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爽やかな薫りが連れてくる夏 |【短編小説】

ラジオから、昨日から梅雨入りしたというニュースが流れてきた。

外は、じめっとしていて、今にも雨が降りそうな暗い色の雲が広がっている。

今日は、この店の看板猫、黒猫のみーちゃんも元気がない。
気温差は、黒猫にも影響するのか、散歩に行くのも気が進まないようだ。

常連さんは、すでに帰ってしまっており、店内には、私と黒猫しかいない時間がしばらく続いた後、黒猫は、裏口へと入っていってしまった。

こうなると、新規のお客さんが来ることは、限りなくゼロに近い。

ちょっと早く店を閉めようか。

そう思いながら、一服するために、店を出ようとしたところで、男性と目が合った。驚いたが、咄嗟に「いらっしゃいませ」と声をかけた。


扉の前に立つ男性は、40代くらいだろうか。どこか物憂げな様子で、ちょっと訳ありのように見える。

どのように話しかけようか…と、脳内で言葉を巡らせている間に、相手から話しかけられた。

『あの…こちらは、気が落ちた時に来ると、晴れやかになると噂のお店でしょうか?』

「なん・・・。それは、誰かから、お聞きしたのでしょうか?」

『えぇ。先ほど、前の通りのベンチに腰掛けていたら、男性から声を掛けられまして。朝から何も食べられていないと話しましたら、ここを案内されました。』

この店を案内したという男性に、心当たりがあるような気がしたが、今はその情報を確認することが最優先ではないことは、明らかである。

「立ち話もなんなので、まずは、どうぞお入りください。」

店内に誘導して、テーブル席へ腰かけるよう伝えた。水たまりを踏んでしまったのだろうか。男性のズボンのすそが、少し濡れていた。

水の入ったグラスとおしぼりを出しながら、メニューの説明をする。顔色が白く、栄養が足りていないように見える。こういう時は、今日のおすすめから選んでいただくことを提案することにしている。

いっぱいいっぱいになっている時ほど、多様な選択肢は処理できないものだ。


おすすめした、ランチセットの注文をしてくれた。

本日のランチは、野菜たっぷりのサンドイッチに、ミートグラタン。デザートには、日替わりのお楽しみと記載している。

この男性は、コーヒーよりも紅茶派とのことで、アイスティーを勧めて、料理を運ぶ前にお出しした。


「大変お待たせいたしました。本日のランチになります。サンドイッチは、ツナ、キャロットラペ、紫キャベツ、レタス、きゅうりを入れています。食欲ない時でも、食べたくなる仕掛けをしています。その仕掛けが何か、ぜひ探りながらお召し上がりください。こちらの器に入っているのは、ミートグラタンです。ミートソースは、フレッシュトマトを使って、たっぷり煮込んでいるので、トマトの酸味や青臭さは感じないかと思います。グラタンと言えばマカロニですが、今回は貝殻の形をしたパスタを使ってみました。夏と言えば、海かなと思って、ちょっと遊んでいます。後ほど、お口直しのデザートと、アイスティーをお持ちしますね。ごゆっくりどうぞ。」


食べているところを見られるほど、食べにくいことはないと思っているため、お客さんが食事を始めたら、キッチンに戻ることにしている。

食器を拭きながら、男性の様子を見ていると、何か思いつめたように、遠くを眺めていた。それでも、食は進んでいる様子で、わずかに安堵できる。

それにしても、じっくりと味わってくれているかのように、時間をかけて食べてくれている。

もう少しで、完食していただけそうだ。急いで、食後の口直しの準備をして、客席まで向かう。


「お楽しみいただけましたか?食後のデザートとドリンクをお持ちいたしました。今日のデザートは、ミルクプリンとオレンジケーキです。実は、ミルクプリンは、いろんな季節にお出ししているのですが、こちらは夏仕様でして、少し濃厚さを減らして、スッキリと食べていただけるようにしているのです。これからの季節にも、食べやすいかと思います。ところで、サンドイッチの仕掛け、お分かりになりましたか?」


男性は、話を振られるとは思わなかったのか、一瞬驚いた表情をされたが、すぐに問いへの返事をするために口を開いた。


『サンドイッチ。タンドリーチキンのような、スパイスの効いた味がしました。薫りって、食欲をそそりますよね。食べられないかも・・・と思っていても、本能で「食べたい」と語ってくるようでした。普段、こんなに時間をかけて食事をすることがないので、とても新鮮な気持ちでした。デザートは、自分の分を家族にあげることが多くて。嫌いという訳ではないのですが、あまり食べる機会がないのです。今日は、挑戦してみます。』


「ぜひ、ごゆっくり。」

その場から離れようとして、振り向いた途端、男性から声を掛けられた。


『あの・・・追加で、ホットコーヒーもいただくことはできますでしょうか?もちろん、お支払いをしますので。店内を眺めていたら、コーヒー豆のラベルや器具が見えて、なんだかそちらも飲みたくなりました。』


「もちろんです。今準備いたしますね。」

コーヒーに興味を持っていただけるのは、嬉しい。自然と口角が上がっていたと思う。


コーヒーを抽出している間に、デザートは食べ終わってしまっていた。

「デザートに間に合わなくてすみません。本日のコーヒーは、ブルーマウンテンをご用意しています。私が、とっておきのタイミングでお出しする一品です。」


『ありがとうございます。いただきます。』


『おいしいですね。この店に入った時から、香りや雰囲気が良い店だなと思っていて。食事を勧められたんですけれど、売りはコーヒーなんですね。』


「そう言っていただけて、うれしいです。少しは、気持ちが上向いてきましたでしょうか?」


『ええ。とても。普段はあまり意識しない食事の時間を堪能できると、こんなに満たされることがあるのか、と知りました。』


『先日、妻が誕生日だったので、家族で食事に行ったのです。自宅では、会話がないので、何か喜ぶことはないかなと思った時に、妻に手間をかけないで済む外食がいいかなと思ったのですよね。長男と長女は、もう思春期真っ只中で、自分とは食事に行ってくれないかな、と想像していたのですが、誘いに乗ってくれました。せっかくレストランで食事をしても、待ち時間は、各々スマホを取り出して見ていたり、食事に夢中になっていたり。やっぱり会話は、弾みませんでした。元々自分が話し下手なのが、一番いけないとはわかりつつ、これまでできなかったことが、この一瞬でできたら、何も苦労はしませんけどね。』


