あえて『非効率』を選ぶ理由。
久しぶりに、高速バスに乗った。
大切な人に会いに行くため。
隣県なのであれば、自分の車で行けばよくない?
そう思われることがあるかもしれない。
でも、わたしは、あえて公共交通機関の利用を選ぶ。

この高速バスは、夫と遠距離恋愛中も使っていたし、夫と同居後は、友人と会うためにも使っていた。
いわば、数カ月おきに使うという、わたしとしては、プライベート上の御用達と言ったところだ。
以前は、もっと本数もあったし、複数のバス会社が便を出してくれていた。
片道づつで支払うよりも少し安く乗車できる往復で使える、回数券もあった。
今回乗るのは、約半年ぶり。
その間に、本数は減り、回数券の制度もなくなった。
その代わりと言ってよいのか、キャッシュレス決済が導入されていた。
初めて乗った時から比べると、片道運賃の値上げもされている。
ガソリン料金も変動しているし、当然といえばそうなのかもしれないけれど、ちょっぴり切なくなる。
こういうところで、時代は変わっていくものだし、自分も毎年一つずつ歳を重ねているということを実感する。
わたしは、同年代から見たら、何もしていないのかもしれない。結婚していても子どもはいないし、夫婦で好き勝手に夢の国へ行くし、「全国のスタバに行きたい!」とか、自由極まりない欲望をつぶやいては、旅行にも行く。
もちろん、焦りがないこともないけれど、焦っているばかりで、正味、数年前から何も変わっていない。人として、成長できているのか、甚だ疑問である。

わたしが高速バスに乗っている時間は、約1時間半。
その間何をしているかと言えば、スマホを操作していることが多い。
以前は、スマホでパスルゲームをして、さらに暇を持て余していたけれど、今は、noteという存在があって、自分と向き合う時間になっている。
運転しながらでも、脳内で自分と向き合うことはできるのかもしれないけれど、それでは、カタチとして残らない。
きっと数分後には、何をどう思っていたかなんて、現実で聞こえてくる物音にかき消されてしまうんだ。
わたしの心の声は、ちっぽけだから。
隣県への移動に限らず、わたしがひとりで行動する時は、徒歩や公共交通機関を使うことが、圧倒的に多い。
夫からは、「なんで車や自転車があるのに、歩いていくの?」と質問をされていた。その問いにうまく答えられずに、月日が経ってしまい、今ではさっぱり聞かれなくなってしまった。
「せっかく、電動自転車も買ってあげたのに、コイツは、なんなんだよ。」とでも思われているのかもしれない。
わたしがひとりで行動する時は、時間の効率を目的としていない。
例えば、わたしが休日の日に、買い物に行くとする。
ここでの主目的は、買い物ではない。
その時間を、いかに自分のためのものにするか?なのだ。
その買い物に行くまでの道中。
買い物終わりの家までの道のり。
この時間に、自分とじっくり対話しながら、景色を見ることが、好きだったりする。
思いついた時に、すぐにnoteにメモを取ったり、音声配信を聞くことができるのだって、移動手段を他人に任せていたり、ペースを自分の好きにできる余白を残しているから。
もちろん、効率を考えれば、圧倒的に悪い。
こんなわたしでさえ、時間がない時には、この方法を選ぶことが、全てにはならないものでもある。
ここで綴ってきたことは、あくまで、「わたしは、こう思う」という持論にすぎなくて、万人におすすめできる方法ではないことは、承知している。
でも、わたしは、この『非効率』を率先して選ぶ。
便利や効率といった現代で優先されうるものを取り除いた先の特権なのかもしれない。
あまり理解してもらうことができないであろう、わたしの話。
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