隣に芝がなくても青い #嫉妬祭り
隣の芝は常に青い。隣に芝が無くてもなお、青いんである。
自分以外の人は総じて皆優れている。note を始めてみれば誰も彼もものすごく文章がうまいし、全員俺より面白いものを書いている。Youtube を見れば誰もが俺より成功しているし、インスタはキラキラで、Facebook には成功者しかいない。
うまく行っている人を見たときに湧き上がる感情には二つある。羨ましいと妬ましいだ。羨ましいというのがどういう感情なのか、もはや覚えていない。それを感じたことはあるような気がするけれど、物心ついてからはすべて妬ましいに変換される。イイナーと思うと同時に、ひでーことにならないかなーと思うわけだ。
スターウォーズという有名な映画があるが、あの中にジェダイの騎士というのが出てくる。ジェダイの騎士は清く正しく強い騎士であるが、これが途上で間違うとダークサイドに落っこち、闇の戦士と化す。このダークサイドというのは、怒り、恨み、そして「妬み」の感情である。こういう感情を持ってしまうと自制を失い、ダークサイドに堕ちる。結果としてはた迷惑な悪の権化と化すのである。余談だがスターウォーズの一作目(EP4)の最初の日本版では、ダース・ベイダーの初登場シーンに「悪の権化」という肩書が書いてあった。ちゃんと映画を見た人はダース・ベイダーが悪の権化みたいな単純な存在でないことはわかりそうなものだが、当初その程度の理解で受け入れられていたのである。
さて、清く正しいイノセントな赤ん坊として生まれた我々は、物心つくと闇を抱える。物心とはダークサイドのことなんじゃないかと思うほどに、悪しき心に侵されて行くのだ。つまり、生物として生き残るために、この悪しき感情たちが必要だという話なのである。他者を妬み、隙あらば足を引っ張り、引きずりおろすことで自分が利を得る。遺伝子に刻まれた生存戦略である。誰かが成功すると表向き「すごーい、応援してますー」などと言いつつ、裏では「ひどい目にあえ、失敗しろ、脱落しろ」と呪いをかける。こうならずに自制し、妬みを飼いならすことができるものは晴れてジェダイナイトとなり、やがてはジェダイマスターとなるのだ。ジェダイマスターは目指してなれるものではなく、自分のすぐ隣にいる、自分より劣って見えるやつがジェダイマスターになっても妬まずにいられるような孤高の精神が必要だ。そんな領域に行ける者は最初からあほらしい背比べ等に興味はないだろうから、そもそも俺などがなれるものではないのである。
日々暮らしているとあらゆることが妬ましい。欲しかったスーパーの半額総菜を目の前でかすめて行ったオババを呪ったり、俺の次に買って自販機で当たりを出したおっさんを呪ったり、ほとんど満車の駐車場で目の前で空いた場所に入った一台前の車を呪ったり、四六時中呪い続けている。とっくにダークサイドに堕ちているのだが、そもそも大した騎士ではないため、ダース・ベイダーみたいな強大な悪になることもできず、ケチなチンピラみたいな位置をウロウロすることになる。
嫉妬は奇しくもShit と音が同じである。Shit はクソであり、嫉妬もクソみたいなものであろう。できることなら嫉妬から解放されたいと願うのだが、それにはヨーダの境地に行かねばならず、凡人であるところの俺には難しい。ヨーダであろうとすればヨーダにさえ嫉妬するぐらいに傲慢であり、俗物であるからだ。
かように中途半端で卑しい存在である俺は、もはや嫉妬を手なずけることは諦め、嫉妬の炎に焼かれながらひねくれ、屈折し、大成していく友人たちを見上げながらイイナーイイナーと羨みつつドウセオレナンカと言い訳にまみれ、鬱々とした地獄みたいなものを書いていくのだ。どうだ真似できないだろう。ざまあみろ。
この作品は婦人公論.jp で始まった斉藤ナミさんの連載エッセイに触発され、池松さんのイベントに乗っかる形で書いたものです。
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