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「田久保おろし」に見る伊東市の根幹にある課題の考察

久々の政治系記事でございます。思ったよりも大事になってしまったので、今回は田久保真紀伊東市長(以下田久保市長)の学歴詐称事件について市民なりの意見を述べていこうと考えております。前回の記事よりも主観が強いので、論文っぽくはありませんが、呼んでいただけたら幸いです。


時間がない人向けに本記事の要約をすると、以下の通り。

人の学歴なんてぶっちゃけどうでもいい。人の揚げ足取りが大好きな市議会の保守性によって、伊東市に新しい風が吹くことはなくなった。この一件によって地方政治の非流動性が助長されている。

本記事ではこれらについてペラペラ述べていくことになる。当記事は実直な一人の市民としての感想として述べていくので、ご注意いただきたい。


流石に証書の偽装はまずいぞ、田久保市長

かといって、完全に田久保市長の肩を持つというわけではない。証書の偽装によって一線は越えてしまったなというのは確かに感じている。

除籍なら除籍だと言えばよいのに。それで揚げ足取りをするのは市議会だけであって、市民はそう言われても調べるほど熱心ではない。それに、彼女の叩き出した新図書館反対の姿勢が市民に評価されたのだから、公職選挙法云々には絡んでいないと考えている(この辺は専門家任せにしよう)

認めようとそうでなかろうと、遅かれ早かれ「嘘つきめ!」と突かれて責められるのは一緒だ。結果論なのだろうけれど、田久保市長のムーブは完全に間違った選択の繰り返しだった。潔く認めてほしかったという落胆はある。

ただ、彼女の落ち度らしい落ち度はそこだけだ(まあ、それ自体が致命的でもあるのだが)。事を大きくした原因は他にあるのではないだろうか。


民意を無視した市議会政治

争点は図書館

前回の市長選は確かに田久保市長に票が集まった。まだ彼女は何かをなしてはおらず、市長としてまだ日も浅い。

逆に言えば、何かを始める前に政治の舞台から下ろしてしまおうということだ。

ちょっと、ちょっと!

じゃあ、市民の意見は何だったの? 市長選の意味って?

新しい風を吹き込んで切れると信じて投票した市長がこんな風に糾弾されてしまったら、市民の政治意識も地に落ちますって。自分たちの力では何もできないと打ちのめされて無気力にもなってしまうよ。

特に先の選挙で争点となったのは新図書館建設の有無。筆者は新図書館欲しいなあと考えていたが、どうやら田久保市長は高額な工事の部分を否定しているようで、廃校舎などを利用して図書館にするなどの案はあったそう。でも、表向きはただただ図書館を建てるくらいなら公園を作ります的なことを言っていたので、結局は多額の建設費に反対しているということの模様。だが、今回田久保市長が当選したのは、間違いなく「図書館は要らない」という民意によるものである。

もしもこのまま田久保市長が解任され(=市民の意識が否定されて)、図書館建設が強行されたとて、誰も嬉しくはないだろう。


このところの伊東市長の流れ

調べて分かったのは、伊東市長は結構変動が少なく割と息が長いという事。田久保市長で10代目である。

だいぶ長い期間市長を務めた佃前々市長(ちなみに伊東市の成人式が荒れまくって全国ニュースになったのはこの時期)。

で、この佃市政の続派閥として当選したのが小野市長であり、かれこれ20年間同じ方向性の市政が行われていた。ところが突然、その流れに逆らうような新市長が当選したので、市議会が困惑しているのではないか、というのが一小市民の実感である。

さて、ここで着目したいのが、田久保市長の以下の特性である。

  1. 女性

  2. 市外出身(よそ者)

  3. 革新派(現行の市政に一石投じようとする姿勢)

今までになかった属性持ちの市長が選ばれたことで、これまでとは違った市政になることが危ぶまれている。それを恐れた市議会が怪文書(事実ではあったのだが)を利用して、田久保下ろしの気風を高めているというわけだ。


伊東市の気質

よく静岡の県民性は温和で云々と言われているが、地域によって差がある。静岡の他地域の県民性(?)を知っている筆者の体感では、伊豆地域には以下の特性があると考えている。

  1. よそ者(が日常に紛れることへの)に対しての冷たさ

  2. 変化を恐れる体質

もちろんいいところはあるのだが、今回問題となるのは以上の二つの「よそ者によって変化を起こされること」。これが伊東市の本質だ(というより地方はどこもそうなのかも)。

その結果起こることは何か? そう。地域の非流動化である。凝り固まった市政はやがて停滞し、オワコンへの道を辿っていくことになる。だって現に少子化がすごい勢いで進んでいるのだもの。市が完全に破綻する前に新しい風を通してみることも大切だと思うんだけどな……。

ほら、よく言うじゃない。昔から地域を変えるのは若者・よそ者・バカ者だって。


市民としての体感

上記の動画で市民の声が上がっているが、実際は擁護の声も多い。叩きたのは分かるが、実際のところ「学歴騒ぎなんてどうでもいいから、やることやってくれ」というのが大方の市民の意見である。

田久保市長の諸々によって百条委員会が設立されそう(記事執筆当時)ということで、ここまで糾弾する必要が果たして本当にあるのだろうか。その時間と金のリソースを他に回すべきではないか?

確かに田久保市長はやっちゃいけないことをした。が、それをまるで殺人者のように(必要以上に)責め立てて悪い意味で祭り上げて何になるというのだろう。こんな非生産的なことをしている場合ではない。災害対策も何一つ進んでいない伊東市でこんな馬鹿騒動をする方が品位を問われるというものだ。

この一件によって伊東市議会が鬼の首を取ったかのようなムーブをしているが、当人たちは伊東市が貶されるということに(夏休みシーズンが近いのにこんな客足が減るような事件は伊東のイメージダウンになるだろう)何とも思っていないだろうか。

加えて、田久保市長が辞めたとなると、彼女が担っていた伊豆高原メガソーラー問題が悪化することも危ぶまれる。誰かこの問題の後任はいないのか。人口減少が進む伊東市の景観がメガソーラーの台頭によって悪化した時、おそらく市議会も市民もこの事件を悔やむことになるだろう。政界から追放したいのは分かるが、市議会の方々には彼女の功績もちゃんと評価していただきたいと願う。

追記)2025/8/15
コメント欄でご指摘あったので訂正します。あくまでもメガソーラーの条例は前市長時代に作られたものです。が、ここではその条例制定に至るまでの田久保さんの市民活動への積極的な取り組み(地元開催のメガソーラーを考える会の集会等)に対して「田久保さんといえばメガソーラー」というスタンスを取っています。ご了承ください。


マスメディアの功罪

この件に関して、マスメディアが面白おかしく叩いているフシがあるが、本質はだいぶ複雑である。市民としても初めて市政にNOを突き出した市長選でもあったので、センセーショナルな部分だけを切り抜いてまくしたてるのは止めていただきたい。みんなで一旦冷静になろう。

確かに市長の学生時代の素行はよくなかったが、筆者は彼女が2019年頃の外資系メガソーラー建設の反対に尽力していた頃から知っているので、のべつ幕なしに突き放したくはない。少なくとも、あの時の田久保氏は真面目に地域課題に取り組む熱心な女性でしかなかったのだから。私はあのときの姿を信じてみたいとも思うのだ。

それにしても、参院選が近いのにこんな事で馬鹿騒ぎしている場合じゃないのではないかとも思う。あれ、ひょっとして田久保市長はメディアの世論誘導に利用された……ってコト!?


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