『何一つ不自由なく、生活できていることは、感謝しています。でも自分は、何をしてきたんだろうか、と思ったら、急に虚しくなりました。その時から、自宅の居づらさを自覚してしまったんですね。家族は、目の前にいるのに、どこかよその人のような感じがして。関係性が、うっすい色をしているかのようで。白い紙を空にかざしてみたら、遠い先の景色が絵画のように透けて見えるかのような薄さでした。』


『早くに親を亡くしたので、必死に生きてきて。目の前のことばかりに追われていて、足元の一番大切にしたいものが、後回しになってきたと思います。そこに気付いたら、なんだか自分の周囲だけが暗転して、自分の目の前にあった道が見えなくなってしまいました。時間は戻らない。何かやり直すことかきっかけがないか、と悶々としているだけで、何も身動き取れていない。家族には申し訳ないくらい、未熟者なんです。』


私にできることは、目の前の男性が話すことを受け止めることだけだ。話を折らないように、ただまっすぐに男性を見つめ、時折うなずいていた。


『先ほどいただいた、オレンジケーキ。昔、妻が作ってくれたことがあったものと似ている味がしました。最近は、子どもたちが大きくなったこともあってか、お菓子作りはしていないようなのですが、作っている妻の姿を見るのも、焼き上がるまでの薫りを楽しむ時間も、その後にみんなで食べる時間も、当たり前にあったようなものでしたが、あって当然のものではなかったですね。また、その時間を取りたいなあ・・・と、わがままにも思ってしまいました。今日、ケーキでも買って帰ろうかな。』

男性は、フフッと、笑みをこぼした。

男性の話のトーンが落ち着いたところで、私も口を開くことにした。

「私も、このお店をオープンしていても、まだお菓子作りはできません。ミルクプリンはお手製なのですけど、お得意さんの取引先のおいしくかわいいケーキ屋さんから取り寄せているのです。今日のオレンジケーキ、半分残っているので良ければ、差し上げますよ。ご家族と一緒に食べてくださいな。」


それと、と言って、次の言葉を付け加えた。

「お話聴いていて、あなたは決して動いていないわけではないと思いますよ。家族への思いを言葉にできて、かつ、何かできないかと考えて、動かれているじゃないですか。何不自由ない生活だって、家族の安泰には必要なことだとも思いますし。誰か一人でも欠けるようなら、その生活はすぐに崩れるのでしょうから、お互いが出来ることで、それぞれが家族の一員として、生活されてきたのだと思います。それって、会話がなくなったって、変わらないんじゃないですかね。でも、対人関係の中で、家族というものが、一番難しいような気がしています。これまで、必死にされてきたということは、しっかりと根を張れているのだと思うので、芽が出て花が咲くのは、これからかもしれません。」


『だといいんですけれどねぇ。』

『お言葉に甘えて、オレンジケーキもいただいて良いでしょうか?お支払いします。』


「承知いたしました。準備してきますね。コーヒーを飲みながら、お待ちください。」

本当は、すぐにでも渡すことが出来たのだが、せっかくなら家族時間の彩りとなれるように、ラッピングをしてお渡しすることにした。


「本日は、ご来店ありがとうございました。ステキなご家族時間となりますことを祈っています。」


『こちらこそ、ありがとうございました。おかげさまで、明るい気持ちで、帰宅できそうです。』


男性は、来た時とは全く異なる様子で、退店された。



男性が通りに出たのを確認して、店を閉め、裏口の方で向かった。
予想通り、黒猫は、そこでくつろいでいた。

黒猫に水を差し出しながら、ふと男性の言葉を思い返す。


関係性が薄いと感じる。そこに、自分がしてくることのできなかったことが繋がり、罪悪感となる。

客観的には、決して、そればかりではないのだと思う。1つの出来事だけでは語り切れないくらい、様々なことが複雑に絡み合った上で、その時の関係性となっていく。

それがあまり良くないと思われることだとしても、そうならざるを得ない状況だって、その世界では存在している。

目に見えないことを、適切に表現することは、とても難しい。


見えたら、楽なこともたくさんあるかもしれないけれど、はっきりと見えないからこそ、人生は、本当に奥深い。


人生というものは、人だけでなく、黒猫にだって同様に存在している。


「これからも、きっといろいろなことが起こるだろうねえ。みーちゃんも、そう思っているでしょう?」


返事が来ないとわかっていつつも語りかけてしまうのは、この黒猫がどこか人間味を感じさせるからなのかもしれない。


次のお客様を迎える準備をするために、黒猫の元から離れた。



明日から、どんな料理を出そうか。
気持ちが晴れる、爽やかなものを準備しよう。


この梅雨が明けたら、本格的に熱い夏がやってくるのだ。

爽やかな薫りが連れてくる夏
《了》



月1開店している🍀nanohanacafe🍀。

これまでの物語は、下記マガジンに収容しております。


noteの街に、こそっと生まれた不思議な喫茶店で起こるお話の集合体。ご入店の合言葉は、「#なんのはなしですか  」です。



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