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うわっ…ベートーヴェンの指定テンポ、速すぎ…?⸺WBMPとは何か

WBMP を巡る現在地

ベートーヴェンの作品に付けられたメトロノーム指定 M.M. (Maelzels Metronom) は、現代の音楽家にとって「どう考えても速過ぎる」と感じられるものが少なくありません。指定通りに合わせると、構造や呼吸が感じ取れなくなり曲芸のような演奏になってしまう。そうした違和感を抱いた経験は専門家でなくともあるのではないでしょうか。

このテンポが速過ぎる問題を巡って、近年しばしば話題に上るのが、クラヴィコード/オルガン奏者 Wim Winters(ヴィム・ヴィンタース/ウィム・ウィンタース)氏が提唱する WBMP (Whole-Beat Metronome Practice) という考え方です。



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WBMP と速過ぎる正体

1. WBMP とは何か⸺読み方を問い直す仮説

WBMP とは、簡単に言えば、19 世紀初頭のメトロノームは「現代のように 1 クリックを 1 拍と数えていたのではなく、振り子の腕の往復全体を 1 拍と考えていた可能性がある」という仮説です。もしこの読み方を採るなら、たとえば「♩=120」という指定は、現代的には 120 BPM と読まれるところを、WBMP では 60 BPM (♩=60) に相当することになります。テンポは半分にまで落とされることになる訳です。

2. Wim Winters 氏の主張の骨格

Winters 氏の主張の中核は、この読み替えによって、ベートーヴェンをはじめ多くの作曲家に見られる「演奏不能にも思える速過ぎるテンポ」が、技術的にも音楽的にも自然な領域に戻るという点にあります。彼はメトロノームの読み方には、振り子の腕の片振り(1 クリック)を 1 拍と読む SBMP (Single-Beat Metronome Practice) と、振り子の腕の往復全体を 1 拍と読む WBMP (Whole-Beat Metronome Practice) の 2 通りしか論理的な選択肢がなく、前者を採用すると膨大な数の作品が人体や楽器の限界を超える速度になってしまう以上、残る可能性は後者しかないと述べています。

Wim Winters
Image: by Wim Winters
Licensed under CC BY-SA 4.0
Modified (resized)
https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/

3. 「メトロノームが壊れていた説」への異議

また Winters 氏は、「ベートーヴェンのメトロノームが壊れていた」「重りの目盛りを誤読した」「耳が聞こえなかったためテンポ感を誤った」といった従来しばしば提示されてきた説明を基本的に否定しています。その理由として彼が挙げるのは、同時代の証言の中に「ベートーヴェンのテンポは異常だった」という記述が見当たらないこと、更に速過ぎる指定がベートーヴェン一人に限らず、19 世紀前半の作曲家たちに広く分布しているという事実です。もしそれが単なる個体不良や操作ミスであるなら、なぜこれ程多くの例が体系的に現れるのか説明がつかないという訳です。

彼は、SBMP で読む場合、1 秒間に 13〜20 音以上を要求されるパッセージ、 歌手や管楽器が物理的に呼吸不能になる速度、初期ピアノのシングルエスケープメントアクションという機構では処理不可能な同音連打といったものが 1 曲や 2 曲ではなく数多く存在することを、WBMP 最大の根拠としています。人間には困難なテンポがこれ程多く集中するのは読み方自体が違っている以外に説明できないという訳です。

4. 19 世紀文献の再解釈という試み

さらに Winters 氏は、MaelzelメルツエルEdwardエドワード HolmesホームズCzernyチエルニー などの 19 世紀の文献に見られる「1 分間にどれだけはじいたかを数える」といった記述を、
  クリック数=拍数
ではなく、
  振り子の周期=拍の単位
で考える根拠として再解釈しています。ただし、作曲家自身が「往復=1 拍」と明言した一次史料が存在するわけではなく、こうした文献解釈はあくまで間接的な裏付けにとどまっています。

5. 実測データが示すアンティーク・メトロノームの現実

一方で、近年行われているアンティーク・メトロノームの修復や実測研究から見えてきた現実は、やや異なる姿も示しています。保存状態の良い個体では誤差はおおむね ±1~3% 程度に収まることが多く、劣化や潤滑不良のある個体でも ±5~10% 程度のズレにとどまるという報告が主流です。+10% のズレなら、メトロノームの目盛り位置が 100 BPM であれば実際には約 110 BPM で動作するということです。この程度のズレは、確かに音楽的には明確に体感できる差です。

もし、10% 遅く動作するメトロノームの基準でテンポ値を記された曲を、正しいメトロノームの基準で演奏したとすると、「速い」と感じさせるには十分なテンポ感になりますが、テンポが倍になるほどの極端な変化とは明らかに次元が異なります。

6. 個体差の問題

19 世紀初頭は、メトロノームを出荷時に職人が調整し、使用者が時計と突き合わせて 1 分間の回数を数えるといった確認は行われていたものの、長期的に数値の正確さが保証される仕組みはありませんでした。そのため、当時の現場では比較的正確な個体、やや速い個体、やや遅い個体が混在した状態でメトロノームが使われていた可能性は十分に考えられます。

この点は、壊れていたという極端な話でなくても、少しずれたまま使われ続けた可能性が十分あることを意味します。

7. WBMP の説明力とその限界

ここまでを整理すると、WBMP の位置付けは次のようになります。

WBMP が説明力を持つ点

  • M.M.指定が体系的に速過ぎること

  • 演奏不能に見える数値が集中すること

  • メトロノームの読み方自体を再検討する視点を提示したこと

WBMP が仮説に留まる点

  • 作曲家自身が〈往復=1 拍〉と明言した史料は存在しない

  • 実測されたメトロノーム誤差は ±10% 程度まで

  • 物理的に倍にずれる決定的な実証は現時点でない

つまり、WBMP は、すべてを説明する決定解でも、荒唐無稽な空論でもなく、速過ぎる問題を考えるための一つの強力な仮説という位置にあります。WBMP は、メトロノームの読み方そのものに疑問を向けるという意味で、非常に刺激的で想像力を喚起する視点を与えてくれますが、実測データや文献史料との間には、なお慎重な検討の余地が残されています。


おわりに

結局のところ、この問題は、WBMP が正しいか間違っているかという単純な二択に回収できるものではなく、機械の精度、演奏者の身体的限界、当時の演奏慣習、そして記譜と実演のあいだに生じるズレといった複数の要素が重なり合った場所に存在しているように思われます。WBMP は、その複雑な重なりを考えるための一つの有力な仮説であり、最終結論そのものというよりは、私たちの聴き方や考え方を揺さぶるための思考実験として受け取るのが、今のところ最も穏健な付き合い方なのかなと思います。

参考リンク

🔹Wim Winters 氏の YouTube チャンネル: AuthenticSound
🔹
Wim Winters 氏の Instagram




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