ギフテッド教育・支援の解体新書
熊です。
久しぶりです。
いつものようにこの界隈の人間をマグロ解体ショーのように精神分析していきます。
ちなみにマグロ解体ショーが大嫌い。
死体を店内で回して客に見せつけるのがきっしょすぎる。
新鮮かどうかは食べたら分かるだろう。
食べても分からなかったら見て分かるもんか。
逆に見て分かったつもりで食べたら結局分からなかったら何だったの?🐻
目次の時点で既に長い・・・
「自己実現欲求」という癌
この界隈に興味関心をお持ちの方なら既に痛感しているはずですが、
日本の「ギフテッド教育・支援」は、
貪欲と頓珍漢だらけの世界になっている。
とりあえず子供に笑ってもらい、
そこから勉強もしてもらえれば、
この世界は上手くいくという脳内花畑に浸る教育・社会福祉団体が溢れている。
大人って、大人の世界の問題に向き合う勇気がない場合はすぐに子供を自己効力感の道具として使う。
「とりあえず」という近視眼
ここ数年は、ニューロダイバーシティや
発達特性、多様性、個性などの言葉が流行っているせいで、それぞれのマイノリティを理解かつ適した人材を確保する前に、
とりあえず「受け皿」を作ってみると考えている支援団体をよく見かける。
だからギフテッドをASD、ADHD、LDといった発達障害と一緒に並べることが、子供支援の定番となっている。
信じたいものを信じちゃう👁👁
世の中に、
ギフテッド2Eという特性は存在しない。
「ギフテッドによる特性」か、
「発達障害による特性」かしかない。
切り分けて考えてみても、
ギフテッド特性と言える部分はあるのか?
一個二個程度でギフテッドと言えるかな。
そこから「真実はどうであれ信じたいものを信じちゃう」心理が作動し、ギフテッドグレーゾーンが無限に広がっていく。
「プライド」による現実否認
支援団体は一度支援対象を決めたら、あとから理解できないことを認めて外すことはプライドとして許せないし、マーケティングとして広く扱えば金が増えるし、非営利だとしても利用者と種目を増やせば支援者の自己実現欲求に繋がり、人間の数による偏見を利用して偽りの信憑性に誘導できる。
商人に承認されて偽りの安心
「ギフテッド子供」のアクセントはどこでしょう?ギフテッド?それとも子供?
ギフテッドの子供は、
ギフテッドの大人になる、はずだった。
一般的な大人ではなく。
定型発達になってほしいなら、
何もしなければいいでしょう、
そのうち本人が夢に落ちるから。
じゃ・・・
ギフテッドの大人って何?
ギフテッドの大人を、見たことがある?
話は分かりやすかった?
ならばあなたもギフテッド
・・・なわけないよね。
遺伝の可能性はあるけど、保護者もギフテッドなら一般人によって構成された支援団体を頼る必要はない。
頼ろうとしている時点で保護者の脳みそは違うのに、何でギフテッドに関する話が分かりやすく感じるのか?
分かりやすい話のほうが都合が良いから。
商人にとっても、
承認されたい保護者にとっても。
分かりやすい話じゃないと、
信じることができないから。
理解しにくい「真実」より、
理解しやすい「信仰」が良い。
「無関心」という伝染病
結局こういう団体は、
支援者と保護者の欲望と弱さの投影によって生まれたもので、これからも増えていくでしょう。
日本のギフテッド教育の現状はまさにこの国の冷たさと人間性の迷走と自律性の欠如を反映したものである。
多くの現代日本人は、利害関係者が居る場合だけ立派なふりをしているが、そうじゃない場合は社会と他者に無関心。
驚くほど、無関心。
「集団催眠」という麻薬
集団に居る人間は、
自律性が持てなくなる場合が多い。
思想的な麻薬は繊細な人の不安を補うのに強力な効果を働くため、
自覚できずに堕ちる時期と、
悪への協力方法は違うかもしれないが、
その麻薬は人々をあるべき姿から遠ざけてしまう。
また、
悪い制度内に居なければ、
あたかも問題は解決したかのように感じる。
場合によっては、
自分に都合が良ければ、
別の悪い制度を作っても問題なし、
となってしまう。
悪いと思わなければいい。
ただの自由と権利だと思えばいい。
お前らもやればいい。
「才能」という外野の投影
ギフテッドの才能に関する研究者や教育者、支援者、保護者といった非当事者の議論が氾濫する中、当事者の私見を述べさせてください。
ギフテッドの才能を最大限に活かしたいなら、社会にぶつかってもらう必要がある。
ぶつかるだけでは不十分だが、
必要条件ではある。
結局、日本のギフテッド教育は、
「一般人より優れるように見えるが所詮一般という軸から外れない才能」を育てるだけ。
浅はかな評価軸による優生思想である。
君たちが言うように、
神の子は100人に2人の確率なら、
数の子のほうが市場価値が高い。
八百万の神との信仰と関係あるかな?
