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【映画評】『ウィキッド ふたりの魔女』の魔法はきっとビビッドなコントラスト

Wicked
アメリカ,2024
監督:ジョン・M・チュウ

公式サイト
https://wicked-movie.jp/


まえがき


アカデミー賞、美術賞・衣装デザイン賞受賞………でしょうねぇ!

いやもちろんウルトラおめでとうなのだけれど、むしろ他にどれが獲るの?と言いたくなるほど、「ミュージカル」とか「映画」とかを越えてものづくりのセンス・オブ・ワンダーに満ち満ちた、幸福でパワフルな作品だった。陳腐かもしれないけれど、ただただ「人間ってしゅごい」とか思ってしまった。

魔法が存在し動物が話すオズの国…というファンタジックでポップな世界ながら、900万本のチューリップや生歌録音へのこだわり等々あくまでも細部のリアリティに執着する様はある種の狂気と言ってよく、その圧はスクリーンを越えて確かに伝わる。そして何より、それらのすべてがストーリーに奉仕するために結集しているところが素晴らしい。

今作は(元のミュージカル版の構成とあわせた)2部作のうち前編にあたるわけだけれど、今作の中だけでも起承転結はしっかり閉じているといえる。冒頭に提示される「《悪》はどうして生まれるのか?」という問いに、「それは誰かが誰かを《悪》と呼ぶからだ」と明確な答えを出す。

善と悪のような正反対に思える概念も、風向きひとつで容易に反転し得ること。

この対比、コントラストを物語を通して描き出すために、あらゆる美術、キャラクター、楽曲が驀進していることがわかる作品だ。そして、そのシンプルでストレートなベクトルこそが強い引力となってわたしたちをこの映画に夢中にさせ、逆に浮力をも生んで虹の彼方へ誘ってくれる。

1.色のコントラスト

今作について話すのに、エルファバ(シンシア・エリヴォ)とグリンダ(アリアナ・グランデ)というあまりにも魅力的で明快なダブル主人公に触れないことは難しい。
後の《悪い魔女》と《善い魔女》、今作の源泉である『オズの魔法使い』では初めから「そのように決まっていた」2人の過去を掘り下げる物語だ。

彼女たちはその言動・趣味・哲学、出会うシズ大学での立ち位置も、親との関係性も、わかりやすく対比されている。体の動きや感情表現も静と動という感じ。雑な言い方をするなら陰キャと陽キャみたいなことなのだけれど、中でも強力に印象付けられるのは《色》だ。

冒頭、マンチキン国の層状に塗り分けられた花畑が映った瞬間から色彩が爆裂し、この映画は《色》で語り続ける映画なんだと高らかに宣言される。
かつて映画『オズの魔法使い』でセピアから極彩色へ花開いたあの瞬間を一万倍に拡大したかのような奔流、その中心はエルファバとグリンダにあって、エルファバ=グリーン/黒、グリンダ=ピンク/白、のイメージは全編で貫かれるのだ。

グリーンとピンクは単に彼女たちの肌や服の色というだけではなく、その時々で置かれている状況下において「どちらのホームか」を背景色として示してもいる。たとえばグリンダの大量の服やアクセサリーが並ぶ部屋はピンクだし、エルファバがフィエロ(ジョナサン・ベイリー、男でもおしっこ漏らしそうなくらいイケメンだ)との関係を深める森や、希望を抱いて訪れるエメラルドシティはグリーン。

色相環を見てみると、グリーン系とピンク系は円のちょうど対面、つまり補色の関係にあることがわかる。(図の5~6時と11~12時のあたり)

マンセル色相環

補色のペアは対極でありながら、互いをビビッドに引き立て合う色でもある。これは、まさに劇中でエルファバとグリンダが築いていく関係性そのものだ。

前半の大魅せ場のひとつ、ついに2人のデュエットが聴ける『What Is This Feeling?』はまさにこれを音に変換したかのような楽曲。お互いを「大嫌い!(Loathing)」とディスり合う曲なのに、その動きのコンビネーションの良さと歌声の相性(※1)も相俟ってまるでラブソングのように聴こえてくる。

