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未来に性善説を

熊です。

さて、ダークファンタジ積極的分離ーの続きです。

身バレ防止のため、多分死ぬまで話せないことがたくさんありますが、読み続けてくださる方なら、価値ある痛みを自ら探しにいって同じ景色を目にするでしょう。

今回は小熊の頃から感じた一般社会とのコミュニケーションにおいて、一番苦戦していることを話します。


あなたを知りたい

ご存知の通り(?)小熊の頃は結構子供にも大人にも目を付けられやすいタイプだった。

何でもすぐできるから、
先生に教わらずにできるから、
たまに先生と秀才たちでも再現できない手法を自然に思いつくから。

どうもすみません🖕🐻

当時の時代では教師が自分の子供と同じクラスにいることは許され、ある教師の子によくちょっかいをかけられた。

小熊は耐えに耐えて荒神の如く反撃することもある。戦争はいつも小熊の正論攻撃(叩かれたら物理反撃)が勝ってしまう。

教師は母熊を呼んでも事態が収束しないため(いつもその子が発端だから)、母熊が居ないときにネチネチと精神攻撃してくる。

批判の主語はほとんど小熊だった。
自分の子供に対しては優しさを伴う注意だった。
残念ながらその芝居は全て見通しだ。

説教があまりにも長すぎるし、
同じ話が繰り返されている短期記憶が死んでる?ので、
通常は一段目か二段目に留まっているが、
珍しく小熊は怒り→虚無→冷静と三段目までたどり着いた。

そして教師に自身の愚かさに気づいてもらうために震えながらある質問をした。

私の親もこのクラスの教師だったら、
あなたは同じ態度を取るのか?

小熊、走馬灯を見た

口元に泡ができるほど饒舌だった教師がピタッと止まった。

目が一瞬揺らいてから、
更なる攻撃性を伴う目つきに変わり、
戦争は長引き、子供も大人も傷ボロボロになった。

自分を知りたくない

小熊はしつこい、
ギフテッドはしつこいから。
気になることに対して答えを得るまで諦めない。

その興味の対象が人間であれば、
ほとんどの答えが人間の深層心理にあるため、
リスクを伴う行動まで取ることもある。

小熊はその後も気になる人間に対して同じ問いをし続けてきた。
状況は多少違うが、どれも本質は同じ。

人間の「他人事」フィルター、
後に知ったその根源にある残虐性に対する問いだった。

自分の利益のために
・公益を犠牲にする人間
・他人を傷つける人間
・問題人物を擁護する人間
などに対して

・あなたと同じ人間を連れてきて戦わせていいのか?
・他人もあなたや身内に同じことをしていいのか?
・あなたが損害を受けている立場なら同じことが言えるのか?
と聞く。