ワケワカメ🐻
死んでいるギフテッドネス
敷かれたレールに乗せられ、社会に順応して楽しく生きていく”だけ”を目標にしていれば、もうギフテッドネスは死んでいる。
「個人」としてのギフテッドではなく、
「役割」としてのギフテッドを想像することが大事。
「希少な役割を」
金と承認欲求と競争本能に目が眩んでしまった大人たちが期待している狭い役割だけではない。
「幸せな子供」と「不幸な社会」
目の前の「子供」に喜んでもらうより、
その「ギフテッド」が、
自らの特異性を育んでいけるように対話の姿勢を作り、タイミングを伺うことに重点を置くべきだと思う。
柔軟な支援は、
柔軟な発想と姿勢から、
そして先見性のある認知から。
この社会の子供支援の軸は
「如何に子供をこの大半の社会人が不幸な社会で勝者にするか」にある。
本来は「この社会を整備し続けられる人を整備していく」ほうが、将来社会に入ってくる子供たちのメンタルヘルスに役立つし、持続的な人間性と社会の成長に繋がると思う。
だから、ぶつかることを恐れず、
弱さに負けずに大人が信念を持って、
問題行動を起こしたり時代の進歩を阻害したりする他の大人を抑止することがとても重要。
残念ながら、
「自由」と「多様性」という便利な言葉によって、他人事も綺麗事にできるようになっている。
前提を確認すること
・ちゃんとしようとして実は的外れなことをしている
・ちゃんとしているつもりだけど、必要最低限のクオリティを満たしていない
・ちゃんとしているように見せかけている
・創設者はちゃんとしているのに周りの連中の理解が追いつかないか暴走する
社会活動はこういったパターンが多いので、本熊は「前提」および「それぞれのプロセスが前提と論理的に紐づいているか」を気にしている。
途中で人間の欲と愚かさに改竄されないように。
プロセスによって利益を得られたら、
人間は前提の正当性を無視するから。
偏見のコレクター
多くのギフテッド支援団体からは、
非常に偏った思想を匂っている。
特に対話より先に資格を取らせたりすることは、最初から偏見を仕込んでくるようにも見える。
受ける側は、今後その資格にない情報や真逆な情報をどう扱うのか?
