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「全盛期」がいつだったのかは、終わるまでわからない

自分にとっての全盛期はいつだったのだろう。

振り返ってそう考えてみるとき、大抵の人は20代から30代あたりを思い浮かべるのではないかと思う。運動能力で戦っているわけではないビジネスパーソンでも、体力面でも無理がきく若い頃を全盛期として捉えやすい。それ以降は、「いかに全盛期からの衰えを最小限にするか」という戦いになってくる。

この傾向は身体が資本のスポーツ選手はより顕著だ。彼らの全盛期は一般のビジネスパーソンよりも早く、30歳を超えるとピークを過ぎたベテランとしての役割を期待されるようになる。

だから、同年代の選手たちを見ていると自分の一歩先をいく先輩のような感覚になる。身体的なピークが去った後に、いかにして自分のポジションを維持し続けるか。去り際の美学も含め、「全盛期以降」の身の振り方についてこれまでも何度も考えてきた。

全盛期が過ぎ去った後の方が、人生は長い。衰えを受け入れつつ、時に抗いつつ、どう結果を出していくか。そんな視点でも野球を見るようになった。

のだけど。

メジャーに挑戦する菅野の姿を見て、そんな考えが変化した。

4年前、菅野は一度メジャー挑戦を断念している。新型コロナの影響で契約が難航し、締切ギリギリまで悩んだ結果巨人への残留を選んだ。その時、すでに31歳。早い選手は25歳くらいで海を渡ることを考えると、実質これがラストチャンスだろう、と誰もが思っていた。

私も、菅野の巨人残留の報を受けて「そうか、もう巨人で一生を終える覚悟をしたのか」と思った。海外FA権がとれる頃には35歳。もう海外に挑戦する年齢ではないだろう、と。

だから今オフに菅野が海外FA権を行使すると知って衝撃を受けた。菅野、まだ海外に行く気があったのか!と。

プロ野球選手にとっての35歳は、どんなスター選手でも引退を視野に入れ始める時期だ。開幕ローテやスタメンといった華やかな役割からは徐々に外れ、人によってはコーチを兼任しながら「いかに長く続けるか」にシフトしていく。まさに、全盛期を過ぎてあとはいかに終わらせるかへと意識が変化していく時期だ。

であるにも関わらず、菅野は新天地で、憧れのメジャーリーグで、さらなる高みを目指すという。

その時に気づいた。ああ、この人は自分の全盛期を過去ではなく未来に見ているのだ、と。

実際に、菅野本人も密着番組「バース・デイ」の中で「球威や体力の面では若い頃の方がよかったかもしれないけど、技術的には経験を重ねた今の方が上だから、自分史上最高を更新できると信じている」という趣旨のことを言っていた(細かい言い回しは忘れてしまったのであくまでニュアンスとして)。

投球シーンだけをダイジェストで見ると、たしかに23〜28歳頃の菅野の球は惚れ惚れするほど素晴らしい。ノビもキレもコントロールもすべて揃った本格派右腕で、スタミナもある。沢村賞を2回獲るのも納得の投球である。

対して、30歳を超えたあたりから故障が増え、それを庇うためにフォームも何度か改造している。投球だけを切り取るとどうしても「全盛期」からは見劣りしてしまう部分もある。

でも菅野の凄さは一球一球のクオリティはもちろんだが、一試合を通した修正力にあると私は思っている。立ち上がりが不安定でも、打者が一巡した3回あたりできっちり安定させてくる。1、2回でだいぶ球数を消費してハラハラさせられても、気づけば7回あたりで帳尻を合わせてくる。自分の調子とマウンドや気候などの環境と、相手バッターたちの特徴といった外的要因がちゃんと噛み合って、いつの間にか試合を支配している。それが菅野がいくつになっても大エースたるゆえんだと思う。

全盛期はこれから、というのは強がりやビッグマウスなどではなく、彼は今本当に心からそう信じられているのだと思う。苦しそうな時期を何年も見続けてきたから、菅野が自分をもう一度信じられる日が来て本当によかった、と涙せずにはいられなかった。

