積極的分離ー別の今
熊です。
本熊の記事をご覧頂いた後に、
救われた、
充足を得た、
よく言ってくれた、
理解されると感じた、
とても優しい方だね、
と連絡してくださった方もいらっしゃいます。
その気持ちは大変感謝していますが、
この活動を3年間続けてきて、
上記のような心理を危うく感じる場合もあります。
保護者からの連絡もあるので、
熊のことを全く理解できない恐怖の存在に感じられると当事者とも繋がらなくなるから、見せていない部分のほうが圧倒的に多い。
でも誤解されてもあれなんで、この記事をもって、熱帯雨林の熊は本当に皆様の想像通りの生き物かを、ご自身の目でお確かめ頂きたいです。
まずは、
ギフテッドと積極的分離界隈に関心を持つ人間が避けられない問題
「善と悪」についてです。
この問題は、
いくら時間をかけて、
いくら深く考えようとして、
いくら実際に核心に近づいたとしても、
積極的分離に負けた瞬間に答えが激薄になってしまう。
Noteにほぼギフテッドが残っていないので、続きはもう書かないかもしれません。
宇宙人たちよ、生き残ってね。
毅然と偽善
善と悪を考え続けるには、
最初から最後まで毅然ということを意識する必要があるかと。
人間はよく動揺し、
自分の動揺にも動揺し、
動揺しないフリの動揺もする。
毅然でいることができなければ、
ブレまくる、
周りに流される、
問題を見過ごす、
問題行為に加担する、
問題そのものを否定する、
善もただの偽善になってしまう。
自分のことを人間と思うなら動物、
自分のことを動物と思うなら人間。
人間は人間以前にまず動物だから、
それを認めないと、
対抗すべきタイミングを想定しないと、
対抗する際の脳内の変化を検知できないと、
人間らしい行動ができない、
もしく喫緊なときにそれを維持できなくなる。
人間の認知力と精神力は、
かなり、かなり、かなり
限界がある例を挙げよう。
例えば、
人間は恋愛も性行為もするよね。
それは昨今の科学で人間の繁殖として必要不可欠かと言われたらそうでもなく、動物だからそういう行為を未だにさせられてるだけ。
動物の競争本能による独占欲に支配されていなければ自分の子じゃなくても同程度の愛情を与えられる。
しかし里親を待っている子供がたくさん居る。
恋愛は3年も続かないという科学も揺るぎのない事実。
「少子化のための貢献!」
と言いたい人も居るだろうが、
これは後知恵バイアスです。
性行為の事前と最中に毎回そう思っているのか?
国全体の少子化が解消されたら子作りをやめるのか?
「スキンシップ大事!
どっかの先生も言った!」
性欲はそのうちなくなるので、
その際はどうやってその穴を埋めて関係性を維持すると想定されているのか?
「何とかなるでしょう」
という魔法の言葉で、
全ての不安とリスクを後回しにする。
だから4割の夫婦は離婚する。
この数字が改善されることも永遠にないでしょう。
そもそも人間にとって性別という要素は未来永劫には間違いなく存在しなくなる。
極めて長い過渡期には色んな不安定で不思議な個体が生まれてくる。
様々な本能と欲望を元にした行動はその度合いによって社会秩序が崩れそうな場合は犯罪として定義され制限をかけられるが、
今回は本能からの行動を制限すべきか、どこまで制限すべきか、を議論したいわけではない。
”させられてる認知”を、
ほとんどの人間は一度も持てないか、持たなくなると伝えたい。
「別にいいじゃん」
という魔法の言葉で、
全ての疑念を吹き飛ばせる。
性善説
この流れからすると性善説は秩序を否定する発想になる。
性善説ルートの人間は少しずつ良かれ思考が進み、遅かれ早かれ、全てを善と思えばいい、全てを善に導けるという認知に陥る。
楽だから。
脳は楽な方を選ぶ。
今の遺伝子多様性と認知レベルの状態で、人間同士が完全なる分かり合いを求めると、
一方的な殺戮を経て、
善(っぽい)陣営は偽善だけが生き残り、悪の陣営は偽善のおかげで満遍なく多種多様に生き残る。
そしてもう一度、
一方的な殺戮が起きる。
どっちが勝っても人間にとっては勝っていない。
歴史上のモンスターたちを宥めることでどれぐらいの犠牲を払ったかを考えてみるといい。
そして宥めてもやはり虐げられるから、倒すためにはさらにどれぐらいの犠牲を払ったかを考えてみるといい。
犠牲者は最初から存在している。
となると宥め期間は誰のためなのか?
