走り屋だった僕がストマニに人生を重ねて見つけた、「8割で走る」これからの生き方
あの頃の自分は、アクセルペダルだけ見て生きていた。
ストマニの首都高C1編を全話見終わって、自分の半生をなぞり直してみると、「ただ速くなりたい」だけだった十代〜二十代前半と、「家族・仕事・お金」と向き合っている今が、ようやく一本の線でつながった気がしている。
あの頃の自分
子どもの頃から車が好きで、免許を取って、友達のアルテッツァで事故をして友達の親に頭を下げながら20万円を返し、祖母にも頭を下げながらFDを買ったあたりから、僕の「クルマとオカネ」の物語は本格的に始まった。
そのFDもS15も全損させ、プレリュードでDIYチューンを覚え、32やインテに乗り継ぎながら、何回もガードレールに刺さったし、2回は「もうダメだ」と覚悟するレベルで車を潰した。
それでも、“上”やサーキットに通う理由はシンプルで、「もっと速くなりたい」「あの人たちの背中に近づきたい」だった。
怖さを知らない時期は10割で踏めたし、怖さを知ってからは8割でどこまで行けるかを試すようになった。
あの夜の空気や、仲間と交わした何気ない会話は、いまでもふとした瞬間に蘇ってくる。
ストマニが掘り起こしてくれたもの
『STREET MANIA 首都高C1編』は、形見の80スープラを受け継いだ主人公が、仲間の死や事故を経ながら、本気組の世界に入っていく物語だ。
首都高C1という舞台は、自分の“上”とは違うけれど、「初めて本物の走りを目の当たりにした夜」や「限界をちょっと超えて事故る瞬間」「ショップや先輩に拾ってもらう感じ」は、危ないくらい自分の記憶と重なっていた。
一方で、第7話以降の“兄世代の伝説”が前に出てくる領域や、最終話の33Rとの一夜の決戦は、完全に自分が踏み込まなかった世界だった。
「もしあのまま走り続けていたら、こういうルートもあったのかもしれない」という、別世界線の自分を見せてもらった感覚に近い。
だからこそ、ストマニは「昔の自分の背中」をきれいに描き直してくれた作品でもあり、「ここから先は作品に任せて、自分は別の道をちゃんと走ろう」と思わせてくれた作品でもある。
今の自分の“走り方”
今の僕は、4児パパで、会社員で、家計と投資の数字を毎日いじっている。
ローンまみれでクルマを壊しまくっていた頃から考えると、「車は一括で買う」「車のために新しい借金は作らない」というルールを自分に課している時点で、だいぶ別人だ。
でも、その根っこには、たぶんあの頃と同じ「気持ちよく走りたい」という感覚が残っている。
ハンドルを握る理由が、「速くなりたい」から「家族を安全に気持ちよく運びたい」に変わっただけで、
ライン取りを考える癖は、今は「家計のキャッシュフロー」や「投資のリスク配分」を考えることに
8割で走る感覚は、「頑張りすぎて壊さない働き方」や「無理のない貯蓄・投資ペース」に
そのまま形を変えて生きている気がする。
これから、どう走りたいか
これからの人生は、首都高でも“上”でもなく、家族と仕事とお金の世界を走る。
でも、その走り方は、走り屋時代に学んだことをかなり引きずっている。
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