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ギフテッドの処世術④ー価値という守護神

熊です。

きっとこの記事をご覧になっている方もダブル台風による自律神経爆弾を乗り越えた猛者でしょう。
地震もあったしね。

そしてこの記事が別の意味で頭痛の元にならないように祈ります。

↓ちなみに、前編はこちら
(いつの記事かよ)

文書が長いと皆様の負担になりそうなので、今回は短め(嘘)


夢物語という薬物中毒

社会の変遷からある過程が観察される。

人間は全ての欲求を社会需要として包装し、その欲求の種類と度合い、社会コスト、全体バランスの考慮が足りていない場合が多い。

次は改革の大旗を振り始め、
人数を集めることで他の需要を制圧する。
SNS運用が得意な者が勝ち、
沈黙は黙殺を意味しているから。

改革がうまく行かなければ独善や逃避行動に移し、改革が終わらなくても勝手にあとは任せる(対象も居ないのに丸投げ)

教育に関しては様々なSNSを通して、
海外帰国者、海外在住者、
海外留学者、教育研究者、
育児に躓く保護者、
多くの人は口を開けては海外をベタ褒め、各国の文化や歴史、社会構造などは商人の目を通してしか知らない。

そして、
住んでもいない、
住んだこともない、
旅行すらしたことがない、
住んだとしても都合の悪い例を無視しながら、夢物語だけを広めていく。

何回もお伝えしたが、ギフテッド教育の成果を出した国はどこにも居ない。
そもそも測定可能な指標を決める勇気のある国すら今まで居ない。

目標っぽいものは、そもそもギフテッドの特性と関係がないものばかり高IQ児の観点から逸していない、ギフテッドの大人の声も取り入れてもいない。

第三者から第一人者に降りる

仮にね、仮によ、
仮に欧米のほうが教育制度が良かったとしても、アジアと比べて欧米のほうがよっぽど野蛮で残忍な社会構造だったことを忘れないでほしい。

そして欧米はどうやってアジア人に羨望な眼差しを向けられる国になったのか?

ヨーロッパは今も口がデカくて偉そうに他国を見下す割に、一番ケチで様々な分野に金を惜しみ、自分の国さえ良ければいいと考えている独善的な連中だ。

欧米は科学の発展が早いだけで、
人間性の欠落は長い間はドン底だった。
その科学は人種差別や奴隷制度に大きく関与していた。
どの国も乗り遅れを恐れてそのマーケッティングに参入していた。

これまでの地球上の戦争を起こすのも、
加担するのも、見逃すのも、
どいつも当時最先端の教育を受けてきた連中だった。

欧米の感銘を受け、
アジア最先端の教育水準を誇った日本もね。

天皇だけのせいにするのはやめよう、
あんな戦争口実はいくらでも作れる。
そのうち発達戦争も起きそうだし。
ギフテッドはどっち側とされる!?
2Eとの区別も厄介だな・・・
脱線、失礼しました。

ここ数十年の世界は、
「戦争を起こさない」、
「戦争に参加しない」だけで善とされ、

「どこで戦争が起きているのか」、
「どこで侵略の準備が行われているか」を知らなくても大丈夫のようになっている。

教育は人間性を推進できるなら、
何故こういった事が起きるのか?

学校では絶対学生に考えさせない人類にとって一番大事な死活問題だ。

人々は洗脳されたかのように「戦争は良くない」と言える立派な人間と思いたいになっているが、当時の時代に生まれたら自分は飲み込まれずにいられるのか?

たかがの会社のハラスメントもほとんどの人はあたふたするのに、それが戦争の邪悪さと比べたら屁みたいなものだ。
屁以下かもしれない。

自分はどこまでの利益と恐怖に対抗できると思うのか?そもそもどこまで想像する勇気があるのか?

ニュースで凄惨な犯罪を見て正義感溢れる心をブルブル震わせる方は多いが、
勇気というのは知識と教育ではなく、
生命の危機を脅かされる状態でしか訓練できないものだ。

捨てたのは国か自分の成長か

日本は「誰でも暮らしやすい国」より、
「より声が大きく弁が立つ者が優先される国」、「不満があれば捨てればいい国」になってきている。

だから、ますます暮らしづらいと感じる人が増えている。

結局「諦めるタイミングが違う」だけで、
そして「諦めた理由は一緒」・・・
「私の自由だから別に良いでしょう」と。

そんな簡単なロジックで良いなら、むしろもっと早いタイミングで気づいてその生き方に徹した愚か者と思われる人々のほうがよっぽど賢いとも言える。

偏見という生き心地

偏見というものは、極めて高い知性と強いストレス耐性がないと抜け出せないもの。

本熊の宇宙船がこの国に墜落してから数々数々数々の偏見を観察してきたが、読者の皆様が一気に精神崩壊しないように二つだけシェアしときます。

①夫婦同姓

夫婦別姓問題はしばしばニュースとして取り上げられているが、ルールで自分自身を縛るのが好きなド変態権力層は心理面からこの問題を分析したことがない、させない。

皆さんは、物が古くなったら新しいのを買うかもしれない、飽きたら別のものを買うかもしれない、最新型の電気製品が出たら買うかもしれない。

しかし、自分の名前が好きじゃなくても、他人の名前を見てかっこいいと思っていても、名前を変えるのにかなり強い抵抗感があるはず。
「いいな」と思う程度で、
「変えてみよう」という思考まで辿らない。

人間の名前は過去の全ての記憶と出来事に連結しており、言わばその人のパーソナリティに紐づいているもの。

だから、変えるのに生理的嫌悪感に近い抵抗を感じる。

では、結婚したら他人の苗字に変わることは、本当に人間の内心に何の影響もないのか?

