【映画評】『マインクラフト/ザ・ムービー』の特徴は『J・ブラック/ザ・ムービー』やないかい
A Minecraft Movie
アメリカ / フィンランド,2025
監督:ジャレッド・ヘス
公式サイト
https://wwws.warnerbros.co.jp/minecraft-movie/
いきなり身も蓋もないことを言うようだけれど、これは『マインクラフト』の映画化…ではない。たぶん。
当然ゲームに登場するキャラクターやアイテムや細かいイースターエッグ…といった《要素》はたくさん登場するし、それらの造形は決して悪くないものだ。予告編発表時から賛否はあれど、ここまでデジタル前提の世界観を、あえてCGまみれではなくアナログなモノづくりにこだわってみせた姿勢には素直に頭が下がる。
しかしそれらの要素はどれもがただ「羅列」されているだけで、ストーリーと何ら有機的な関係を持つことがない。そして、それは「様々な素材を集めて組み合わせることで創造&想像力を探求する」という『マイクラ』のシンプルな基本であり本質を表現していないといえるんじゃあないだろうか。クラフト失敗、作業台が泣いている。
そのような「羅列」こそがショート動画世代向けの表現なんだ、とか、これはあくまでも子供向けファミリームービーなんだ、という論もあるだろう。でも、たとえショートの連続であろうと劇場で100分座って観続けるには何かしらの横串がないとひどく退屈になると思うし(実際尻上がりに退屈になっていった)、子供向けと子供だましは違うとも思う。
そもそも『マイクラ』は少なくとも一般的な映画にするのが難しい…というかはっきり「向かない」ゲームだ。
わたしはそこまでヘビープレイヤーではなくエンダードラゴンも倒せていないヘタレだけれど、この世界がどちらかといえば(アンビエントな音楽にも表れているように)静的・内的な空間であることは分かる。ひたすら掘っては作り・作っては壊される世界はいわば賽の河原のごとし、瞑想的とさえいえる悠久の時間が流れて行く。
だからこそ、映画はどちらかといえばRPG色の濃いスピンオフ作品『マインクラフト レジェンズ』を下敷きにしたのだろう。地獄のような裏世界「ネザー」から侵攻してくるピグリンからオーバーワールドを守る。目的が明確でアドベンチャーに寄せやすいこちらのコンセプトに全振りしたのは大いに理解できる。
ただ、それにしたってやはり《要素》はバラバラなままなのだ。付け加えるなら、その《要素》ひとつひとつにはちゃんと輝きの可能性があることがなおのこと惜しい。
アドベンチャーに乗り出すキャラクターたちには、序盤でそれぞれのもつ課題が示される。
発明の天才ヘンリー少年(セバスチャン・ハンセン)は陰キャ扱いされ転校デビューに失敗、そのお姉ちゃんナタリー(エマ・マイヤーズ)(かわいい)は亡き母親代わりに弟を守ろうと頑張るもすれ違う。元超人気ゲーマーのギャレット(ジェイソン・モモア)は中年になったいまオワコン扱いされ経済的に困窮する日々…といった具合。(※1)
彼らの課題自体はどれもが青春/家族映画の王道といった感じがするし、特に「夢を失ったオトナ」枠のギャレットの存在は物語のエモさを司る最重要エンジンであり、大人がこの映画を観るフックにもなり得ただろう。
それに、彼らが飛び込む『マイクラ』世界=オーバーワールドは彼らのうまくいかない現実世界からの一時逃避先としてうってつけであり、劇中で何度も強調されるように「クリエイティブであること」こそが現実と夢(オーバーワールド)を繋ぐ、というテーマもわかりやすい。
ところが残念なことに…彼らの課題は、どれもが意味のある解決を見せず、最後までケミストリーは起こらないのだ。
正確に言うなら、「表面上」の解決はする。なんとなくみんながイイ感じになってすべては丸く収まり、大団円…っぽくなる。でも、それはまるでゴールから迷路を解いたようなただ用意された《結果》でしかなく、《過程》の積み上げが感じられないものだった。みんな基本的に(ギャレットすら)「イイ子たち」なので、勝手に気付いて勝手にぬるっと解決しちゃう。