これまでの人生で、
答えてもらうことは一度もなかった。

一度も。

Yesも、Noも、
それ以外の言葉もなかった。

人によっては目が泳ぎ始めたり、
しばらくの間の後にすごい攻撃性が現れたりするが、最終的に言葉も発さず、沈黙が訪れ、目を逸らし、小熊の存在を認知から消していく。

答えてもらえない度に小熊は人間に失望する。
やがて質問する回数も減っていく。
もう答えが分かっているから。

人々は、自分だけが特権を得たいのだ。

お互いに持っているが、
触れないようにする暗黙なルール。

それが人間というものだ。
この心理が全ての混沌を生み出し続ける。

いざとなる・・・ための逃げ道

自己愛性の高い人間にとって、
法律違反によるペナルティでさえも、
利益を得るためのコストと捉えることができる。

コストに善も悪も関係がない、
当然後ろめたさもないため、
悪人はその悪意を包み隠さずに認める場合が多い。

しかし一般人はどうでしょう。
彼らはたとえ自身に存在している悪でさえも否認する

・自身の悪を正当化する人間
・自身の悪を否認する人間

後者は前者しか見えない、
前者は後者を取り込む。

悪の存在を認めたら、
正しさを考え始める、
ストレスを感じる、
自身を否定し始める。

そうなると、
自身の欲望や本能に溺れるときに唯一の逃げ道を失うため、普段は自分にも外部からも見えないように薄い板を敷いておく。

これが認知防衛です。

最初は不慣れだが、毒親である人間の脳はあらゆる形で人間を楽にしようとするため、気づきを与えてくれた人間や概念の存在自体を排除したりする。

対話の喪失

感情処理が認知能力に追いついていない、対話の対象を失い、極めて孤独なギフテッドの子供にとって自ら考え抜くのはとても難しい。

「大事な質問を答えてくれない人々」というストレスから逃げるため、
「質問の存在自体を忘れる」方法が一番効果的である。

他人が悪の存在を否認したい心理。
上記の事実の存在を否認したい小熊。

小熊も、同じ方法に辿り着いた。

メタ認知の夏休み

人間は条件が揃ったら他人や自身の信念を裏切る。

その条件は利益や恐怖、承認欲求などがあるが、小熊の場合は孤独だった。

ダイヤモンドの繭

極稀に小熊の特殊性に気づいてくれる人も居たが、小熊は一度も心を開いたり、本音を言ったりすることはなかった。

「この人も違ったら」、「会話したら見たくないものを見てしまったら」といった恐れがあったから。

失望するぐらいなら期待をしない、
確認をしないことを選んだ。

人間に失望した子供の心を打ち解けるのはとても難しかった。

やがて自分の逃避行動にも気づいて自己嫌悪に陥ると、まるで体内に無数の潰瘍性腫瘍が同時に炸裂するような痛みをただただ耐えるしかなかった。

ストレス無きに、
人間性の成長は決して得られない。

ストレスがないように見えたら、
それは本人がうまく隠しているだけ。

子供は隠すのが得意でなくても、
大人は安心できるものだけを見たいので騙されにいく。

誠実さに欠ける商売

これまでの記事にも伝えた通り、
「持続的な善」に協力しない人間に積極的に資源を与えてはいけない。
奪う必要もない。

自分の内心の悪に甘えても、
経済的・社会的地位や欲しいものを手に入れられる。

↑という風に他の人間が理解してしまうと同じことを真似するから。

楽だから、
完全なる楽は人を理想から遠ざける。

辛い過去だろうが、
特性だろうが、
マイノリティだろうが、
新しく出てきたレッテルだろうが、
同じことをされたくないのに他人にはする自分も食わないうんこを他人に食わせる」ような人間はやがて犯罪でさえも正当化し始める。

世の中の教育や福祉、慈善団体の多くは教育や救済失敗による社会影響を気にしない。

失敗は「仕方のないこと」と簡単に帰結され、誰の仕方による失敗かという問いは心の奥底に封印される。

個人ばかりに失敗の責任を押し付けないのは良いことだと思うが、個人に責任を持たせないように問題自体を無かったことにするのは本末転倒である。

かつて上記の記事にも述べたように、
99人がAルートに行き、
1人だけがBルートに行くと、
相対的にBが極端集団心理=偏見に見える。

しかし上空から見れば、
100人ともAルートに行くより、
1人でもBルートに行くほうがバランスが取れる。

例を挙げましょう。
どんな投資をする際にも必ず注意事項に「リスク」が記載されているよね?

しかし、オルタナティブフリースクールといった教育投資に関して、日本に存在する無数のセミナーや講座、発表資料などに「リスク」の記載は皆無です。

もちろんリスクを必要以上に強調する必要はないし、必要という言葉に対する温度感も人それぞれかもしれない。

しかし引きこもりになっている/なっていた人々と不登校経験とは高い相関関係があるのに、どこにも記載がないのは明らかに不自然とは思わないか?

どこにも書き忘れたなんて、
確率的に奇跡と言える。

これは誠実な行動と言えるのか?
保護者の生存者バイアスを増長し、
自分の金や承認ビジネスに誘導していないのか?

相手の渇望を言ってあげれば、
相手の現実逃避を承認してあげれば、
すぐ信頼が取れる。

告知もせず、
注意すべき指標も提示しないまま、
他の子供より大きなリスクを背負わせるのはあまりにも残酷すぎる。

ほぼ全ての種類の子供向けの支援や居場所サービスは、子供じゃなくなったら引きこもりだろうが自殺だろうが彼らは関与しない。
大人になる前にコスパが悪ければ見放すこともよくある。

