親父の手料理その2 山形のだしとサルサメヒカーナ
食べたいものを栽培して料理する。つもりでいたが……。
退職したら畑を作る。8年前からその練習をしながら退職にこぎつけた。「山形のだし」が食べたいから、キュウリとナスを植えているのである。ところがだ。キュウリが取れ始めてしばらくすると30頭近いサルの群れが、畑の近くをうろつくようになった。キュウリやナスは実をつけ始めると食われる。トマトは青いうちに。インゲンも二回収穫した後はすべてサルのごはん。サツマイモはなる前に引っこ抜かれる始末。食べないのはピーマンとトウガラシくらいで、実の成るものはことごとく食われる。


おまけに今年は5月の末から8月の頭まで、まとまった雨がほとんど降らなかったので、蒔いた種の芽が出なかった。「山形のだし」が食べたいから青ジソの種を蒔いたが一つも出なかった。キュウリはサルとキュウリ採り競争をして、2株で129本収穫した。目標は200本だったが、サルに負けた形。ミョウガも雨不足で収量は少なかったが、それでも漬物などの加工に回すだけは採れた。仕方がないから、ない材料はスーパーで調達することになる。当たりどころのない怒りとサルへの敗北感はぬぐい切れないが、「自家製野菜でつまみを作って飲む」という退職後の楽しみを追求するため、「山形のだし」を作る。
ひたすら刻んで「山形のだし」
「山形のだし」に出会ったのは、スーパーの安売りコーナーである。もう10年以上前のことになるが、それこそ今日が賞味期限という「山形のだし」が半額で売られていて、こちらも半額の高級豆腐にかけて食ったらとても旨かったのだ。材料を見ると、キュウリ、ナス、ミョウガ、青ジソ、ショウガ、昆布といたってシンプルである。これは作るしかないと思った。それもなるべく自家製の野菜で出来たら素敵だな、と勝手に思ってしまった。
まずは、材料をひたすら細かく刻むのだ。キュウリも、ナスも、ミョウガも、青ジソも、ショウガも、すべてみじん切り。刻みながら思うのは、私も粘り強くなったな、というか、食べたいものがあれば労を惜しまない食い意地の張っている奴なんだなと、いうことだ。「山形のだし」で酒を呑むという欲望が私を突き動かすのだ。トントントン、絶え間なく続くリズムはとめどない私の欲望のリズムなのだ。

和風のだしにみりんと醤油でつけ汁を作る。ナスだけは水にさらしてアクをとったあと、つけ汁で共洗いする。保存容器に全部入れて、下北半島は大間産の「しおから昆布」という昆布を細かく切ったものと、つけ汁で和えれば完成である。

季節は真夏。下北半島も今年は猛暑である。冷ややっこに「山形のだし」とくれば、きっちり冷やした日本酒が進みに進む。「山形のだし」はその歯触りのよさと、ミョウガ、シソ、ショウガの薬味効果でまことに爽やかである。また、飲んだ翌日、いや、暑くて食欲のない時でも、白飯にのせて食べれば、おかわりは必至である。「よくやった。」必死に刻んだ自分を褒めたい、そんな気分で朝飯を掻っ込む。また、米がバカ高い今年の夏は特にお世話になった素麵にも合うし、和風パスタに仕立ててもよい。今年の猛暑と物価高の救世主とも言えよう。何より酒飲みにやさしく寄り添う最高の肴なのだ。買えば高いが作れば安い。家族に好評で、おだてられるので、今年は三回作った。
さらに刻んで「サルサメヒカーナ」
これもずいぶん前だが、カルディコーヒーで買ってきたトルティーヤチップスにサルサソースをのせて食うのに、家族全員ではまってしまったことがあった。特に息子は大好きでカルディに行くたびに、トルティーヤとサルサをおねだりするようになった。なので、畑にコリアンダー(パクチー)とトウガラシを植えている。ピーマンもトマトも植えているから、あとは玉ねぎとライム、なければレモンを買ってくればよい。調味料は塩のみという潔さ、それが「サルサメヒカーナ」なのだ。直訳すれば「メキシコのソース」。「山形のだし」と似ているではないか。呼び方から作り方まで。

酒のアテとしては、こちらも豆腐が抜群に会う。淡白で色白のお豆腐お嬢は山形色にもメキシコ色にもお化粧するのは上手なのだ。こちらはビールが進みまくる。テキーラならスプーンですくって食べながら飲めるんじゃないか。残念ながらテキーラを飲む習慣がないので、これは来年試してみたい。そして、こちらも素麵やパスタに合う。和風やイタリア風に飽きたらメキシコ風にしてみるのもよい。とてもおだてられるので、こちらも三回作った。「必殺刻み人」になった夏だった。「〇〇もおだてりゃ……。」の典型である。

刻んだその先に待っていたものは
そのあとミョウガのシーズンとなり、ミョウガみそを作るために大量のミョウガを刻んだ。刻みすぎたのか、それとも剣道三段を目指して竹刀を振りすぎたのかはわからないが、その後右手首が悲鳴を上げた。右手首が痛くて竹刀が振れなくなった。誰にも勧められないのに、珍しく自ら進んで整形外科に行くと、TFCC損傷(三角繊維軟骨複合体損傷)ということであった。それほど頑張った気もしないが、もう体は年老いてきたということなのだろう。もう一月近くになるが、あまりよくならない。サポーターはしているが、手を全く使わないわけにはいかないのである。それに酒のための肴を作りたいという欲望は抑えられない私なのである。
「体は思っているより老化しているよ。」「加齢を甘く見るなよ。」自家製の野菜で晩酌をやるという楽しみの引き換えに得たものは、この教訓であった。
