母へ思いを馳せて過ごす桃の節句
このあたりで、休憩☕いかがですか?
こんにちは。RaMです。
数あるnote記事の中から、こちらの記事を目に留めてご覧くださり、本当にありがとうございます😊
どうぞ、ゆっくりしていってくださいね♪

今日は、ゆるっと記事にしようかな、と思います。
何も学びは得られない記事です。笑
本日3月3日は、ひなまつりですね。
スーパーに買い物に行くと、ひなまつりと書かれたポップがそこら中にあって、商品もピンクの包装がされていたりすると、なんだか目を引かれます。
(ただのピンク好き)
わたしは、ふたり姉妹の姉として育ちました。
なので、おひなさまは、毎年ちゃんと自宅に飾られていました。
でも、母は大変そうでした。重いし、大きいし、手入れしないとだし。
今は、シンプルなお雛様とかもありますが、そういう飾る人形って、収納スペースを陣取ってしまっていた記憶があります。
幼少期に住んでいた団地の、少ない収納に入れられていたと思うと、それがなければ他にも収納できるのに…と思われていたかもしれません。
小さい頃は、あまり可愛いと思えなかったおひなさま。
年に1回会っていくうちに、だんだんと馴染みも情もわいてきましたが、正統派な人形のすまし顔を、ちょっと怖く感じたこともありました。
娘たちが家を出てからも、母の手によって、毎年おひなさまは飾られていました。
でも、ある年、「おひなさまたちを守っていたガラスが割れてしまった」と母から連絡が来ました。
わたしも妹も家を離れてしまったから、“この家のおひなさまとしての役目を果たしたよ”ということなのかな。
それでも、おひなさまたちの息は止まっていないんだと言わんばかりに、覆いのない状態で、そこから数年間は、実家に飾られていました。

このひな人形は、母にとって、どんな存在だったのだろう。
もしかすると、わたしよりもはるかに長い時間を母と共に過ごしたであろう、わが家のひな人形。
「お金がなかったから、うちは、2段しかないおひなさまなの。ごめんね。」
これは、わたしが少し大きくなってから、母に言われた言葉です。
確かに、大きくはなかったけれど、わたしにとっては確かに立派なおひなさまであることには、間違いありませんでした。
わたしは、3月に生まれたけれど、そもそも5月に生まれるはずだったから、おそらく購入されたのは、早くても1歳の誕生日を迎える頃と思われます。
流産した後に生まれたのがわたしでしたが、病気がちで何かと心配をかけてきました。
加えて、そもそも少し未熟児で早生まれ、周りより発達がのんびりさん気味だったわたしを育てるのは大変だったことと思います。
母は、
わたしを育てる大変さや心細さを、打ち明けていたのだろうか。
妹が思春期特有の難しさもあって、摂食障害のようになった時も、見守ってください…とお願いしていたのだろうか。
わたしの実家にあったおひなさまは、最後の最後までわが家に彩りを与えてくれた後、引退をされました。
30年近く、わが家のひな人形は、実家にいて、身守ってくれていたことは、違いないでしょう。
なのに…
そんなに長くいてくれていたのに…
自分のスマホのフォルダも遡って探してみたけれど、この期間で見つけられなかった。
だから、もう会いたくても会えないのです。
会えるとしたら、わたしの記憶の中にあるアルバムの中。1つだけ、はっきり覚えている写真があります。
たぶん妹が生まれる前。
わたしが、おひなさまも、両親のことも独り占めしていたであろう時期のもの。おひなさまの隣に、子ども用の小さい椅子に座ったわたしが、にっこりと笑っているわたし。
そのショットを収めてくれたのも、母だったのでしょう。
2025年のひなまつりは、ここまで育ててくれた母に思いを馳せながら、過ごすことにします。
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最後までお読みくださり、
ありがとうございました!
ここまでお読みいただいたあなたに、
幸せが訪れますように🍀
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