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ギフテッドと死者の書

熊です。
お久しぶりです。

梅雨の季節に相応しい(?)記事を書こうかなと思っています。

今回は犯罪の話から入り、
人間の悪の話に脱線し、
最後は希望に満ちた話で終わる予定。

大丈夫、ちゃんとハッピーエンドにしますから。いつもそうしているじゃん🐻

🐺チワワ「怪しい・・・」


うわーーー目次がどんどん長くなっている(歓喜)

それぞれの事実

最近社会を騒がせた阿部慎之助の件について、下記のような言論を一般人から著名人まで頻繁に確認している。

・子供がAIに支配された結果
・親に養ってもらってるのに職を失わせる
・長女が後悔している
・良い監督だから復帰してほしい

事実に沿い、自分の利益から独立し、
論理的に考えられる人のほうが少数派になってきているように感じる。

・長女が外部と相談したいぐらい困っている
・児相の判断
・警察の判断
・阿部慎之助が飲酒に暴力という事実有無
・刑事事件の場合、被害者から加害者への擁護は採用されない
・球団の判断
・上記に対する阿部慎之助自身の判断

上記は全部異なる事実だけどね。

今後子供に助けを求められたら保護や予防のための逮捕もできないかな。

良い選手や監督、ファンがたくさん居れば良いのか?

阿部慎之助が、
ただの一般人なら同じく支持するかな?
自分の嫌いな上司なら同じく支持するかな?

犯罪暗数と犯罪コスパ

科学を重んじる国は、犯罪暗数(実際の犯罪数と発見数の倍率)を理解しそれに基づく予防を行う。

犯罪の内容によって暗数は変わる。
例えば殺人は実際の件数と発見数が1:1に近い。
人が減ったら大体バレるから。
独裁国家は別。

一方、性犯罪は、数十:1
ネット性犯罪となると、数千:1

つまり数千件のネット性犯罪が起きるたびに1件がやっと発見される。

この予測値を利用し、どんな犯罪なら自分の欲求を満たしながら捕まらずに済む、という犯罪コスパの心理も生まれる。

その絶好例は一部の日本人男性による海外買春。確実に捕まらないところでロリ活。

その活動の規模と活発さは世界でも屈指の強さを誇る。インドなんかとの底辺比べで安心しないでください。

小児性愛者にも様々なタイプがいるが、一部は他の犯罪者とも一線を画すほどの存在であり、刑務所内で他の犯罪者に処分されるほどの異形である。

裁くは一瞬、修復は一生

映画やドラマでもよく聞く犯罪心理学は、犯罪者の動機や心理だけではなく、犯罪と社会のあらゆる関わり方にもかなり重点を置いている。
犯罪社会学として切り分ける場合もある。

犯罪者、被害者、一般人、社会、法律、行政。これらを必ずセットで観察する。

例えば、海外では近年は重大な犯罪による最大な被害者を「社会」と捉え始めるようになり、社会全体の人間関係への影響(人間不信協力意識の低下メンタル悪化)を修復する方法を考案し始めている。

また、近年の日本では残虐な事件が起こると、マスメディアは視聴率的にインパクトのある遺族たちのコメントや声明を必要以上に広める。

「同じ痛みと苦しみを味わわせたい」
「一生苦しんで楽に死なないでほしい」

といった言葉を皆さんもご覧になったことがあるかと。

これらの遺族たちは、極めて抑圧的で激しい苦痛と空虚さの中で生きていくことが多いため、健康的な心理状態の再建を行うには医療だけではなく、感情処理を完了させたり再処理させたりするような修復プロセスを司法制度に組み込む試みもされている。

再犯率

犯罪に関する話題でよく出てくるこの言葉は一つの数値というより、一つの流れとして考えてもらいたい。

①まず、再度犯罪を犯すこと
②犯罪がバレること
③警察が証拠をきちんと集めること
④裁判で検事が勝つこと
⑤誰かが再犯率の数値を統計すること
⑥それがさらに誰かによって一般社会に届けられること

この中のどこかでしくじったら、
再犯として社会に認識されない。

例えば犯罪の精巧化によってバレにくくなったりすると再犯は気づかれない。
そしてこれは刑務所での情報交換と人脈拡大を経て、確実かつ速やかに進行していく。

また、警察が自ら全ての犯罪に気づくことは不可能であり、ほとんどの場合は誰かの通報によって調査が始まる。

誰かの通報は、誰なのか?