勇気を持ってサービス提供者のコスパ志向を確かめておくといいと思う。
その人がどこまで絶望を想定し、
どこまでの対策を練っているかで分かる。

教師だろうが、医者だろうが、
学者だろうが、4児の母だろうが、
コスパ志向の人間は他人のために絶望的な状況に一切リソースを費やさないから。

メリットがデメリットより多いことでも、
誰かがデメリットを提示し続けないと、
デメリットは忘れられてしまう。

負の伝承

類は友を呼ぶ。
同じ思想や認知特性を持つ人々が同じ集団に集まりやすい。

自ら友のように仕上げることもできる。
自慢話や無意識な言動を通して、そういった思想・認知は伝染病のように、同じ組織や地域の人々に移ってしまう。

その集団が大きくなっていくと、
テクノロジーの力も借りて、
火のように様々なところに飛び移り、
持続性の長く母体数の大きい概念、
いわゆる時代へと変わっていく。

正しい絶望を持つ

70年代〜80年代の環境活動家は、
妬みを持つ高度経済成長期の敗者と見られた。

90年代〜00年代の環境活動家は、
陰謀論信者やインターネット中毒で頭が狂った変質者と見られた。

そして今はどの権威的な組織もある結論を導き出した。

人類は確実に滅亡に近ついている。

仮に今人類が消えたとしても、
悪循環に入った破壊は数千年経っても回復できない。

つまり、終末期に突入しない可能性はほぼ存在しなくなっている。

終末の世界は長いが、
終末の開始までにあと数十年しかない。

そしてこれは環境保全だけの話ではない。

飢餓と戦争、エネルギーや医療、居住資源が足りなくなると人間は獣に戻る。

それまで培ってきた法律や人権、平等、ジェンダー、多様性などは「仕方ない」という言い訳に上書きされる。

今もストレスフルや欲に溺れると、
人間は「仕方ない」と言いながら悪に加担しているからね。

SDGsやLGBTQ、DEIなど新しい言葉が次々と出てきて、環境保全や社会福祉に参加する人もむしろ増え続けている。
それを謳い文句にする企業も増え・・・逆に言わない企業がある?

参加していない人はそれで安心する。
参加している人も自己肯定感を満たされて安心する。

最初から「安心したい」が目的だから、
それ以外のものは見えなくなっている。

善は奇跡より理の軌跡

あなたの行動が昔の人間、
いや、たとえ昔の善人と同じでも、
ご覧の通り、この世界は悪化する一方。

本当にかつての善が全て善だったら、
本当にかつての善で足りていれば、
こうはならなかった。

結果論に聞こえたら、
その善の軌跡を確認してみるといい。

広まっているのか、
伝わっているのか
繋いでいるのか、
改ざんされずに引き継がれているのか。

一部の善は自分の安心感や自己効力感、
極一部の利害関係者にしか繋がっていない。

いつも伝えている
・理由をつけて他人を傷つける人間
・理由ならぬ理由で傷つけられる人間

後者が全て救われるまで、
前者に積極的に資源を与えるのは善と言えるのか?

個人の幸福、
仮にたくさんの個人だとしても、
それは終末を遅らせる、
もしくは終末に突入した後に人間性の回復に役に立つのか?

「幸福感」は「認知防衛」に勝てない。

でなければ、
収入と友人を増やせば、
ドーパミンとセロトニンを薬で増やせば、
積極的分離のレベル5に到達するだろう。

課題の解決は、
「緊急性」より「重要性」が優先、
と社会人なら学んだことがあるはずだ。

とりあえず緊急安心したい
避けられない終末重要・クリティカルに備えて人間性を強化する
どっちを優先すべきか?

物質の豊かさは増えているように見えるが、
人々は取引したもの、失うもの、リスクをますます見ないようになっている。

皆さんの善は、
どこまで見据えているのだろうか?
自分が生きている間とか。

そう、結局「自分」が主体になっている。

善の主体は、
個人の寿命に囚われない世界のはずだった。

未来に性善説を

人間の悪、その多くは深層心理に潜む悪を覗き続け、検証し続けるのがとても心に負担の大きいこと。
人生は風邪を引いているようでずっと悪寒がする。

キリのない、消しきれない、外部からできることが限られているこのタスクはタフすぎるため、現実から目を背ける人も多いでしょう。

とてもそうに見えないかもしれないが、
実は本熊は性善説の人間が大好きです🐻
🐺チワワ「・・・・?」

ただ、それは性善説でいても安心して暮らせる世界を前提とする。
🐺チワワ「・・・・💡」

そういう世界を作るために、
とても残念で、悲しく、
絶望的に感じるかもしれないが、
私たちは今その性善説に逃げることはまだ許されていない。

内部の人間利益共同体を外部の人間と、
・同じような基準を課することを短期目標
・同じように愛することを長期目標
にすれば、その世界は実現される。

全体最適の善の理から見れば、

前者だけでも、
かなり性善説の人間の安全は守られる。

後者だけだと、
かえって終末は近づいてくる。

では、またお会いしましょう。

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熱帯雨林の熊 お気持ちだけで十分です。 お金は自分より立場の弱い人に使ってくださいね🐻