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#256 何もないという幸せ

6月が終わる。
つまり、2025年も半年が過ぎようとしている、ということになる。
この時期になると、友人からも同僚からもこう聞かれることが多い。

「今年、なんかやった?」

元旦を迎えたとき、人は今年の抱負なるものを述べる。
今年こそはこれをやる! あれをやる!
今年こそは自分を成長させる! チャレンジする!
新しく始まる一年が飛躍の年になることを予感し、期待し、「いい1年になりますように」と願う。

6月の終わりというのは、その予感と期待を確認する時期なのだろう。
そして、「思ったより何もやってないぞ」という焦りがむくむくと生まれ始めるのである。

先日、職場の休憩室にてやはりその話題になった。
「もうそろそろ6月も終わりか、早いねぇ」
「今年も半分終わりですよ。今年、何かやりました?」
と、アルフォートをサクサクとかじりながら話す恒例行事が始まったのだ。

僕はこの会話の常套句として「特に何もないねぇ」と答えようと思った。
しかし、今年に関してはそれを言えば嘘になる。
noteで文章を書き続けた成果を得るという経験をしたからだ。

継続は力なり。この言葉を強く感じる事ができた。
これもひとえに、noteと皆様に読んでいただいているおかげ。
これをモチベーションに、今年はまだまだ書くことでチャレンジする予定で、水面下で準備を進めている。

僕にとって書いているかどうかは、よい時間かどうかに直結する。
そういう意味では、今年はいい方向に向かっているし、チャレンジしたり、得難い経験をしたりすることもまた、良い1年になる条件だと思う。

反面、同僚たちは「何もない」「何もやってない」と口にしていた。
そこに若干の焦りだとか、自虐のようなものが含まれていたように思う。
けれど、僕は何もないことだって良い1年の条件といえるのではないかと、ふと思ったのである。

だから僕は、同僚に尋ねてみた。
「じゃあ、今年、何か悪いことはあった?」と。
すると同僚は、「いや、それも特にないですね」と答えたのだ。
それって、ものすごく幸せなことではないだろうか。

そもそも何かに挑戦するとか、努力するとか、自分を変えるとかというのは、かなりのエネルギーを要するもの。
社会人だって学生だって、どんな人だって、今を生きるのに精いっぱいな人だってたくさんいる。
その中でさらにエネルギーを使うというのは、本当に難しいことなのだ。

僕だって今年こそ得たものはあるけれど、半年の時点で何も得られなかった年だって、過去にたくさんある。
むしろ半年間で何かを得られたときの方が、まれだったと回想する。

だから、特に何もなく、どうにかこうにか日常を過ごし続けて半年が経ったのであれば、それでいいのではないだろうか。
その中には苦しいことだったり、辛いことだったりもあっただろうけど、どんな状態でも呼吸をして半年を迎えられたのならそれでいいのではないか。

僕においても、上記以外のことは特に変化はない。
人間関係にだって特に変化はないし、仕事にもそこまでの変化はない。
健康についても特にない。そういえば今年は風邪を引いていない。

何もないことは、幸せなことなのだ。
いやむしろ、「とりあえず半年生きることができた」という時点で、どんな人だって皆、世界で一番大事なことを達成することができている。

だから、焦ることも、自己否定することもしなくても大丈夫。
2025年を半分生き抜くことができたと、自分を褒めてあげましょ。
そんなようなことを同僚に伝え、僕たちは残る下半期に期待を寄せるのであった。






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