そして、そもそもこれは再犯率だけの話ではない、と容易に気づくでしょう。

初回の犯罪は、誰が通報するのか?

数学的に再犯より初回の方が多いよね。

100人中30人が再犯するなら、
後の30人を止めるより最初の100人を止める方が理想的ではある。

犯罪が犯罪を止める

「犯罪が犯罪を止める」という名言がある。

これは暴力によって犯罪を止める意味ではなく、
「捕まったような犯罪」によって、
「これまで捕まっていない犯罪」
「今後起こり得る犯罪」を止めるという意味である。

何故かというと、
犯罪は初回で捕まる場合の方が少ないから。

傷害罪なら数回で捕まるが、
窃盗になると数十回、
詐欺となると数十から数百回、
ハラスメントとなると生涯捕まらないのがほとんど。

回避可能な犯罪と逃避したい人間

多くの犯罪は感情的な行動によるもの、
これは皆さんもご存知かと思う。

しかし、計画的な犯罪の多くは実は防げるとされている。

これは決して「公平世界仮説」のような悪いことが起きたら必ず誰かのせいにしたい臆病で卑怯な心理ではない。

例えば、凄惨な無差別殺人事件やストーカー殺人事件、長期的な家庭内暴力事件が起きる度に、記者さんは必ず加害者の知り合いに対して取材を行う。

例えばこのようなイメージ

・中学の同級生
 「些細なことで人と揉める」
・高校の同級生
 「小動物に石を投げる」
・大学の同級生
 「周りが馬鹿ばっかりで俺の能力を理解できないとよく言う」
・勤め先の同僚
 「通っていた風俗の女性の身体特徴を貶めたりする」
・犯行二週間前の飲み友
 「◯◯さんが死ななければ納得しないと何回も言ってた」

人間の脳は、自身の内心の怒りや不満、憎しみ、鬱憤によって自己破壊されないように、自己愛や承認欲求を増やして何らかの形で圧力を外部に誘導する場合がある。

自己愛承認欲求はその名の通り、本人にとっては外部に表出せずにはいられないものである。
例えば、自分の異常な思考や計画を友人にアピールすることで優越感を得たり、ネットに書き込んで承認を得ようとしたりする。