加えて、上の色相環でグリーン系とピンク系の左側の中間地帯(8~10時)を見てみるとブルー系が位置していることがわかる。ブルーは、シズ大学の制服の色だ。
エルファバとグリンダは学内でも喧嘩上等校則無用の勢いで黒だったりピンクだったりするのだけれど、背景のモブを中間のブルーが占めていることで安定をもたらしているのだと思う。ちなみに、人間関係的にも2人の間に立つフィエロの衣装はいっそう濃いブルーだ。

さらに、逆サイの中間(2~3時)にはイエロー系が位置していることにも着目してみたい。イエローといえばもちろん、黄色いレンガの道
大魔法使いオズ(ジェフ・ゴールドブラム)の部屋に通された2人が、オズの国に敷設する道の色を相談して決める場面がある。オズはこの道について「誰もが迷わず私に辿り着くための道」と言ったけれど、上記を踏まえればむしろエルファバとグリンダを繋ぐ色であり道、とも思えてくる。

2.歌のコントラスト

今作はミュージカル映画なので、もちろん楽曲それ自体によっても鮮烈にコントラストが表現されている。エルファバとグリンダ、2人の歌声はさながら力のエリヴォ・技のグランデという感じにアプローチが異なりながら、ひとたびハモったときには紛うことなき魔法が起きる。

そんな2人のソロの代表曲を挙げるとすれば、エルファバはやはり『Defying Gravity』、グリンダは『Popular』だろう。いずれも必殺の一曲であることは間違いないけれど、曲調、歌われる内容ともに大きく異なり、各々のキャラクターが活きている。

エルファバの強い覚悟を歌った『Defying Gravity』は、「たった独りでも正しいと信じた道を行く」「誰にも止めることはできない」と叩きつける、『ウィキッド』の永遠のアイコン的楽曲だ。これまでいったいどれほどの人々がこの曲に涙し、勇気づけられてきたのだろう。

片やグリンダの『Popular』はキュートでファニー、エルファバに「人気者にしてあげる」と指南…というか半分押し付けを試みる、グリンダ(=アリアナ)のなんとも憎みきれない陽性のチャームあってこその楽曲(※2)。

同時に、グリンダの「能力より見せ方」「歴史に残る偉人たちも要するに人気者だったのだ」という哲学がうかがえる楽曲でもある。この「どんな才能もそれを評価する周囲あってこそ」というイズムは、孤独/孤高の道を選ぶエルファバと強いコントラストになっている。

しかし、この思想はともすれば浅薄で危険(※3)にも思えるけれど、今作は単純にエルファバ=善・聖、グリンダ=悪・俗、とは片付けない

上のグリンダ哲学は、エルファバのような魔法の才能(ギフト)に恵まれなかった彼女にとって世をサバイブするための術であり、事実彼女はそれを120%徹底して実現してきたのだ。そこには、ベクトルこそ違えど一周まわってエルファバと似た強い信念を感じられはしないだろうか。

エルファバもまた、外側には何を言われても動じないような強さを見せながら実は内面では傷ついているし、「能力が認められて皆から愛される」ことを夢見ていることがわかってくるほか、フィエロの登場によってグリンダへの羨望も自覚するようになる。(※4)

つまり、エルファバとグリンダは対照的でありながら本質的には同じなのだ。もっと言えば「誰でもある」のかも。
その正負・陰陽・明暗…がどのように発現し評価されるかは時流や環境次第。このことは、そのまま今作の終盤に向けて2人が辿る運命へと収束していく。場合によっては、2人が逆に立場になることも十分あり得ただろう、と思わせる。

何にせよ、2人はその違いよりもむしろ類似性によって反発し合い(底には嫉妬や同族嫌悪がない交ぜになっていたことだろう)、そして結びついた。
映画の中盤に配された2人のぎこちないダンスシーン、初めて彼女らが心を通わせるこの場面では、音楽が流れない。これだけ雄弁に音楽で語る映画があえて打ち込んだ美しい《静けさ》の谷、ここにもまたコントラストが効いている。

