見出し画像

#218 人生、何に恵まれたい

一度きりの人生、何かに恵まれるとしたら何を選ぶだろうか。

お金。
多くの人たちが恵まれたいと思うものだと思う。もちろん僕もその一人だ。

才能。
日々ものを書いていると、書く才能に恵まれたいと強く思う。

残念ながら全てを手に入れることはきっとできない。
だけど、もしどれか一つ選ぶとしたら、僕は迷わず「人」を選ぶ。

お金は恵まれるものではない

僕は20代の頃、100万以上の借金を抱えていた。
地方に就職したのだが適応障害で退職。実家にとんぼ返りするための資金を両親から借りたのだった。
この経験で、生きるためにはいかにお金がかかるかという現実を痛感した。

引越しをするのにもお金がかかる。
食べていくことにもお金がかかる。
温かい布団で寝るためにもお金がかかる。
お金、お金、お金、お金——。

当時の僕はとにかくお金に恵まれたいと強く思った。
同時に、「働いても働いても借金が減らない」というまるで貧窮問答歌のような日々を過ごしているうちに、お金を恨むようにもなっていった。

お金が自分を苦しめている。
こんな辛い人生を歩んでいるのは、全てお金のせいだ。
まさに稼ぐ能力のない自分への責任を転嫁していたのである。

だけど、お金というのは恵まれるものではないのかもしれない。
「恵まれる」というのは、「運よく与えられる」ことを意味するからだ。

今思えば、「お金に恵まれたい」と思えば思うほど、僕からお金は逃げて行っていたなと感じる。
何の努力もせず「欲しい!」の一点張りで、挙句「お金なんて嫌い」と一方的に恨む人間に、どんなお金が寄りつくというのだろう。

中にはお金に恵まれる人もいるかもしれない。
だけど、やはり本来お金は恵まれるものではなく、自分の努力や苦労と引き換えにいただくものなのだと思う。
そう思うようになってから、ほんの少しだけ懐が豊かになっている。

緊急事態に感じる人の温かさ

一方で出会いというのは運によるところが大きいと思う。
だから、人というのは恵まれるものなのかもしれない。

先日、母が突然救急車で運ばれる事態となった。
尋常ではないほどの動悸と一気に上が200に近づくほどの血圧上昇。
それによって立つこともままならなくなってしまったのである。
そのとき僕は友達と外出中で、気が動転した父からの留守番電話でその事態を知ったのだった。

朝は元気だったのにいったいなぜ。
物事を悪く考える癖のある僕は、最悪の事態まで想像をしてしまった。
事の詳細がわからず、冷静さが徐々に失われていく。
様子が変わった僕に気づいた友達たちに、事態をそのまま伝えた。

「とりあえずお父さんからの連絡を待とう」
「事態がわかるまで、俺たちも一緒にいるよ」
「きっと大丈夫だよ」

その言葉が、友達の表情が、僕は本当に嬉しかった。
もちろんそう声をかけるしかなかったのかもしれないけれど、それでも彼らの声からは本気で僕と母のことを心配してくれているのが伝わってきた。

もしそのとき僕が一人だったら、もっと心が苦しかったことだろう。
僕の不安を受け止め、寄り添ってくれたとき、僕は月並みだが「持つべきものは友達だ」と強く思った。
友達に、人に恵まれたことに強く強く感謝したのだった。

人に恵まれることが自分の幸せ

僕は、心から人に恵まれているなと感じる。
適応障害を患ったとき。
退職を余儀なくされてしまったとき。
人生のどん底に落ちてしまったとき。
どんなときでも、僕のそばには両親や友達がいてくれた。

そしてそのたびに、人に恵まれたことの幸福を噛み締めていた。

上記の緊急事態によって、僕としては初めて5日ほどnote更新はおろか開くことすらままならなくなってしまった。
久しぶりにnoteを開くと、記事にスキがついていたり、コメントがついていたりとここでもまた人の温かさに救われた気持ちになった。

だから僕は、もし恵まれるなら何がいいと尋ねられたとしたら、迷わず「人」を選ぶ。
一度きりの人生は、人に恵まれ、人に感謝するものでありたい。

いいなと思ったら応援しよう!

立竹落花 サポートをしていただけるととてもとても嬉しいです! 読書と勉強の糧にさせていただきます!

この記事が参加している募集