積極的分離ー悪との距離
熊です。
これまでの記事で「サイコパス」という言葉を何回か触れたことがありますが、今回は少しだけ深掘りをしたいと思います。
悪魔は実在する
人口の1%ほど存在するサイコパスは古くから世界各地で悪魔や魔物のモデルとして描かれている。
小熊の頃からこの個体の異質さによく気づき、というより気づかされる感覚の方が正しいかもしれない。
様々な側面において、サイコパスはギフテッドと真逆な存在であり、同じ環境に居れば相容れは不可能で、多分ギフテッドは餌食になってしまう。
ただ、何らかの理由でギフテッドらしく生きていないなら、脅威として見なされないかもしれない。
良いことなのか、悲しいことなのか。
持ち続けたくない大事なモノ
サイコパスは共感力を持たない、良心の呵責がないとよく聞くが、それはどんな状態なのかをより具体的に表現していきたい。
皆さんはゲームをやるときに、操作ミスでゲーム内の主人公が高所から転落したり、敵に倒されたりして死んだら悲しむのか?
最初はするんでしょう。
でもそれでゲームをやめるのか?
やめなくてもやめたい気持ちはあるのか?
その気持ちは持ち続けられるのか?
自ら持ち続けたいのか?
人間の感情が変わることはとても難しく時間もかかるが、認知を変えるのは割と短時間でできる場合が多く、そこから感情も変わってくる。
例えば、愛する人が亡くなれば悲しい感情を無くすのは難しいが、天国に居るとか、またいつか会えるとか、見守ってくれているとかのような認知を作ったら感情が和らぐことが多い。
こういう認知は様々な形として人類社会の隅々まで浸透している。
多くの人はゲーム内のキャラが死んだのを見ても、その処理は扁桃体による感情の共感力より、前頭葉による認知の共感力のほうが優位のため、すぐ他の処理に上書きされやすい。
例えば、ゲームをクリアする目的意識。
例えば、高所を飛び回る刺激。
例えば、上達している自己肯定感。
だからゲームがリアルになってきているが、人間はそれでゲームをやめたりはしない。
サイコパスにとって、
人間はゲームのキャラのような存在である。
NPCを倒すのも倒さないのも、
単純に倒すのも弄んでから倒すのも、
気分と報酬と自身の実行力次第。
知らない人に話しかけすぎると申し訳なく感じるが、NPCに対して同じ気持ちを持ったことがあるんでしょうか?
守らなくていい環境整備
法律は人を守るものではなく、
人を制限することで社会を守る概念である。
人間にとって、
法律が目指す状態を理解することは、
法律を評価することには繋がらない。
本当は、法律を破った場合の不利益を回避しつつ、同時に法律が自分に有利な方向に変わることを一番期待している。
例えば、同じギャンブルでも合法と違法のものがある。
合法なギャンブルであれば、
ギャンブルであっても罪悪感は感じない。
日本で違法とされるカジノや麻薬でも、合法とされている海外の一部の地域であれば、安心して堪能する。
何故安心できるのだろう。
「自分の利益」を通して世界を見ると、
「A.守るほうがいいルール」と
「B.守りたくないルール」が生まれる。
そして、
「B.守りたくないルール」が
「C.守らなくていいルール」になる環境を探したりする。
続・ナイスファウル
またナイスファウルの季節が来ていますね⚽️
皆さんもご存知の通り、
スポーツではファウルをよく活用している。
「ナイスファウル😆」
「グレーなプレイもスキル😏」
「絶妙なラインを攻めてる😆」
「これもゲームの一部だ😤」
などはよく聞く。
ルールの本来の目的を理解していれば、
「お前もやればいいんじゃん🤨」
「バレたら認めればいいでしょう🙄」
「ルールは法律ほどではない🧐」
のような開き直りはしない。
犯罪者と一般人の違いは、
生まれた時代や置かれた環境のルールによって満たされた欲求の割合にある。
もちろん閾値には個体差がある。
1000年前の時代に生まれたら、
皆さんは当時のルールを全部守るつもりでしょうか?