しかし、不適切な行動からは満足の行くフィードバックは得られず、認知の歪みが進めば行動がエスカレートし、社会性が破綻するのも時間の問題。

類は友を呼ぶから、そういう環境に居れば欲求は満たされるが、毒性の高い認知が報酬系回路に定着すると、一般社会には戻れない。

ここで一旦視点を、
犯罪者から切り離します。

こういった予備軍や現在進行形の犯罪者からの自白を聞く際に、周りの人間のリスク思考予測能力が著しく低下することはよく観察されている。

となると、
適切な会話を通して爆発のタイミングを遅らせることも、自覚させて治療を受けさせることも、行政に支援を求めることもできなくなる。

しかし、これは周りの人間の認知能力や記憶力、知識の問題ではない。

何故かと言うと、後から思い出した時に、
当時に感じていた違和感と危険性」も蘇ってくることが多い。

つまり、人間の素晴らしい認知能力と経験則からの推測能力は当時も発揮していた。

恐怖に負けていなければ、
利益に目が霞んでいなければ、
他人事のような冷たい心を持っていなければ、状況は変わっていた、いや、変えていたかもしれない。

続くはずのない和

日本社会は起きたことの原因究明が嫌い、
そして蒸し返すのも嫌い。

その「起きたこと」という過去形に惑わされないように気をつけよう。

人間は過ちを犯しても
「終わった話」という魔法な言葉を使えば、原因分析と再発防止に取り組むより勝手に自己完結ができる。

そして、
その言葉を口にしている限り、
同じ行動は繰り返される。

「偶然起きた事故」と「二度と起きないこと」にだけ過去形を使っていい、というのは本熊の認識。

前者は例えば、
枯れ葉による車のスリップ事故なら意図的でもないため再犯の可能性は低いでしょう。

後者は例えば、
長期的な親からの虐待により殺人を犯す場合は、再度親を殺したいまでのプロセスを再現できないため、再犯の可能性も極めて低いでしょう。

これらは「終わった話」で良いかもしれない。

しかし、
原因不明な場合、
原因が解決されていない場合、
本人や関係者が見ないようにする場合は、
見過ごしてはいけない。

その歪みは少しずつ他の人間を巻き込み、行動学習によってより大きな乱れを作ってしまう。
静かに、今の混乱した日本社会のように。

私には選択肢がなかった

刑務所に収容される多くの犯罪者が共通して持つ代表的な認知の歪みは
「環境に支配される認知」である。

例えば

・私には選択肢がなかった
・あなたが私にそうさせた
・あなたが私の望むような行動をしなかったから私がこうなった

こういった行動の原因は、
「妄想」の場合と、
「自己催眠」の場合と、
「演技」の場合がある。

そして演技じゃない場合は、
最初にあった罪の意識を無くそうとする自己正当化」にも見える。

罪の意識があれば早期の介入で矯正の可能性はあるかもしれないが、出来上がったらかなり手厳しい。

演技かどうかの判断はまた複雑な話になるが、そういう可能性を心の隅に置いておくことをお勧めする。
これを知らずに騙されてしまう人も多いから。

良い選択肢を与えられなかった人々は確かにたくさん居るが、その一部は状況が変わっても同じことを言い続ける。

どんな自分にでも安心したい、
そして「どんな」だから、
良いか悪いかを考えるのを、やめた。

データをデータとして扱う

「偏見は偏見だと言う人から始まる」と本熊はたまに感じる。

例えば、ここ数年は発達特性という言葉が流行っている。

発達は具体的に人間のどの機能までと紐づけるべきか。
発達はプロセスを指しているか、それとも生まれ持った性質を指しているか、その両方か。
などなど、色々話し合うべきことがあるかと。

しかし「発達」という言葉に対する社会の共通認識がないまま、さらにもっと聞こえの良い「個性」という言葉を混ぜ始め、何故か突然「周りの理解が社会の優先事項」として決めづけられてしまう。

商人と承認されたい人が共通利益によって結ばれ、発達特性によるリスク行動を「偏り」という言葉で濁し、やがて皆が考慮すべきリスクを忘れてしまう。

全ての特性は諸刃の剣だから、
モニタリングを怠るな。

犯罪に対する遺伝子はまだ見つかっていないが、犯罪を起こすリスクの高い性質や性格特徴はデータから確認できる。
例えば・・・
・衝動性
・神経質/過敏性
・ネガティブ思考
・社会性に関連する機能障害

なんか・・・美化されすぎている近年の発達特性と結構被っていると思いませんか?
繊細さんでさえも。
ギフテッドでさえも。
↑ほな一応中立性は保っているよ🐻

「あーあー偏見だ、偏見熊だ」
とチワワみたいに騒ぐのはちょっと待った!

例えば、男性の犯罪率は女性の10倍ほどのデータがある。
しかし、男性は皆が犯罪者のように差別はされていないよね?

例えば、女性が犯罪を犯す場合の重罪率は男性以上のデータもある。
しかし、女性はキレたら人を殺すと誰も言っていないよね?

逆にそういった差別的な言論が増えたら、
データは悪いものになるのか?
人に知らせるべきものじゃないのか?

