『1999年のサーフトリップ』第14章_1
<記憶と記録の道程ー『茶色の瞳のあの娘』>
年を取ると嫌いなものが増える。好きだった物が消えていって、空いた場所を埋めるように嫌いなもんが押し寄せてくる。上手くなるのは、値上がりしそうな株の情報源、状態のいい中古車の在り処とか、優良なパチンコ台の見極め方とか、そんなどうでもいい処世術ばかりで、自分が周りとあまりにも違ってるような気がする。昔は頑張ればどうにかできる気がしてたけど、どうにもできなかった。自分の努力が足りなかった、と言ってみてその物わかりの良さがまた別の努力が足りなかった。
「そういえばあの時そんな話もしたよ」
そうだっけ?メモハブはよく覚えてるな。
「俺は何でも覚えてる。
あの時コウジは他のことも言ってたぞ。何かの本にある言葉。確かその言葉に話は行き着いたはずだよ。途中のくだりは残念ながら忘れたけどw
美がまえにある
美がうしろにある
美が上を舞う
美が下を舞う
私はそれにかこまれている
私はそれにひたされている
若い日の私はそれを知る
そして老いた日に
しずかに私は歩くだろう
このうつくしい道のゆくまま」
それはナバホの言葉やね。なんかサーフトリップのことはメモハブが話した方が良さそうやな。
「まあ、そう言わんでさ。話を続けようや」
そうやね。どこからだっけ?
「カズコの話の後から」
※
海部でカズコと別れた俺たちのダットサン720は海沿いの県道を東へ向けて走った。徳島市を通り越した。鳴門海峡の丘で渦潮と大きな橋の下を引きも切らずゆるゆるとくぐってゆく空のコンテナ船を見下ろしながら話している間に日が暮れた。どこかで夕飯を食べて徳島市に戻った俺たちは、徳島港から和歌山港行の南海フェリー最終便に乗り込んだ。フェリーの時間など調べたわけではなかったから22時前の最終便に間に合ったのはただ運が良かったからだった。運が良かった?いや、そうだ、そう言えば俺たちには惜しむような時間も行く宛てもたいしてなかった。最終に間に合わなかったのなら翌日の朝乗れば良いだけの話だった。
「小さな船着場っていうのはどこも良く似てるね。人を世界の端っこにいるような気にさせる。なのに淋しくない。誰からも見られてない。誰も誰かを追い詰めようとしてない。そんな気がする。車を駐める船底は埃っぽい重油の匂いがして船を叩く波の音とエンジンの轟が響く。船室に続く階段を上がると優しい風が吹いてる。目の前には海があって、何はともあれとりあえず自分たちには次の行き先がある。それだけで、乗ってる人は皆穏やかに寛いでいるように見える。空港も好きだけど、船着場はもっと好きだな」
「ハハ、賛成」
午前0時に和歌山港に着いた。俺たちは船の中の話の続きをしながら港から5キロほど西へ上った「磯ノ浦」へ向かった。俺たちのバイブル「サーフィン・ア・ゴー・ゴー」によれば、磯ノ浦は和歌山県の最西端のポイントのはずだった。ビーチの駐車場に車を駐めてその日は寝た。暗くて海はまったく見えなかった。
磯ノ浦は大阪との県境近くにある。南海鉄道の駅のそばにあるので電車でも行ける。関西のサーファーの多くがここでファーストブレイクを経験する。関西では有名な場所だ。
翌日磯ノ浦には波はなかった。ビーチはどこかよそよそしく居心地が悪かった。そう感じたのはたぶん俺たちが正真正銘に田舎のサーフポイントを周ってそこにたどり着いたからだ。磯ノ浦はなんて言うか、町外れの海水浴場という感じだった。どうやらそこに留まる価値はなさそうだった。メモハブは荷台に積んだカセットテープの山からジミー・クリフの80年代のアルバムを掘り起こしてカーステレオに押し込んむと、サーフィン・ア・ゴー・ゴーのページをパラパラとめくって言った。
「この「市後浜」に行こう。名前が気に入ったよ」
俺たちは磯ノ浦から奈良県の山を越えた150キロ先を目指した。ビーチの脇に黄色の小さな花が咲いていた。どこかで鳥の鳴き声が聴こえた。それからまた、話の続きをした。ジミー・クリフが唄っていた。
“ Sailing down the coast in my little rowboat, oh-oh
Ain′t found her yet, got a ways to go
Gotta find that girl and make her mine, yeah, man
Oh, she's the one with the big brown eyes “
ところで、俺たちいったい昨日から何の話をしているかと言えば、それはメモハブの父親の話だった。
「俺のパパは本当に変な奴なんだよ」とメモハブは言うのだった。