「きっと他に良い方法がある」
という魔法の言葉で、
決断の責任と失敗からの成長を避け続ける。
積極的分離の正しさとは、あらゆる場に合わせて、その場のバランスを崩した要素に対して、自分自身を抽象化し臨機応変に様々な抑止力を発揮する観点でもある。
最後の一人として信念のために戦い続け、人を守り続けるチャンスが来たとき、やっと自分は本物の人間になったかどうかが分かる。
貫き通せなかったら、
犠牲者たちの苦しみはアイスピックになり、自分の心臓に刺さったまま生きていくことになる。
抜いてはいけない、
次のチャンスが来るまで。
忘れてはいけない、
緩んだら自らも打ち込んでいく。
次が来るかも分からない、
不意打ちされてまた失敗したらアイスピックの本数が増えていく。
この正しさの追求には膨大な精神力と体力と成功保証への諦めを要するので、動物の楽になりたい本能に反することから脳に思考停止させられる。
そして良かれ思考がどんどん進んでいく。
「悪い人ではなかったのに」
という魔法の言葉で、
全ての悪をただの事故だと思える。
善も悪もない世界は、
その葛藤を作ってしまう、
それを考える人間が不要な世界。
シンプル、自然界のように。
シンプル、脳に甘えるように。
性悪説
一方、
性悪説は人間になろうとする正しい絶望を認識するプロセス。
完璧な人間になるのではなく、
純粋な悪意を抑止する力になる。
それを認識できたら、
人間は自己破壊的な善を考え出し、
自分の傷に埋め込み、痛みで育てていく。
これができない人間は善の行動ができない、成長も望めない。
だから本熊は、
自省できない人間をそうでない人間より優先もしくは同等のリソースを与えることは不平等で冒涜なことだと考える。
「人間は偏見の中で生きている」
世直しをしたければ、
この前提を否定すると成功はしない。
偏見は脳の省エネモードだから。
コスパが良い。
その分、愚かなままで生きていく。
世の中の自省と反省は、
”社会から生存資源を得るための取引”
の場合が多いので、自省をしても評価されない多くの人は
「じゃ、誰が自省なんかするのよ」
「コスパ悪すぎ」
としか思わない。
過ちを犯しても、許されないと分かったら謝らない、逆上、開き直りをする人も多い。
表では見せないが。
リソースには限りがあるので、
誰に渡すかを考えるのが重要。
人間がよく陥る状況は、
善と言いながら自分に有形無形の利益をくれそうな人にリソースを与えてしまう。
そして、
全てのリソースの起点は「関心」であり、誰に関心を持つべきかを考え抜かないと、放置された死体が山積みになっても気付かない。
これが冒頭の偽善に繋がる。
毅然と最善
特定の種類や数ではなく、
「単一の認知バイアスの深さ」と
「人間の母体数」だけでモンスターは誕生する。
精神障害に診断されるほどでなければ健常 、それより深化して一歩手前なのが宗教。
宗教はちょっとした誘導で崩れてしまうような精神状態。
善も悪も、ちょっとした誘導で。
中立を保つ期間があっても、
自律的な中立ではないため、
善とは言い難い。
中立という”自慢”は、
日本社会における至上の”美徳”
だから本熊は宗教とスピ系から極力距離を置く。
そもそもそういった界隈は一番殺伐とした雰囲気で階層意識とマウンティング行動が激しい。
今はそう見えない人でも、
ちょっとした誘導でそうなる。
オウム真理教と旧統一教会に救われたと信じてる人々はかつてだけではなく、今も存在し布教活動をし続けている。
加害者だろうが被害者だろうが、
誰も手の付けようのないモンスターは、
これからも確率という確実で誕生していく。
一般社会でも普遍的に存在している「自分が生きている間にたくさんの人を救いたい」という考え”だけ”では、
持続的な利他の循環にはならない。
私が生きている期間も、
私が救った人も、
私に救われたい人も、
後世の人々と何の関係もない。
関係があるように見えたとしても、
それは最初からそれぞれの個体を見極めて未来のために練った戦略による予測された結果でなければ、ただの偶然である。
都合の良い偶然はどこにでもある。
人々が自分の脳によるコスパ洗脳から逃れることは極めて難しい。
自己愛性の高い人間たちは、
多様性、ジェンダー、
平等、コンプライアンス、
ワークライフバランスに関する法案が推進されてもされなくても気にしない。
そう、推進されても気にしない。
彼らが気にしているのは、
金と権力の集約先が自分にあるかどうかだけ。
だから、
社会運動お遊びをさせ続け、
真実を意識していない盲目な人間たちを見て悦ぶ。
「長者に三代なし」との言葉は、
多くの裕福は三代も続かないことを示している。
となると、裕福と余裕からの利他も続くわけがない。
「助けられた人が人を助ける」
と言いたければ、
「助けられても人を助けない人」
との違いも説明しないといけない。
例外を見るなら、
例外が生まれた理由を考え抜こう。
それができないと、
自分自身は例外にはならない、
他人を例外に導くこともできない。
人が裕福になり、
幸せを感じ、
余裕ができたら人助けをするなら、
貧富の差は拡大し続けない。
全世界の軍事産業の売上も上がり続けない。
人間の言葉ではなく行動を見よう。
この世界は人間の弱さの投影である。
助け合いをしなければ種は滅びる故に作られた感情的共感を司る扁桃体は今のためだけではなく、さらに前頭葉による認知的共感が未来の人間を描くきっかけとしての存在意義が大きい。
自分の内面をどこまで磨くか、
自己肯定感をどう上げるかは、
実害のないエゴなんでやりたければやればいい。
自己愛性と承認欲求の暴走に繋がるリスクはあるので気を付けよう。
目の前の人をどう救うか、
この世界の制度をどう変えるかは、
本熊は無いよりマシとついでにやってるだけ。
尋常じゃないついでにかもしれないが。
ほとんどの人間は、
過去から未来に続く時空の特定の断面にしか生きることができない。
しかし積極的分離を乗り越えた人間は思念の集合体としてどこにでも居られる。
最善は、
如何に未来を創るかではなく、
如何に未来の人間をこの時代に作るかである。
「未来」を「別の今」に感じ、
そういう人々が生まれる、
生き残れる、
自死しない精神的な土壌を育む。
これが最短なルートで、
持続的なプロセスとして、
数千年の長い年月で考えると確実に救える人が一番多い。
そのため、この世界のどの人でも必要であれば自分の命を捨ててまで守り、逆にどの人でも切り捨てる覚悟が必要。
これが冒頭の毅然に繋がる。
この記事を見て落ち込んでいれば、
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宇宙熊にもブドウ糖が必要だから、
ラムネを食べてくる🐻
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