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#174 自分が生きている理由

自分ってなんのために生きてるんだろう。

メンタルが落ち込んでしまうと、そう思うことも多い。
仕事がうまくいかない。
疲れて、趣味にも没頭することができない。
ないない尽くしの日常を過ごしていると、自分という人間の存在理由がわからなくなるのである。

だけど、自分の存在理由、生きる理由。
これらを持って生まれてきている人ってごく一部なのではないだろうか。

生きる理由ってなんだろう

僕が一番自分の生きる理由を探していたのは、大学生のときだった。
勉強もしたくない。バイトもしたくない。
ただただ家で寝っ転がって、ゲームして、漫画読んで、ダラダラしたい。
だから家と大学の往復の毎日。恋愛事などとだって無縁の毎日。

だけど周りは勉強や部活にサークル、恋愛に全力で取り組んでいる。
そんな彼らと比べていると、どうしても自己否定してしまう。

自分ってなんのために生きているんだろう、と。

今振り返ってみると、自分の生きている理由を見つけるためにガムシャラになっていたと思う。
全力で学問に取り組んでみたり、地方に就職をしてみたり、人間関係を広げるために色々な場所に行ってみたり。
だけどうまくいかずに、やっぱり生きる理由に悩むことも多かった。

そんなガムシャラな毎日から約10年。
果たして今の僕の、生きる理由ってなんなのだろうか。
図書館司書をしながら、こうしてnoteや創作活動をする――。
という日常が、今では生きる理由といえばそうなのかもしれない。

自分ってなんのために生きてるんだろう。

多くの人が思ったことがあるのかもしれないこの問い。
現状、色々考えた結果——
自分が生きているうちにわかるものではないという結論に至った。

死ぬときに見つけられればそれでいいや

仮に今、僕の生きる理由が図書館司書と創作活動だとしたら、やっぱり生きる理由というのはとても流動的なものなのだと思う。
僕が20代の頃はそれが生きる理由ではなかった。
あるときは学問。あるときは娯楽。あるときは人間関係。
そのときそのときで、僕の生きる理由というのは違っていたのだ。

そして往々にして、何かに頑張っているときには、生きる理由なんてものを考えることはあまりない。
何かに必死だから、そんなことを考える暇もないからである。

何かを頑張った。
だけど何らかの理由で手放してしまった。
あるいは心が離れてしまった――。

そんなとき、自分ってなんのために生きてるんだろうと考えることが多い。
一貫した生きる理由を持つことは、とても難しいこと。
持っていればとても幸運なのだろう。

だけどこれを考えることで、一つの目標を持つことができた。
死際に立った時、「このために生きたな!」と思えるような人生でありたいと思ったのである。

つまり、生きている理由ではなく、生きた理由を持っていたい。
だから生きているうちに、生きている理由がわからなくてもいいや。

人生が終わるそのときに、自分の生きた理由を知っていたい。
そのために、僕は今日も文章を書くのである。


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