【映画評】『サンダーボルツ*』は声と涙をめがけやってきたんだよ
Thunderbolts* (…からの…?)
アメリカ,2025
監督:ジェイク・シュライアー
公式サイト
https://marvel.disney.co.jp/movie/thunderbolts
《ヒーロー》の定義、言い換えれば「求められること」…って何だろう?
強くあること。
正しくあること。
そんなかつてのピュアでシンプルな大前提は時代を経て変化・複雑化し、神話的存在感だけではなく時には一般の人々と同じように思い悩むような「身近さ」、人間的なバックグラウンドが求められるようになった。
それを掘り下げてきたのがWTCの折られたゼロ年代以降におけるアメコミヒーロー映画であり、MCU(MARVEL)はまさにこの点によって成功したのだと思う。
その探求の過程において、いわゆるスーパーヒーロー像からは程遠い問題だらけのはみ出し者・ならず者たちが半ば受動的に寄せ集めのチームになって、当初はいがみ合いながらも徐々に絆を深め、いつしかその行動をもってヒーローとしての自覚に目覚めていく…
そんな構造で感情を揺さぶる傑作たちが生まれたりもした。
MCUのみんな大好き『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』シリーズであり、DCの『ザ・スーサイド・スクワッド』(スピンオフドラマ『ピースメイカー』も入れよう)だ。
今作『サンダーボルツ*』もまたその系譜に乗る一本であることは間違いなく、公開前には(そのアウトローなメンツも手伝って)「MCU版『スースク』みたいな感じ?」とよくコメントされていたように思う。
そして蓋を開けてみれば…上記のような期待に応えつつもさらに「一歩先」へと進む、つまり求められるヒーロー像を更新し表現してみせる懐に驚かされることになった。
それをひとことで言うなら、「共感すること」だ。
この「共感」は上述した『ガーディアンズ』や『スースク』にも重要な要素だけれど、中心になるのはあくまでもチームの主人公たちの成長であり、彼らの間に築かれる関係性だったと思う。「観る者から→キャラに共感する」というベクトルだ。
一方『サンダーボルツ*』は、主人公たちが任務の途中で出会う謎の青年ボブ(L・プルマン)との関係を通して、各々が抱える人生の課題を解決していくのと同時に、最終的には共感によってボブを救おうとするのだ。
このボブが抱える《孤独》は多くの人々が理解できる普遍的な悩みといえるだろう。そしてボブはこのはみ出し者チームからも初めは「外の人間」扱いをされ続ける。「僕も何か役に立てるかも」と言うボブに対して、エレーナ(フローレンス・ピュー)たちは「いいから後ろにいろ」と言い、明確なラインを引くのだ。ここにおいてボブは観客の代表のような存在になり得る。
やがてこのラインを飛び越え、彼らはボブに歩み寄る。それはただの正義感や親切心ではなく、他者(に投影した自己を含む)を受け容れる覚悟をもったヒーローらしい「勇気」の表現でもある。「キャラから→観る者に共感する」力強いベクトルが生まれるのである。
劇中で《孤独》は何度も何度も強調され、チームの面々とボブ(=観客)を結ぶハブになる。
メンバーの中でも主人公格といえるエレーナを苛む拭えない喪失感、にせものキャプテン・アメリカことジョン(ワイアット・ラッセル)の虚勢の裏にある寄る辺なさ等々…これらはどれもが「誰にも話せない」「理解してもらえない(と思い込んでいる)」という点で《孤独》の一形態だ。
そして、彼らの《孤独》はどれだけ仕事に打ち込んだりパワーや金を得ても「埋められない虚無感」へと翻訳・可視化され、ラスボスの持つ絶望的な能力の象徴に転じていく。物語を通してずっと《孤独》について語るという姿勢が貫かれブレることがない。
この構造には強度と美しさがあるし、そんな彼らだからこそ誰よりも他人の《孤独》に共感できるという流れには大きな説得力があり、終盤に配されたヒーロー映画定番「人命救助」シーンはいっそう胸が熱くなる。彼らが彼らのため(だけ)ではなく、「ぼくらを」助けに来たんだと信じられるからである。崩れ落ちる巨大な瓦礫は心の外壁だ。
今作のラスボスは「失うものがない者」であり、この数年で日本でも定着した感のあるワード「無敵の人」を思い出す。
この映画は、《孤独》をキーにすることで誰もがちょっとタイミングを掛け違えるだけで「無敵の人」になる可能性を孕んでいること、救う可能性は「共感」にあること(※1)を伝えている。加えて、「君が失うものなんてないと感じるのであれば、自分がそのピースになろう」そんなごくパーソナルでお節介なニュー・ヒーロー像も。
『エンドゲーム』以降の~、あるいはフェーズ4以降のMCUでは~という(ちょっぴり悲しい)枕詞を抜きにしても、一本の映画として見たときMCU史上でも指折りにエモーショナルな作品ではないだろうか。
もちろん「完璧!」というわけではない。アクションは正直ちょっとあんまり…な場面も目立つし、MCUにつきまとう「過去作やドラマ観てなきゃいけない」問題もうまく解消されているとは言い難い。(※2)
ただ後者については、「お前らなんか誰が知ってるねん」という今作のキャラたちに対する(一般的な)印象そのものが、これまで書いたような今作のテーマと直リンクしている気もして面白くはあると思う。ただ、それが売上に繋がるとは限らないことは残念であるけれど…
さて、今後のMCUでも思いのほか重要な存在となりそうなサンダーボルツ(またの名を略)。
「そんなレッド・ガーディアンで大丈夫か?」とか思ってしまうけれど、ここは彼らの中でも一足先に色々乗り越えてきたメンター的存在といえるウィンター・ソルジャーことバッキー(セバスチャン・スタン)に頑張っていただいて(※3)、末永く仲良く格好良く暮らしていただきたいものだ。
バッキー幼稚園みたいな展開を期待しつつ、今はただこんなに先が楽しみになって「また会いたい」と思わせてくれるキャラクターの誕生が嬉しい。WILL RETURN with LOVEだ。
音楽は『エブエブ』でもバキバキだったSon Lux、今作でもめちゃくちゃかっこいい。
ぐつぐつと煮え立つような低音の震えと、晴れない曇天のように頭上を漂うアトモスフェア。キャラクターたちの心象風景そのもののようだ。
※1:反対に、今作における真の悪はこの「共感」を利用しようとする者としてきっちり位置づけられている。
※2:あと某タスクマスターの「処理」の仕方とかは流石に…フーゴもびっくりであろう。
※3:今回、中盤にある彼の登場シーンはあまりにもカッコよすぎて色んなものが色んな穴から漏れそうだった。いや漏れた。あの数分だけで2,000円以上の価値がある。
よって今作はカップル鑑賞にはおすすめできない。男女関係なく「バッキーのオンナ」にされてしまうからである。
