#41 何もかも捨ててしまいたい
人間関係リセット症候群という言葉を目にすることがある。
その名の通り、今までにできた人間関係を無にしたくなるというもの。
僕も時折、そういう衝動に駆られることがある。
人間関係だけではなく、もう何もかもを捨てたくなる衝動に。
突然やってくる黒歴史の波
急に過去の恥ずかしい記憶が頭の中を駆け巡るときがある。
あんなことを言ってしまった。
こんなことをやってしまった。
大勢の前で恥をかいてしまった。
自分が変人だと思われてしまった(かもしれない)。
僕の人生、振り返ってみてもかなり黒歴史が多い。
そんな黒歴史が、なぜか脳内にふっと蘇り、僕を悶絶させる。
そして、自己嫌悪に陥ってしまう。
自己嫌悪に陥ったときに、「捨てたい願望」が起こってしまうのである。
自分という存在も、
人間関係も、
今の生活も、
この黒歴史まみれの自分の人生全てを捨ててしまいたい。
自己嫌悪モードになると、そんな願望が心の中で嵐のように吹きすさび、それが去るまでの間はかなりしんどくなる。
人間関係など捨てるのは簡単
適応障害になったときも沸き起こったけれど、自分という存在はなかなか捨てられるものではない。それには相当な勇気が必要だ。
そして、こう思っている段階で、本当は自分という存在を捨てたくないのかもしれない。
だが、人間関係というのは比較的捨てるのは簡単だ。
今の世の中であれば、スマホやPCを捨ててしまえば、ほとんどの人間関係を捨てることができる。
noteをはじめSNS上で知り合った人も、それらをやめてしまえば、関係を完全に断ち切ることができる。
リアルの友達であっても、今ではLINEなどを通じて連絡を取り合うことが多いから、それをやめてしまえば音信不通となり、関係を断ち切るに近いところまでは簡単に行くことができる。
そう思うと、今ある人間関係というのは薄氷の上にあるようなものだなと僕はいつも思う。
ネットによって人間関係を作ること、繋がることは簡単になったけれど、その関係の結びつきは相当弱くなったように思う。
なぜ人間関係を捨てたくなるのだろう。
人間関係が面倒くさいから。それもあるだろう。
僕の場合は、いかなる黒歴史の中にも、必ず他人が関わっているからだ。
他人がいなければ恥ずかしいと思うことはない。
他人がいなければ自分を責めることもない。
だから人間関係を断ち切りたくなるし、黒歴史を思い出すたびに、「自分は他人と関わるのが苦手な人間だ」と自己暗示をしてしまう。
だけど、僕は、本当は他人と関わるのは大好きだ。
でなければ、このnoteで交流することが嬉しいなんて書くわけがない。
これはあくまで僕の場合であるが、
僕の黒歴史も、何もかも捨ててしまいたくなるときも、
自分が望んでいるように、承認欲求が満たされなかったときなのだ。
本当に捨てたいのは承認欲求
上の記事で、依存というのは他人に承認欲求を満たしてもらいたいという思いが強くなることなのだと書いた。
僕が依存体質なのも、承認欲求が強いからで、自分で自分を承認することができていないからだと自己分析した。
だから今、僕が本当に捨てたいのは人生でも人間関係でもない。
自身の強すぎる承認欲求である。
承認欲求が強いのは、僕がアダルトチルドレンだからなのだろうか。
その理由は、まだわかっていない。
けれど、今は「自分は人よりも承認欲求が強いのかもしれない」ということと「まだまだ自分を承認することができていない」という可能性に気づくことができただけでも十分かなと思ってはいる。
アドラー心理学が書かれてある『嫌われる勇気』には、「承認欲求を他人に求めてはいけない」と書いていた。
全くその通りかもしれない。
他人に承認を求めるから、生きづらくなってしまうのだ。
人生も人間関係も捨てる必要はない。
捨てるべきなのは、他人からの承認欲求だ。
それを捨てるために、そして自分を承認できるようになるために、僕は今日もこうして文章も書いているのである。
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