雨の詩、放送室、そして音楽室
雨の詩、放送室、そして音楽室
雨の日が好きだった。
鉛色の空も、薄暗い景色も好きだった。
小学生の頃、僕の席は窓側だった。
長方形の校舎の真ん中には中庭があって、その日も雨が降っていた。
中庭の鶏や、その向こうの校舎の廊下を歩く人を、ぼんやり見ていた。
もちろん、やっぱり怒られた。
「今日の授業は詩です」
詩?
女子が好きなやつ?
当時の僕にとって詩は、短い文章で、行間が広くて、なんだか読みやすそうで、でも意味はよく分からないものだった。
それが僕の中の“詩”のイメージだった。
教室はいつも通り騒がしかった。
「誰だよ、屁こいたの?」
「ぎゃははは」
「やだー、宮本ぉ」
そんな空気の中で、僕は窓に当たる雨を見ていた。
ピシッ、とガラスに当たる。
ちっちゃいくせに、生意気なやつだ。
たしか、そんな感じの詩を書いた。
そしたら、その詩が新聞に載った。
その時、思った。
詩って世界は嫌いじゃないな、と。
僕の通っていた中央小学校は、当時としては珍しく、校内テレビ放送のある学校だった。
放送委員は三年生から六年生で運営されていた。
校長先生の話を、小学生のカメラマンがインカムをつけて撮る。
六年生のディレクターがいて、三年生のADがいる。
今思い返しても、ずいぶん本格的な現場だった。
合唱の収録の時、先輩たちの姿を見て憧れた。
ただ見て終わるのではなく、三年生の時、僕は人生で初めて立候補した。
放送委員になりたかったからだ。
そして五、六年生の時にはカメラマンをやった。
しかも六年生からカラー放送になった。
あの頃の僕には、それがものすごく未来のことに思えた。
今の機材好きは、たぶんあの頃から何も変わっていない。
カメラ、マイク、配線、スピーカー。
そういうものは、ただの道具じゃなかった。
何かを誰かに届けるための、少し魔法みたいな装置だった。
時は飛んで、高校一年の音楽室。
五線の書かれた黒板と、グランドピアノが威張っていた。
壁には穴の空いた建材が貼られていて、それを見た時、すぐに思った。
あ、これ、中央小学校の放送室と同じだ。
教室の後ろには防音室が三つ並んでいた。
一番右は角なので窓が二つあって、少なくとも換気という点では煙草を吸うには優れていた。
その防音室にはクラシックギターが置いてあった。
その場のメンバーの中で、ギターを弾けるのはたぶん僕だけだった。
「なんか弾け!」
「大した弾けっ。ネック太ぉ、弦高高ぁ!」
そんなことを言われながら、適当なコードを鳴らして、先生を歌詞ネタにして即興で歌った。
そしたら、めちゃくちゃウケた。
それから音楽室は、僕にとって小さなお笑い小劇場みたいな場所になった。
先生たちの曲も増えていった。
ただ、そうなると即興では限界が出てくる。
歌詞が混じる。
同じところで詰まる。
ちゃんと書いたほうがいい。
そう思って、歌詞を書くようになった。
詩かぁ。
小学生以来だな。
今思えば、僕の中ではずっとつながっていたのかもしれない。
雨の日の窓際で、ガラスに当たる雨粒を見ていたこと。
校内テレビ放送の収録現場に憧れて、カメラマンをやったこと。
高校の音楽室で、ギターを鳴らして人を笑わせていたこと。
言葉が好きだった。
音が好きだった。
機材が好きだった。
そして、何かを誰かに届けることが好きだった。
大人になった今も、それはあまり変わっていない。
歌詞を書き、音を録り、機材にわくわくしている。
ずいぶん遠くまで来たようでいて、実はずっと、あの窓際や放送室や音楽室の延長線上にいるのだと思う。
そう考えると、少しうれしい。
好きなものは、案外ずっと変わらない。