男性ホルモンはアグレシッブな行動を増長し、リスクを過小評価してしまうため、単細胞バカになりやすい反面、サバイバルには役に立つ場合がある。

女性は記憶力と共感力が強く、辛抱も強いからこれまで抑えてきた感情と比例する激しい行動選択を起こし得る。
また、肉体的な不利さから報復を受けないように徹底的にやると判断した可能性がある。

とデータをこういう風に分析し、
自分と他人を守るための建設的な対応に繋げることもできる。

ストレスや不安を感じるようなものを、
何らかの理由で無かったことにしたり、
存在を否定したりすることは、
運任せの人生を意味する。

価値判断は誰にとっての価値か

人間は学校に通い、道徳や平等、倫理、正義、自律などを「覚えるだけ」で、そういった概念を用いて自分を美化し始める。
何か具体的な行動による信憑性がなくてもね。

法を破ってはいけないと思いつつ、
法を破ったら仕方ないと思えばいい。

人間は性善説でも、性悪説でもなく、
生まれつきの性利説である。

自分への利益の有無や大きさによって、
善悪の価値判断は一瞬でガラッと変わる。

世界の混乱と分断、人間同士が信頼し合えない主な原因は「自分に利益をくれる人を特別扱いする心理」にある。

その対象は例えば、
両親、兄弟、子供、パートナー、親友、知り合い、お世話になっていた先輩、面倒を見てくれた先生、同じ組織の人、同じ政党の人、さらに自分に利益をくれる人に利益を与える人まで。

彼らが犯罪や問題行動、社会の問題構造に加担をしても、他の人間がした場合と ”全く” 同じように扱うことはできるのか?

その微妙の差異を80億人規模でやるとかなりやばいよね。うん、大体やっている。

姑息や変な融通、歪な寛大さなどを持たないことは、大多数の人間には極めて難しいんだろう。
仮に罪を償わせようとしても、
他の犯罪者よりは軽く済んでほしいと思う。たとえ反省の保証がなくても。

この瞬間、
公平や平等に対する意識は既に失っている。

お互いに軽く済ませようか。
名刺交換のように下へ下へと、最終的に誰も悪くない、いや、悪いとかじゃなくて、
何も起きていない、
これは・・・そういうものだ。

学校や会社における組織的な不祥事の典型例です。

自分の弱さに甘えれば甘えるほど、
自分の欲求に忠実であればあるほど、
この特別扱いの対象は増えていく。

そしてこういう心理を自分でも気付けるということは、他人が持っている同じような心理も見える、他人からも見える。

こうやって人間同士はお互いを信用しない、協力しない、もっと悪いことに他者の強固な利益共同体に入って恩恵をもらったり、自らも一蓮托生のような利益共同体を形成したりする。