それはパーソナリティの主導権の一部を他人に渡す、もしくは委ねることに近い。

それは信頼とは全然違う働き、
部分的な服従だ。

②主人

前提を疑う、前提に興味を持つことは処理性能と認知能力、短期記憶に大きく関与している能力である。

理解していない回りくどい言葉で揶揄されたら腹が立つし、自らもそういう表現を他人にはしないはず。

しかし漢字を使う国として、皆さんは自分が使っている全ての漢字の成り立ちを理解していますでしょうか?

例えば、
女性が自分の男性パートナーのこと、
もしくは他人の夫のことを「主人」と呼んだりしますよね。

主人は本来では、
奴隷が持ち主に対する呼び方
です。

「そういう解釈もあるだけ!」
と信じたい方にごめんなさい😞
この解釈の意味しかないです。
言語能力マックス熊がちゃんと勉強しました。

この呼び方は自らを奴隷のように扱うこと、他人に対して使えば奴隷関係を強調することになる。

何故ジェンダーが日本ではなかなか進まないのか、お分かり頂けましたでしょうか?

こういった言葉は、人間の潜在意識に悪影響を働き続けているから。

そして潜在意識は黴以上にしつこくて取り除けない存在である。
梅雨の電車の匂いみたい、
腰が抜けるような酸味。

ちなみに余談ですが、
学校や職場で勝手に自己愛性の高い男性に「ちゃん」付けられても、下の名前を勝手に呼ばれても、セクハラのような言動をされても、男性の遊び心と支配欲に付き合う女性もたまに居るよね。

大体男性は「利益のために合わせてくれそうな」女性に対してそういう行動をする。
最終的にどんどん大胆になって相手を選ばなくなる。

そういう男だけではなく、
合わせる女を見るたびに反吐が出ます。
売春は歓楽街でやれよな。
精神的な売春を含めて🐻

記憶喪失という幸せ

人間は自分を騙すのが得意な生き物。

そして、
忘れるのが得意な生き物。

同じ物事に触れた子供の頃の気持ちを忘れた。
今の自分と同じような大人を見た子供の頃の気持ちも忘れた。

そうやって、
かつての自分を殺しながら今だけを生きる。

可能性は「期待」、
そして「失望」を意味するから、
殺さないといけない。

変わった自分だけを覚える。
何がどう変わったのか、
何故変わったのかに興味を持たなくなる。

意識を前線に残す

最近ご縁があってまた新たなファミリーに出会えた。

【熱帯雨林の熊ー豆知識】
人間性として敬意を示す対象を勝手に家族だと思い込む。

🐺チワワ「ギフテッドキモい」

その方は、苦しい学生時代や教育制度への不満、不当な扱いを受けた経験を乗り越えて、その後遺症や健康被害が解消しきれていなくても、教育の現状を知るために現場と接して情報を取得しつつ、子供にヒントを与えたりしている。

他人の人生に貢献したいプラス行動はもちろん、乗り越えたら問題から目を逸らすというマイナス行動を取らないのも、どちらも素晴らしい知性の証明だと思います。

何だか照れるな🐻

価値という守護神

知性の高い人は自省心が高く、
記憶力が良く、感情処理が深いため、
罪悪感と後悔と失った選択肢の中で生きていくことが多い。

知性の高い人がみんな死を選んだら、
どんな人が残っているでしょうか?

そんな世界に、
まだ死ぬ勇気のない人が居たら、
これから生まれる善良な人が居たら、
彼らにとっては正真正銘の生き地獄でしょう。

「死は自分だけの選択だから」と思うかもしれないが、その行動を取る人が居れば、それを魅力的に感じて追従する人も増える。

かつて一部の哲学者ぶる腰抜けは、
死の伝染病ばかり広めた。

「生きてみる」という姿勢を見せるだけで、その理由を探るために生存者は増える。
それが確率的に乗り越えた者に繋がる。

自分は進化の意思の一つの駒という冷たい考え方は、一部の仲間の生存とより良い社会の実現を作り出す熱情になる。

一足飛びにはできないが、
過去の苦しみではなく、
「自分が見つけた価値で生きてみる」ことを意識してみてほしい。

「人助けを職業にするべき」ではなく、
「斬新なアプローチをするべき」でもなく、
「行動結果を最大化するべき」でもなく、
「行動実績を伸ばしていくべき」でもなく、
「人助けの割合に一番多くの時間を割くべき」でもない。

既にある、
歴史の長さを問わず、
類活動の中の価持続的な善値を見出し、
それに意識を向け、
肌感で分かる距離に近づき、
同じものに引き寄せられた他の個体とも支え合うことができれば、これまでの苦痛は消え去らなくても、これからの困難は現れてきても、道を作ることはできる。

勇気はとても不思議なもので、
あると思えばあるし、
ないと思えば能力が高くてもないと等しい。

では、またお会いしましょう。

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熱帯雨林の熊 お気持ちだけで十分です。 お金は自分より立場の弱い人に使ってくださいね🐻