Ⅳ. 極彩色の記憶
絵画の中の、秩序だった衝動を眺める。
引きで見るとピンクの印象が強かったけど、近付いたら寒色も多く混ざっていることに気付く。白黒の世界で、産業を皮肉った奇術師も同じようなことを言っていたっけ。
「ー人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。」
とは言え、必ずしも悲しみが青くて、喜びがピンクだとは限らないと思う。そして、思い出がセピア調に褪せていくのだって、保存の仕方次第なんじゃないかと心の中で反駁する。
点描と流線、さまざまなタッチの色を一頻り味わっていると、具象も埋まっている事がわかる。人の顔とか、シンボルみたいな。
仏頭があって、法輪もあった。
はじめは何かを壊してやりたい欲望を描いたのだとばかり思っていた。でも、どうやら込められた意匠は祈りのそれだったのかもしれない。
街外れにある美術館をあとにして、門を目指す。沿道でバイタクの運転手が手を振っていたから、そのまま後部座席に腰掛けた。
ぬるい風をからだに受けながら、乾季の終わりを予感する。
野焼きが続いた影響で大気は黄土色にかすみ、太陽の輪郭をぼやけさせる。それでも、以前よりスコールが降る日が増えて、その度に空気が綺麗になってきている。
街の中心部が近付いてくると、山車が見えてきた。そういえば、今晩は後夜祭だった。
精霊や動物を模った巨大な花のモニュメントが立ち並ぶ。花にせよ、蝋にせよ、絢爛豪華なあしらいを競ってみせるのがセオリー。壮観なのは確かだけど、最終日なだけあって花は生気を失ってるように見えた。
萎れると色も落ちていく、それは自然の理。
けれど、人は抗うことができる。何度も思い返すことによって。
私たちが過ごした時間は、私の記憶の中で鮮明に色を放っている。
彼が彼を慕う気持ちは、私には青く映った。
彼が彼を憂う気持ちは、淡いピンクのような優しさに由来していた。
私には彼らと同じように考えて、言葉をなぞることはできない。
思考だけじゃない。感情も、記憶さえも。
きっと私の中にあるのは、混淆する原石のようなもの。ただそれだけ。
もしも衝動的な行為だったとしても、あるいは、理路整然と考え抜かれた道程の最果てにある選択だったとしても。私には到底、真意にはたどりつけないだろうから。
せめてその岸辺に佇んで、手向ける気持ちを絶やさないようにしていたい。
だって、もう思い出すことでしか、彼をこの世に呼んであげられない。
乾いた空にそっと、涙の匂いが漂った気がした。それは空が、どこまでもつながっていることの証左にも感じる。
この国の寝台列車は遅延が多いし、何より事故も多発する。それでも構わない。
時に踊らされたっていいのだろう。軋む運命の歯車を、掛け違ってしまった記憶の欠片を、かき集めて修復するように。
ゆっくり、いそいで。
今も彼を想う彼に、会いに行こう。