菅野は押しも押されもせぬ巨人の大エースであり生粋の野球エリートだが、その野球人生は決して順風満帆ではなかった。むしろターニングポイントではいつも苦難が降りかかり、時には強いバッシングも浴びながら、それでも結果を出すことですべてを捩じ伏せてきた人である。

勝って当たり前、負ければ戦犯。野球のエースは、その業を一身に背負うポジションだ。しかも菅野は伝統のある巨人の看板投手である。彼の負けは単なる「一敗」ではなく、チーム全体の士気に関わる。そんな重圧に、菅野は十年以上耐えてきた。

ファンとして長年見守ってきたけれど、嬉しそう、楽しそうな表情よりも、苦しそうな顔ばかりを見てきた気がする。たまに、無事に勝ててよかったとほっとした顔をするときがあるくらい。

多くの選手が野球の楽しさを語る中、「楽しいという思いで野球をやったことはない」と言っていた菅野。幼少期から「原辰徳の甥」というプレッシャーの中で野球をして、プロになってからはそこにまた新しいプレッシャーが追加されて、気が休まる暇もなかったのだろう。

でも、今年オリオールズへの入団が決まって、ハワイで自主トレをしたりキャンプのブルペンで投げる菅野の姿からは、野球の楽しさが溢れていた。彼は今やっと、自分のために野球をやれているのかもしれない、とその時思った。

チームのために、ファンのために勝つ。そのために、エースとしてみんなの期待に応える。役割とプレッシャーは人を成長させるけれど、時に呪縛にもなる。菅野は長年積み上げてきた「誰かのために」の呪縛を少しゆるめて、今ちょうどいいバランスの中でのびのびと野球ができているんじゃないだろうか。

もちろん結果がすべての世界だから、実際にシーズンが始まって成績が数字に表れるようになったらまた悩んだり焦ったりすることもあるかもしれないけれど、今の菅野ならきっと大丈夫だろうと思える。きっといくらでも自分で修正していけるはずだから。

メジャー移籍を断念してからの5年間は、成績だけ見たら暗黒期と言われる時期なのかもしれない。あの時行けていたら、と惜しむ人もいるかもしれない。でもこれまでのやり方では乗り越えられない壁を前に試行錯誤してきた期間があるからこそ、環境が大きく変わっても適宜アジャストしていく自信もついたはずで、その経験は絶対にこれからのメジャー生活にいきていく。

菅野の投球スタイルと同じで、彼の人生もたとえ立ち上がりがうまくいかなくても、最終的に帳尻が合うようにできている。菅野がノーノーを達成した試合はいつも、本人としては調子が悪かったのでなぜノーノーができたのか不思議だ、と語っていた。同じように、目の前の苦しさをなんとか乗り越えて、ふと振り返ったら偉大な場所に辿り着いていた、というのが菅野の生き方なんだろう。

年齢とともに、筋力も体力も落ちていく。その現実と折り合いをつけていくのが大人のやり方でもある。無理はできない、迷惑もかけられない。そうやって少しずつ諦めていくしかないことも、たしかにある。

でも「全盛期」は必ずしも若い時だけのものではなくて、技術と経験による習熟が全盛期を作ることもある。

いつが全盛期だったのかは、すべてが終わるまでわからない。客観的な数字で見たら若い時が全盛期でも、本人が納得いく最高傑作は最後の最後に生まれるかもしれない。

やり続けている限り、人は必ず変化していく。その変化を衰退ととるか、成熟が深まっているととるかは、本人がどれだけ真剣に向き合っているか、その納得感によって決まるのだろう。

だから、一日でも長く投げ続けてほしいと思う。そして、納得いくまで真剣に向き合い続けてほしい。誰かのため、何かのための義務ではなく、あなた自身の喜びのために。

2025シーズンが、菅野にとって最高に充実した一年になりますように。菅野が日本にいない初めてのシーズンを、菅野にこれまでもらったものを抱きしめながら私も強く生きていく。

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