大半の人間は自分の欲求と恐怖を通して世界を見ているため、学歴や収入、地位、職業と関係なくこの行動原理に支配されている。

彼らはこの原理によって作られた独善的な関係性を愛情や結束とよく勘違いする。

協調と妥協

正しさの追求はある種の呪いに近い。

一度でも妥協してしまえば、
二度とこの世界の制度や人間を批判する立場を失いかねない。

皆もそれぞれ正当だと思っている理由で妥協しているから。

もし、妥協も権利や自由の一環と言いたければ、この世界の ”全て” はありのままでいい。
誰にも価値や利益のないものは人類社会に存在するはずがないから。

たとえ暴力や犯罪でさえも、そういった金によって経済が回って数十万人の生活を支えている地域もある。

利益共同体ができてしまったら、
どんな状態でもそれは正しい姿と思える。

全体最適のための一時的な調整は協調
公益より個人利益のための調整が妥協。

ダークマター

自分に有利な時代の悪に甘える人は、もっと前の時代に生まれたらその構造を作り出した一員になっていたかもしれない。

見過ごすことができれば、
加担もそこまで難しくない。
加担することができれば、
主犯もそこまで難しくない。

恐怖と利益による力学が、
既にあなたに通用しているから。

だから加害者と被害者は、
単に問題構造への参入タイミングが違うだけの場合もある。

犯罪者は犯罪者であるゆえに自省を求めるには限界があるが、
一般人は犯罪を積極的に摘発しなくても何故か自省は生まれない。

あることを理解したら、
犯罪者の罪に押し潰されない。

それ以上の一般人が、
黙認という罪を犯していること。

それ以上の一般人が、
自ら協力しないと実現できない状況を、
平気で他人に求めていること。

世界のどこかにいる無力な人々が求める理想を無視しながら。

こうやって多くの人間は、
今日も自ら描いた「偽善の枠」の中で生き、偽りの安堵に浸っている。

時代を変える二種類の人間

時代を変えたのはいつも2種類の人間

・その時代の偏見によって不利益を受ける人
・自分の利益と関係なく場合によっては損してまで正しさを追求する人

前者は自分の利益が満たされたら活動をやめるし、それ以外の社会改革にも興味がない。

かつ、
「自分に不都合な悪」を改革しながら、
「自分に好都合な悪」にも同時に加担し続けることができる。

他人の行動に対して声を大きくして批判する反面、自分に利益をくれる人の行動に対しては沈黙や同調、迎合、忖度、癒着、結託、隠蔽などをする。

妥協して生きていけることは、
努力と何の関係もない。

何故かというと、どう足掻こうが、虐げられて悲惨に死んでいくしかない国がいっぱいある。

私たちは運が良くてそこまでじゃない国に生まれただけ。たったそれだけ。

そしてその運はこれまでのたくさんの苦痛と血で出来ている。

死者の書

この世界は、利己的な個体と持続性を欠く自己実現に資源を浪費しすぎている。

生きている人間、目の前の人間、泣いている人間を最優先にしなければならない。

といった考え方は
「自分もそうされたい」心理の投影である。

そうなると大局観を見失うことが多い。

助けられても得られない「優越感」や「支配欲」は多くの個体にとっては実は一番美味しい。

「助けられなくても人を助ける個体」と、
「助けられても人を助けない個体」を区別する目を磨く必要がある。

善を目指す者の「命の炎」を消したのはいつも明瞭な悪だが、「意思の炎」を消してしまったのはかつて同じく善を目指していた仲間だ。

人間を共通利益で簡単に釣ることができるし、相手の希望を洞察し同じ言葉を使えば簡単に信用を騙し取ることもできる。
だから暗黒の時代は伝染病のように定期的に社会を訪れ、「偽りの希望」として色々を上書きする。

積極的分離に負けると、
弱さに甘え、欲に屈し、
社会の偏見に従い、理想を諦め、
やがてそれらを認知する勇気すら持てなくなる。

エネルギーを無尽蔵に使ってまで正しさを追求することは生き物の本能に反するため、人間に死を意識させるほど絶大なストレスを与えてしまう。

諦めていない人間は照魔鏡のように諦めた人間の弱さを映し出すため、諦めた人間によって脱価値化される。

そうやって、自身の逃げている意識からも逃げようとする。

正しさを追求すればするほど最後の一人として孤独に死ぬ可能性が高い。

そして孤独な人は死んでも、
誰も気にしない、興味を持たない、
その情報に触れる機会すらほぼない。

稀に気づかれても、
「幸せライフに対する反面教師」として敬遠される。

大半の重要なデータを失ってはやり直し、
地球の資源だけが消耗していく。

本熊は、孤独で散ってしまった死者と、
将来そういった死者になり得る人々のために記事を書いている。

積極的分離は死者の声を自分の魂に刻み込む自分を殺す芸術であり、悲愴なメロディーが出る絵本のようでとても美しい反面、多くの人には騒音にしか聞こえない。

そのメロディーを発する楽器と化す者も忌み嫌われる。

行動は何回も失敗するかもしれない、
仲間は何人も失うかもしれない、
救えなかった命は目に焼き付いてしまうかもしれない。

しかし、100回の失敗で諦めたら、
その思いは単なる成功体験を得ようとする自己実現。

知性の高い人は自分自身を裏切る心配から逃げているため、自分を裏切らない自信が唯一の救いになる。

それを証明する機会は滅多にない。
機会を機会として認識するのも大きな難関だ。


では、またお会いしましょう。

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熱帯雨林の熊 お気持ちだけで十分です。 お金は自分より立場の弱い人に使ってくださいね🐻