偏見なしで扱える人間なら最初からリアルを探しに行く。
その偏見を頼らない心、
前提を疑う脳が、
まさにギフテッドそのもの。
才能と人間性
才能や知能が高ければ、先天だろうが後天だろうが人格的な欠陥や人間性の欠如、社会性に対する諦め、教育失敗を全部特性という言葉に逃げるこのご時世は、まるで怪獣大乱闘。
権利と義務を片方だけ語ってはいけない。
それは現状維持の社会に繋がるだけ。
自立は全ての人間の義務だから、
特性だの、能力差だの、
過去の辛い経験だの、
死にたくなければもう言うのをやめよう。
ネットで承認し合って安心感に浸っても、社会へ八つ当たりをしても、現実逃避や問題を先延ばしても、急にそういった麻薬が効かなくなる時期は来るよ。
人間の脳は麻薬に慣れちゃうから。
だからスピ系と宗教はどんどん”覚醒”していくよね。捻くれ者がいくら認知防衛をしても最終的に誰かに暴力を振らないと気が済まなくなるよね。
知能と知性
人間は知能と知性の2つの側面から成り立っているが、知能の使い方は知性次第である。
そして知性は認知神経基盤と共感力の相互作用による心理状態。
ギフテッドの特異性を作る積極的分離を知るだけではなく、深く経験するために第三因子を具備する必要があり、それは本を読んだり資格を取ったりすることで得られるものではない。
認めたくないもの
病気を理解するのに知識は役に立つかもしれないが、ギフテッドを理解するのに一般人はむしろ自分の積極的分離の退行や停滞を先に克服しないといけない。
これは彼らにとって非常に受け入れ難い事実であり、かつ乗り越えられるものならこうはならなかったというジレンマでもある。
支援者は自分の限界を認めることができず、無意識に支援対象を矯正したり都合の良い方向に誘導したりする。
それがメサイアコンプレックスの怖さでもある。
真偽不明な社会
全ての支援分野がそうかも知れないが、本物の情報を”借用”しながらAIと組み合わせて商売する人が増えている。
当事者が支援団体と会話することで上記のようなリスクは生じうるが、他に分かり合うチャンスがないので、私は楽観的にならずにモニタリングしている前提なら反対はしない。
でも利益共同体に飲み込まれないことだけは気をつけてほしい。
金と情で人を懐柔するのは容易いことだから。
助けたのは「ギフテッドだった」
第三因子を具備しているギフテッドでさえ、戦争や災難がないと目覚めなかったり、
利益と恐怖に跪いたりもする。
特に後者の半端野郎は餌(金、キャリア、承認欲求)を与えることで飼い慣らすことが出来るため、研究者と支援者に「私たちはギフテッドを救える!」という錯覚を与えてしまう主因となっている。
それ、
ただの夢落ちギフテッドだけど。
助っ人を見誤らないで
もたもた非効率的・非効果的・非持続的な自己実現欲にハマってる教育・社会福祉が山ほど多い。
悪を見たら人間は色んな善を考えるが、「向き合う勇気のないことを隠しながら評価されそうなことばかりやる」人間の存在によって、他の人間は勝手にその姿を正解だと勘違いし、社会は偏った方向に誘導されてしまう。
積極的分離を乗り越えて、
自分の生物学的本能と、
社会通念への服従と、
仕込まれた無数の偏見から自立できなければ、流れ(欲望/気分/逃避)に任せる道を選ぶでしょう。
優しく(でありたいように)接してくれる人々の多くは、都合の良い根拠も論理性もない幻の未来しか見る勇気がない。
その「でありたい」がエゴだから。
最初から、エゴ。
勇気のない人についてはいけない。
楽しい時間を過ごしてから捨てられるだけ。
支援対象が楽にならなければ、
支援者は満足できずに失望するから。
価値のある痛みを経験し続けたい人の存在を彼らは想像できない、理解する器も持っていない。
痛みが人を作る
日本社会はオードリーが大好きだけど、
彼女と同じ経験をしたことがない、
同じ経験をしてみたいと思わない、
同じ経験を身内にもさせようとしない。
教育システムだけが彼女を作ったとでも思っているのか?
それは彼女に対する冒涜でしかない。
同じ知能を持ち、
同じ教育を受けたら、
同じ痛みに耐えられ、
同じ覚悟ができると思うのか?
彼女が卒業した学校だって、
みんなオードリー・タンになっていないだろう。
彼女の家庭の教育方針だけではなく、
彼女が利用した教育制度だけではなく
彼女の痛みと覚悟を見るべきだ。
痛みから覚悟までのプロセスを。
オードリーは自分を虐げた地に戻った。
この話は、彼女の母の教育方針や海外のギフテッド教育より、よっぽど重要なことだけどね。人類にとっては。
これを教えられる大人が居ないから、
現状維持の社会が続いていく。
自分の心と向き合うつもりがあれば、
人類に必要なデータは全て揃っています。
遠く昔から。
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お気持ちだけで十分です。
お金は自分より立場の弱い人に使ってくださいね🐻