自分以外の誰かを真剣に応援することに意味はあるか?
「会ったこともない他人を応援して、何の意味があるの?」
甲子園にハマって野球選手を応援するようになった中学生の頃から、幾度となくこの手の疑問、というか揶揄を投げかけられてきた。自分がプレーするわけでもなく、勝とうが負けようが自分の人生には直接関係がないのに、なんでそんなに一生懸命になれるのか?そんなことをしている時間があったら、自分の人生に集中すべきなんじゃないか?
たしかに、自分の人生をないがしろにしてまで入れ込んでいる人を見るとそんな疑問が湧いてくるのもわかる。人を応援するにはまず自分の人生を生きるべきで、自分の力ではどうにもならないことに過度に依存するのは危険だ。私が応援しなくたって相手は輝き続けるだろうけど、私の人生は私にしか動かせないのだから。
では、自分ではない他者を応援することに、それも身近な人ではなく遠いスターを応援することに、意味はないのだろうか。
以前私は、応援は相手のためではなく自分のためなのかもしれない、と書いた。応援することでむしろ、自分自身が励まされているんじゃないか、と。
それに加えて最近気づいたのは、誰かを真剣に応援することは、他者の人生を自分の物語に取り込むことで、想像力の幅を広げる意味があるのかもしれない、ということだ。
私は私の人生しか生きられない。でも、応援を通して他者の人生を疑似体験することで、自分の視点からは見えなかった苦しみ、努力、喜びを、自分ごとのように想像することができる。
こうやって自分の世界を広げていくことこそが、誰かを応援することの価値なのではないか?
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金曜日の朝、菅野がメジャー10勝目をマークした。彼がどれだけの苦労と挫折を経てこの偉大な記録に辿り着いたか、その道のりをリアルタイムで見守ってきたファンにとって、この記録は深くじんわりと染み渡る感動があった。勝ってひとしきり喜んだあと、しみじみと余韻に浸りながら涙が出た。
【 #オリオールズ 】#菅野智之 お見事!今季10勝目をマーク👏 今日のマリナーズ戦は2時間以上の降雨中断により81球で途中降板となるも、6回途中1失点2奪三振の好投で白星を手にしました🙌
— MLB Japan (@MLBJapan) August 14, 2025
これで日本人メジャー史上10人目の初年度2ケタ勝利を達成しました!おめでとうございます🎉#日本人選手情報 pic.twitter.com/oqEqwGrqtL
私が菅野を好きなのは、恵まれた血筋で野球エリートとして育ち、本人の努力や苦労は「七光り」という言葉によって過小評価される環境にあっても、腐らず努力を重ねることによって圧倒的な結果を出し続けてきた姿勢だ。
野球の世界では、意外と二世の成功例は少ない。その理由はおそらく、どんなに本人が努力してもすべてが「親のおかげ」「環境のおかげ」の言葉で片付けられてしまい、その人自身を見て、評価してもらえない苦しみに、ほとんどの人は打ち勝てないからだと思う。あなたは恵まれているんだからこれくらいできて当たり前でしょう、という期待の大きさと、その期待に応えられなかったときの周囲の露骨ながっかりした態度。でもその苦しみは「恵まれている側の贅沢」として誰からも取り合ってもらえない。
その点、雑草として成り上がるストーリーはわかりやすく支持されやすい。嫉妬されることもなく、素直に共感も応援の声も集まる。もちろん、そこに至るまでにたくさんの苦労があって、その過程でほとんどが脱落してしまう。
雑草には雑草の、エリートにはエリートの、それぞれの苦しみがあるのだ。
私自身は完全に雑草側の人間なので、野球でいえば育成枠から這い上がってきた選手の方が共感はしやすい。菅野のような野球エリートは一般社会で言えば、資産家や医者一族の家庭に生まれて、既定路線の道をストレートで爆進していくようなタイプであり、自分からはかなり遠い存在だ。
でも、たまたま投球を見てファンになって、彼の歩んできた道や考え方、努力の裏側を知ったことで、「エリートにはエリートの苦しみがある」と腹落ちして理解できるようになった。
昔は「初めから環境に恵まれて生まれた人はいいよね」と拗ねた思いを抱いている部分が少なからずあったけれど、菅野を何年もかけて応援してきたことで、一般社会におけるエリート層にもエリートならではの悩みや苦しみがあり、恵まれていない(ように見える)方が恵まれている、という逆転が起きることもあるのだと思うようになった。
もちろん自分が経験したわけではないからその苦しみを「わかる」なんて簡単には言えないのだけど、でも少なくとも心を寄せられるようにはなった。
スポーツだけではなく、アイドルやクリエイターに対しても、たとえば性別や国籍が違うからこそ自分とは違うものさしが自分の中にインストールされていくし、そうやって他者の物語を自分ごととして消化し、想像力を広げていくことが、誰かを真剣に応援することの価値のひとつなのではないかと思う。
私たちは、自分自身の人生しか生きられない。でも人は自分ひとりでは生きていけないからこそ、他者への想像力を持たなければならない。しかもその想像力を身近な人、自分に近い人だけではなく、自分とは違う境遇で育ち、違う価値観を持つ人にも広げていく必要がある。
誰かを応援し、自分ごととして泣いたり喜んだりすることで、私たちは「自分とは違う他者」への想像力を広げていける。
自分以外の誰かを真剣に応援することに意味はあるかと聞かれたら、私は確信を持って応えたい。会ったこともない、遠い遠いスターを応援することで、私自身の人生は確実にゆたかなものになっている、と。
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カバー写真は、こないだ横須賀球場で撮った藤浪の日本復帰登板のときの1枚。彼の野球人生も、まだまだ続く。
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