどいなと感じる方は、この先、無理にご覧にならないようにお願いいたします。

本日3月11日は、東日本大震災の起こった日です。
この先どう転んでも、14年前のあの日、大きな地震によって、当たり前だったはずの日常が、一変した…という事実は変わりません。
わたしは大学生で、ひとり暮らしをしていた時に震災にあいました。
長く大きい揺れによって、机の上や棚に置いていたものは全て床に散乱し、家の中はハチャメチャ。
遠くで鳴り響く何かしらのサイレン。
近くのマンションでは、火事発生。
もちろん、どこもかしこもパニック状態で、消防車だって、すぐに来るはずがありません。
揺れている感覚がすごくて、室内にいられなくて、慌てて家の外に出たものの、行く先なんてなくて、どうしていいかわからず、しばらくの間、さまよいました。
携帯は電池切れ。電源がついたとて、電波もない。電話を発信することは叶いませんでした。もちろん、実家にも連絡が取れません。
地元でも地震は起こっていましたが、幸いにもわたしの住むエリアほどの被害ではなく、報道により情報だけは入っていました。
わが子と連絡が取れない時間は、どれだけ心配だったことだろうと思います。
電気が回復した後でようやく見た映像は、自分の近くで起こったものと思えないほど、非日常でした。
この日失ったものは、とても大きかったです。
でも、それをしっかりと実感したのは、大学生活に戻ったときで、震災発生から2ヵ月ほど経った後のことでした。
◎
何度この日を迎えても、この日の記憶は消えないのです。
思い返せば、忘れたい出来事だって、なかったことにしたい事実だって、取り戻したい時間だってたくさん出てきますが、これは、自分を守るために必要な記憶なのだと思います。
実際に経験した者としては、見てきた世界とその過去を乗り越えてきた(=涙しながらも、燻りながらも、なんとか生活してきた)証があるから、映像を見ながらでも、震災を振り返り、ちゃんと非常時に活かすという意識を持とうとすることができます。
当時まだ生まれていなくて、実際には経験していない世代が、映像や経験談を聞きながら防災について学習する機会があることは、大事なことだと思う一方で、ちょっとつらいと感じる人もいるのではないかなと思うことがあります。
そして、当時の映像を見て、地震が来たときの対応をどんなに予習していたとしても、いざあの大きさの地震に見舞われたら、頭が真っ白になってパニックになることもあると思います。
経験を語り継いで、次の未来で生きていくために準備することは、もちろん必要です。
防災学習のために、その地域だからこその情報を伝えておくことも、必要なことだということは、理解しています。
経験した者として、気丈に伝えていくことはできるかもしれない。
でも、、、。
「とは言え、やっぱり不安だよね。心配だよね。」という気持ちをないことにしないことも、大切だと思うのです。
気持ちを吐き出したところで、恐怖心は消えないかもしれないけれど、自分だけじゃないんだと思えることは、少しだけ心を強くしてくれる気がするのです。
適度に恐れることは必要ですが、難しいことですよ ね…。
日常は、決して当たり前ではない。
わたしたちが住んでいるこの世界は、広くて、いろんな層があって、全てを計り知ることはできないほど多様です。
中には、絶妙なバランスで保てている日常だってあるはずです。
もしも判断に困ることがあったら、いのちを最優先にすること。
ここだけはブレずに、暮らしていきたいと思うのです。

今年も、あの時刻に、空を見上げて思いを捧げます。
生きていてくれて ありがとう
支えてくれて ありがとう
見守ってくれて ありがとう
2025.3.11
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