まとめ

コントラストを徹底して強調することによって、逆に「同じであること」に気付かせる…魔法じゃん。もしかすると、今後ミュージカル映画は『ウィキッド』以前以後で分かれるのかも。もちろん原作という大きな遺産がありつつ、映画としての可能性を駆使してみごとに押し上げた作品ではないだろうか。

さて、上で色について書いたけれど、様々な色が集まることで生まれるもの…といえばである。

近年ではダイバーシティの象徴(レインボーフラッグ)としても知られるようになった虹は、『オズの魔法使い』の強力なシンボルでもある。かつてドロシー(ジュディ・ガーランド)が映画内で歌った名曲『Over The Rainbow(虹の彼方へ)』は 「ここではないどこか」、理想の世界への憧れを歌った曲だった。

『ウィキッド』のいくつかの楽曲では同曲のモティーフが使われている他、通底するテーマとしてもリスペクトをもって受け継がれている。たとえばエルファバがまさに理想と夢想を膨らませる楽曲『The Wizard And I』を歌うとき、目の前に開けた海の先には虹が架かるのだ。

ここでわかるのは、エルファバもまた「ここではないどこか」を夢見る人に他ならないということ。「いつかこの緑を消せたら」と夢想する彼女にはプリズムの七色が降り注ぎ、その中ではもはや彼女は「何色」にも見えない

エルファバとグリンダがまったくかけ離れているように見えて同質であったように、そして虹に何色の数を見るかの常識が文化圏によって異なるように、色の区別など本来は無意味なのかもしれない。

一方で、世の中には定期的に「この色が正しい!」と声高に叫んで煽る人物が現れて、人々を一つの方向へと引っ張り(重力=Gravity)、後に歴史と呼ばれるものを作ってきたことも確かだ。今作のラストに向けた展開はまさにそのような暴力的な潮流を凝縮して描き、エルファバは、グリンダは、このオズの国は、どこの誰でもなくわたしたちの現在進行形現実に他ならなかったのだと思い知らされる。

果たして、「虹の向こう」は理想の中にしかあり得ないのか?

しかしここで思い出したい、『オズの魔法使い』における「虹の向こう」とは、最終的には「故郷(Home)」だったことを。

大切なもの、美しいものはすぐ傍にある。対極にいたエルファバとグリンダが結びついたように、隣の色を辿ってさえ行けば、グラデーションの果てにどこまでだって行けるはずなのだ。

第二部『For Good』を楽しみに待ちながら、エルファバとグリンダが真のHomeを見つけられることを祈りながら、そんなことを考えたって良いかもしれない。


注なるもの

※1:"Oh, what is this feeling?"がハモる瞬間、何度聴いても鳥肌不可避。(2:50くらい)

※2:アリアナ・グランデは、過去にMIKAとのコラボで同曲のカバー、というかサンプリングソング的な曲『Popular Song』を歌っている。

今作のグリンダを単純なヴィランや嫌味なビッチに見せない "Blonde(おばか)" 演出はとてつもなく難しいバランス感覚だと思うのだけれど、アリアナ・グランデは見事に超絶魅力的なグリンダを爆誕させてしまった。なにせグリンダ年季が違ったのだね。

↑どっちもカワイイなオイ

※3:奇しくも、このマインドは今作のヴィランたちのやり口と(悪い側面が)結びついてしまった。彼らはも見せ方が巧く、先手必勝とばかりに強い言葉で大衆を煽り操る者たちだ。

※4:本文であまり触れられなかったのだけれど、フィエロの存在はめちゃ重要だ。グリンダとエルファバが共に彼に惹かれることによって2人の共通性が強調されるし、フィエロ自身も軽薄と誠実の二面性を持っている。まさに中間地点から2人の間を振り子のように揺れ動いて、彼もまた変化するのだ。


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