「ルールが自分の正しさについて来られないなら守る必要はない」というのは犯罪者に共通する思考である。
正しさを考え続けることは、
必然に自分自身の欲求と衝突してしまうため、自死や精神疾患のリスクを負ってまで追求する人は居ないと等しい。
二つの究極の自律性
多くの犯罪者は衝動性が強く目先の利益に意識を囚われやすいだけで、全く良心の呵責がない人間は実はかなり珍しい。
彼らが法律を破る場合には明確な目的があり、それは「一般人でも理解できる」利益である。
例えば、
信号無視は時間を節約したいから、
脱税は買いたいものがあるから、
人を殴ったのは腹が立つから、
とか。
また、子供はルールを破ったらどうなるのかが気になって敢えて破ってはみるが、その先の状況を理解したらわざと破らない。
しかしサイコパスは、
ルールは破ってからこそ意義があるとまで考える。
まるでゲーム内で裏技を見つけたかのように、法律と競うことが楽しさの一つである。
積極的分離は全体最適を図る自律性を成し遂げる。
これは行動を制限する意味だけではなく、最善を目指すような行動を促す意味でもある。
一方、サイコパスは快楽をもたらしてくれる神経伝達物質の最大化のみを信条に生きる全く別のタイプの自律性を果たしている。
そして、サイコパスは特定かつ特殊な行為に極めて強い興奮や快感を持つ場合がある。
一般人には想像しづらいが、
恐怖を感じず、他の人間に共感できず、良心の呵責もなければ、人間の行動範疇は非常に広がる。
一般人が想像できる異常は正常な域を超えることはできない。まして実行まで。
高い能力や勇敢に見える行動が評価され、かつ法律を破らずに自身の欲求を満たせる場合、彼らは犯罪をしない。
カリスマ的な存在となる場合も少なくない。
しかし、
犯罪をしないのもただの偶然で、
してはいけないと思っていない。
必要があれば、いつでもその「微塵たりとも」認めていない法律を破ることができる。
代替案で本音を引き出す
人間の本音を引き出すには、
「相手の話の前提に沿って他の代替案」を提示するのが一番効果的である。
多くの人は、犯罪者が自分に接触しない状況だけを正解だと考える。
他の誰かが接触しても・・・こっちの問題ではないと言う。
皆さんも学校や会社で様々なハラスメントを見たことは絶対あるはずだが、行動したことは人生に一度でもあったのでしょうか?
言い訳ランキング
1位は「私には判断ができない」
2位は「色んな人に迷惑をかけたくない」
それを公的機関の窓口と相談すればいいのでは?文書作成も相談先もAIに丸投げすればいい。
責任範疇の考え方は、教育や知識、知能ではなく、人間の知性に大きく依存する。
何故かと言うと、知性を支える要素の一つである共感は教わるものではないため、外部からはせいぜい体感してもらう機会を作る程度しかできない。
子供が上司になりつつある時代では、
体感する機会すら作らなくなる。
例として、育ちきった尊大型ASDが様々な場所で問題や犯罪を起こしている。
【脱線】
時々Noteのギフテッド界隈でも見かけるが、話に具体性がない割に漂う自己陶酔と的外れな他者分析はいつも見苦しく、彼らのそばに居る人間はどれぐらいの苦痛を体験しているかは想像しやすい。
現実世界では、
彼らは特性を言い訳にしつつ、
他の同類には決して接触しない。
自分の特性に問題を感じなければ、
同類も受け入れられるはず。
実際は家族同士でも嫌悪し合っているのが現実。
同じ特性の同類を不愉快に感じたら同じ行動を他人にすべきではない。
そこに扁桃体もミラーニューロンも関係なく、本来甘やかされていない前頭葉だけで解決できる話。
しかも奇妙なのが、いくら一般人をカサンドラにしてもやめないが、権力層に対して態度が変わる場合がある。
この問題について、特性万々歳の専門家はいつも回避している。
人間って小賢しいからね。
尊大型ASDも専門家も。
イーロン・マスクとトランプ大統領のように、尊大型ASDとナルシストは共通利益で惹かれ合うことは歴史上とても多い。
しかし、両方とも唯我独尊のため、
ハネムーンは短く、すぐ決裂する。
教育をしないのではなく、
教育の効果を過信するパターンもある。
「元々」自ら成長するタイプの人間が教育を受けた後に成長を見られると、それは教育の効果と安易に帰結され、全ての人間に再現性があると思われる。
ただの偶然や実は教育の効果はそこまでなかったと考えると自己実現欲求を満たされないし、永遠に法則性を見出せない不安に悩まされる。
子供の世界と大人の世界は、
どっちのほうが冷たいのか?
変な行動をしている同級生を見かけたら子供は先生に「告げ口」をするが、大人になったら「沈黙」がベスト。
マナーと教養は、
圧倒的に大人の方があるのに?
