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「ない」が、「ある」に変化する時。

週明け、少し怒涛な日が続いていた。

心の余裕がなくなると、自分に対して否定的になったり、タスクの漏れや抜け落ちが極度に心配に思ったりすることが、格段に増える。

「今日こそは、あのタスクを終えたかったのに、また できなかった。」

「あれ。あの時使ったファイルは、ちゃんと戻してきたっけ?」

「退勤のタイムカードを押したか、自信ない~」

せっかく職場から出ても、そんなことで来た道を戻ることも、多々。
単なるおっちょこちょいなのかもしれないけれど、余裕のなさが、「心ここにあらず」状態を呼ぶ。


そんな日の前後には、睡眠が不安定になっていたり、頭痛や腹痛等の体調不良を認める頻度が高まっているもので、気持ちも穏やかではない。



ここまでくると、わたしの脳内では、「ない」という言葉ばかりが巡っている。

出来ていない。

あれも、これも、まだやれていない。

不安を感じない瞬間がなく、「君は、なんてダメなヤツなんだ」と、ネガティブを増強させる声が、大群として、わたしに近づいてくる。


そんな時期に来る休日は、寝だめをしたい気持ちも山々。

でも、そこで寝込まずに、ちょっとだけ動く勇気をもって、ノートとペンを準備して、その時の脳内にあることを、とりあえずなぐり書く。

ネガティブなものを出し切ると、その中でもやれたことも、脳内に浮かんできたりする。


書き出してみると、あれだけできていないと思っていたはずなのに、いかに様々なことをやっていたかを知れる。


びっしりと文字で埋め尽くされたページを見て、ようやく、わたしは

『ちゃんと頑張っていたんだね。お疲れさま。』

と、優しい声を掛けてあげることができるようになるのだ。


・・・


「できていない」「やれていない」と思っていても、実はいろいろなことが出来ている。

そもそも、息をして暮らしているだけで、最大のタスクは、クリアしているものなのだろう。


1つできれば、「次は、あれと、これと…!」と、自分に対して、期待と理想を描きたくなるけれど。


アリさんくらいの身丈になって、自分のことを見てみたら、実は、わたしが欲しいと思っている姿は、意外と近くにあるものだ、と気づく。


元々かなりの完璧主義なわたしだから、自分に求めることは、等身大のものではなく、高度なのだろう。

確かに、

  • 相手が求める100%の動きは、できていないかもしれない。

  • 私の考えや言動の配慮が、細部まで行き届かないこともあるかもしれない。


そんな自分に対して、やさぐれたくなる日もある。

それでも…

  • 毎日帰る家がある。

  • 夜ご飯を、一緒に食べる相手がいる。(←ひとりだと、めんどくさがって、夜ご飯を食べない選択を取りがち。)

  • 布団に入り、(ある程度の時間がかかったとしても)眠りにつくことができる。

  • 収入をいただいて、推し活の予定だって立てることが出来る。


何にもできていない日常」だと思っても、
実は、日常の暮らしを、淡々と送ることが出来ている。

今、この時を、「幸せ」以外に言い表す言葉はないのではないだろうか。


人は身近なことにはかえって気がつかないもの」という意味を持つ「灯台下暗し」ということわざがあるけれど、これまで生きてきた中で、身をもって実感することはなかった。

昔からある言葉って、よくできているものだなあ…と、失礼にもほどがあるくらいの温度感で感じた、とある休日の朝。


今の時点で既に、もう十二分にできているのだから。

あと少しだけ、自分にあたたかくなれたらいいな。


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