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#254 開き直っていきましょう

あの人に笑われてしまうかもしれない。
あの人に嫌われてしまうかもしれない。

僕は時折、そんなネガティブ妄想に駆られてしまうことがある。
適応障害を患っていたときは、妄想の域を出て、強迫観念となり、自分の心を蝕んでいった。

実際に、人から笑われたこともあるし、嫌われたこともある。
もちろんそのときは心に傷を負ったが、人生が終わるほどの傷だったかというとそういうわけではない。
今もこうして元気に生きていることが、その証明である。

そう考えると、笑われることや嫌われることを、必要以上に恐れなくてもいいのかもしれない。
笑われてもいいや、嫌われてもいいや――!
そんな風に、わざとらしく開き直ることも人生には大切なのだろう。

小学校時代。
僕は体育の授業で、バスケの試合の審判をやらされていた。
元々体育の授業にもスポーツにも興味がない僕にとって、その時間はかなり苦痛だった。
だから僕は空想をした。当時の僕は漫画を描いており、どんな物語を描こうかを考えていたのだった。

そして、クラスメイトの一人がダブルドリブルをした瞬間を見逃したのだ。
「ねえ、今のダブルドリブルだったよね? なんで止めないの?」
クラスメイトからそう詰め寄られ、僕は正直に「ごめん、見てなかった」と返すと、彼らは僕に罵声を浴びせてきたのだった。
その罵声が、僕の心をめった刺しにしたのである。

それからしばらく、僕はクラスの中で「審判もろくにできない奴」という烙印を押され、周りのクラスメイト達が僕に冷たい態度を取るようになった。この経験によって、僕は失敗を極度に恐れるようになった。

失敗をしたら、あの人に嫌われるかもしれない。
失敗をしたら、皆からまた言葉のめった刺しを受けるかもしれない。

社会人になった今でも、この経験がフラッシュバックする瞬間はある。
もちろん今の職場で、自分が失敗しても糾弾するような人はいない。
だけど、生得的に人間は、他者の失敗に厳しいものだと、上記の経験によって刷り込まれてしまったのである。

しかし、あのとき僕を糾弾したクラスメイトは、今の僕の交友関係の中には存在しない。
そのときは彼らから嫌われることの影響は大きかったけれど、自分の人生という単位で見れば、そこで嫌われたことの影響はごくごく小さい。

人間は、一所に存在することはおそらくない。
いつかは小学校を卒業するし、中学校も、高校も、大学も卒業する。
社会人になり、会社に入り、その会社にずっといる可能性もあるけれど、周りの人がずっと一緒にいることだって決してない。

周囲の環境は、時間と共に絶対変わる。
ゆえに、一時嫌われたところで、その影響は近い将来必ず消失するものだ。

そう考えると、いちいち嫌われたり、笑われたりするのを恐れることってものすごく無駄なことなのではないかと思えるようになった。
だとしたら、もう開き直ってしまった方が勝ちではないだろうか。

もう嫌われてもいいや!
誰に笑われてもいいや!
どうぞ、僕のことをいくらでも嫌って下さい、笑って下さい。
それが世界のためになるなら、どうぞどうぞ嫌って下さい!

もちろん、こんな言葉を表立って言う必要はない。
だが自分だけに態度が厳しい人だとか、冷たい人だとかに遭遇したときはこれくらいの気概を、わざとでも持っておくことが大切な気がする。

僕は、他人を嫌うことに何の利得も感じない。
そして、自分を嫌ってくる人間を相手する必要も全くないと思う。
これもまた一種の開き直りであるが、嫌ってくる人間の相手をするくらいなら、信頼してくれる人との時間を、僕は作りたい。

世の中、何十億の人間が生きている。
その中には、相性の合う人と合わない人がいるのも当然だ。
自分のことを嫌っている人がいたとしても、自分のことを好いてくれる人だってこの世には絶対にいるはずだ。

だから、嫌われるのが怖いと思わなくても大丈夫。
むしろ誰かに嫌われる現象は、世界単位で見れば正常なのだと思う。
だから、思い切り開き直って生きていきましょう。
少なくとも僕は、ここまで読んでくれたあなたのことを嫌ったりしません。

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