大人は人助けでさえも、
職業やビジネスにしないとできない、
報酬を受け取らないとできない。
商売がうまく行っても、少し利益を削ってサービスを貧困層に提供するより、人気を理由に値上げする一方。
これらは何を意味しているんだろう。
私たちは良識を心の底から尊重するより、
良識と見せかけることによる利益を学習しただけである。
だから行動に一貫した良識が見られない。
どんな顔を作れば、どれぐらいの有形無形の報酬が貰えるか、というコスパを計算しながら生きていく。
これが脳内花畑の連中が作った教育の成果である。
都合の悪いことの価値
あらゆる分野にも通じる話だが、
研究や支援に携わる立場の人間は、
対象と関わる「全ての関係者」に興味を持つことができなければ、そのうち偏る視点に囚われても気づかない。
研究を進めるためには違う仮説やアプローチを作り出さないといけないため、社会のために研究する立場が、社会にリスクを与えても仕方ないと勝手に思う立場になりかねない。
犯罪者や危険性の高い一部の精神疾患と接する際に、相手だけを見ると洗脳や操作、支配される危険性がある。
一番騙されやすい人の特徴は、
知能の低さでも知識の乏しさでもなく、
疑おうとしない姿勢である。
犯罪者はよく
「ペナルティを恐れる涙」を
「反省の涙」として見せることで同情を得ようとする。
「うまく隠せなかった悔しさ」と、
「やったこと自体への後悔」は、
どっちも同じ泣き面。
涙の種類を深く考えて区別しようとしないと、簡単に騙される。
犯罪者自身でさえも自分の演技に騙される。
自己実現欲求に囚われている人はこうやって悪の土壌を作らされることはしばしばある。
優秀なやつほど、利用価値が高い。
賢いやつほど、騙せたら達成感がある。
プライド高いやつほど、現実逃避。
優しいやつほど、死ぬまで耐えようとする。
悪魔は善人に訪れるので、
皆さんもお気をつけくださいね。
悪との距離
犯罪者に対して、
それでも助ける、許してみる、
成長を待つと言う人間は少なくない。
こういった発言に問題があるとは限らない。
熊の母国も更生した元犯罪者に寛容的、かつチャンスを与えたり応援したりする社会です。
しかしそういった発言の裏にある動機次第、もしくはこなすべき仕事をサボる場合なら問題となり得る。
例えば、宗教野郎の多くは、
自分に悪いことは起きないと信じている心理が実は根底にあり、彼らは意地にでも「自分の家族が被害者でも許せる」とまで言いながら自己陶酔に浸る。
人間の本音を引き出すには、
「相手の話の前提に沿って他の代替案」を提示するのが一番効果的である。
仮に家族が被害者になっても許せるのであれば、「事前に」家族や友人にそれを宣言しても何も難しくないはず。
むしろより誠実な情報共有になる。
でもそれはできない。
自分自身の言葉を信用していないから。
事前共有によって人が離れるのを恐れれば、事件後も当然恐れるはず。
事前共有によって家族を不安にさせるのを恐れれば、事件後はもっとできないはず。
人間は自分を騙すのが得意な生き物です。
問題行動を起こす人物を見る際に、その人の行いによって生まれた被害者を確認する、そして全ての被害者までを確認する、そして文字だけではなく映像や対面までを確認する勇気を持つ研究者や支援者は極めて稀である。
全てを確認しないと、
その人物を理解したとは言えない、
理解しようとも言えない。
これが何より大切な仕事だ。
この場合、結局理解したのは
「問題人物の目を通した世界」でしかない、それは盲目と呼ぶべき。
だから、
「人間と共感できない」サイコパスと、
「自ら共感しない行動を選び得る」一般人が同じく積極的分離理論のレベル1に分類されている。
🐻熊「分類した人がちょい厳しい気もする」
🐺チワワ「・・・お前が言うな」
もちろんギフテッドもレベル1から人生を始め、個体によってはレベル1に戻って人生を終える。
↑ほな中立性は保っているよ🐻
悪との距離は離れた二点ではなく、
重ね合わせのような確率の状態のため、
ゼロでもあり無限でもある。
人間「同士かどうか」は見た目ではなく、
遺伝子の近接性でもなく、
中身(心理状態)によるものである。
とりわけ、
人間に対するあるべき姿を自ら定義する意志こそが人間と称するべき部分である。
それが私たちを動物と区別し始めた。
そして始めたばかりにしか過ぎない。
では、またお会いしましょう。
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お気持ちだけで十分です。
お金は自分より立場の弱い人に使ってくださいね🐻