では、一体どうするのか。ゲームファンたち向けの《要素》見せの合間合間は何で時間を持たせれば良いというのか。
そう、ここで我らがスティーブ(ジャック・ブラック)御大の登場である。スマブラじゃあずいぶん世話になったなオイ。
この映画はスティーブの自分語り(かつ設定の説明)から始まり、スティーブの行動や選択で話が動き、スティーブの自己実現によって締められる。実質的な主人公は彼といえるだろう。
そして上述したように他のメンバーたちの稼働がほぼ死んでいるので、映画の推進力の大部分が彼の双肩にかかりきっていると言って過言ではない。スティーブ…というかジャック・ブラックのコメディ力ありきのジャック・ブラック(吹替え版では山ちゃん)劇場。つまり今作、正しくは『ジャック・ブラック/ザ・ムービー』だったのである。
ジャレッド・ヘス監督は2006年にやはりジャック・ブラック主演で『ナチョ・リブレ 覆面の神様』という映画を撮っているのだけれど、いま観るとコレほとんど同じ映画だ。
修道院育ちのジャック・ブラックが、孤児たちのために幼い頃からの憧れでもあった覆面プロレスラーになって金を稼ごうとする物語。
このルチャ・リブレ(プロレス界)とオーバーワールドは、主人公の夢を実現する現実からの逃避先として同じ機能をもつ存在であり、最終的にそこでの経験を経て現実に立ち戻る勇気を得る構造も共通といえる。全編に渡りジャック・ブラックの七転八倒ギャグで持たせるやり口も同じだ。歌まで飛び出しちゃうのも同じ。(↓)
ジャレッド・ヘス監督とジャック・ブラックの間には『ナチョ・リブレ』の頃に築いた確固たる関係性があったことだろう。今まで主に狭い範囲のコメディ畑だったジャレッド・ヘス監督に任された一大ビッグIP『マインクラフト』、きっと悩みも少なくはなかったと思うのだけれど、そこに颯爽と現れた覆面ヒーロー…がジャック・ブラックだったのかもしれない、なんてことを思わせられる活躍(あるいは過労)ぶりであった。
しかし、『ナチョ・リブレ』でもやはりストーリーの積み上げ、ラストに至る納得感の醸成なんかはあまりウマくないと感じたところ。元から、お得意ではない(あるいは興味がそこにない?)のかもしれない。
さて、海外では劇場で乱痴気大騒ぎをカマすのがブームになったほどのこの映画。
結果、アメリカの一部地域では「保護者同伴じゃないとダメ」という戒厳令が敷かれたりして、思わぬ形で強制ファミリームービーとなったりもした。
しかしぶっちゃけ、この内容でここまで騒いで盛り上がれるってのは…海外キッズたちはクリエイティブが過ぎるってばよ。(いや、映画館内はサバイバルだったのだろうか)
同じく大人気ゲームの映画化、そして大ヒット…として記憶に新しいのは何と言っても『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』だろう。また、同じように子供向け、要素の羅列じゃん、という批判もあった作品でもある。
わたしも『マリオ』に全面的にノレた層ではなかった。ただそれでも、『マリオ』というゲームの本質、つまり「どれだけ失敗しても諦めない」を映画のストーリーに還元していたことは受け取ることが出来た。これが今回の『マイクラ』との最も大きな違いだったんじゃないかと考えている。
今作はその巨大なIP力によって大ヒットをし、それ自体は良いことだと思う。まだまだ今回出しきれていない要素もあるし、自然な流れとして続編の話は出てくるんじゃあないだろうか。
そのときは是非、『マイクラ』のスキンをかぶった『ジュマンジ』もどき、あるいは一人のキャラに頼った作品…じゃあなく、ピュアな『マインクラフト/ザ・ムービー』を観てみたいと思う。そのときまでに、エンダードラゴンくらいは倒しておくぜ。
※1:実際にはパーティにはもう一人、ヘンリーたちの保護者的存在ドーン(ダニエル・ブルックス)がいるのだけれど、彼女にはマジのガチで役割がない。ここまでの清々しい虚無さは稀であり、本気でDEIのチェックリスト埋め要員でしかなかったんじゃ、と邪推してしまうところ。
