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バツイチ55歳、おじろう、軽貨物ドライバーになる⑩。約束

第13話 約束
取引開始の2週目。
朝は上着がいる。昼は動くと暑い。夕方はまた冷える。
季節が変わりかけてるのが、体で分かる。
佐伯さんからのメールは短かった。
――先週の運用、問題ありません。今週も同条件でお願いします。
――便数は予定どおり増やします。
はるが画面を見て、息を吐いた。
「通った」
俺も黙ってうなずいた。
はるはカレンダーを開いて、今週の便数を確認した。
先週の「12」の横に、今週は「16」。
指先でなぞって、メモに書き足す。
「増えたね」
「増えたな」
それだけで、今日も落ち着いて走れそうやった。
昼過ぎ。
まさるが戻ってきて、はるの机の横に立った。
「工場直、連絡つきました」
そう言って、メモを差し出す。
はるが顔を上げる。
「担当は」
「名前も聞けました。村上さんです。今日の17時なら、5分だけ顔出せるって」
「テストは?」
「来週の火曜、午前。9時30分。1本から」
はるが言う。
「行こ」
「俺も行きます」まさる。
はるは短く返した。
「皆で一緒に行こ」
俺は車のキーを取った。
17時前。
運転席は俺。助手席にはる。後ろにまさる。
工場の前は、油の匂いが少しした。門の中は静かで、音が響く。
守衛室で名刺を出す。
ビジター札を受け取って、首に下げる。
「お時間、厳守でお願いします」
守衛がそう言って、ゲートを開けた。
事務所の入口に、担当の村上さんが立ってた。
「今日は挨拶だけで大丈夫です」
そう言って、軽く会釈した。
「ありがとうございます」
はるが頭を下げる。
「来週のテスト、時間だけ確認させてください」
「9時30分です。守衛でお名前を伝えて入ってください」
返事は短い。
「承知しました」
続けて、指示が来る。
「停める場所も受け渡し場所も、その場で指示します。写真も、こちらの合図が出てからでお願いします」
「はい。指示どおりにします」
はるが封筒から書類を1枚だけ出した。
「法人の控えと、保険の写しです」
書類に目を通して、頷く。
「準備はできてますね」
「報告はどうしますか」
「到着、写真、受領、完了で送ります」
はるはすぐ返した。
「文面は固定にします。遅れそうなら、先に電話します」
封筒が戻ってくる。
「分かりました。じゃあ来週」
それから、言い方が少しだけ柔らかくなる。
「無理はしないでください。安全第一でお願いします」
「はい。安全第一で動きます」
はるが頭を下げる。まさるも小さく下げる。
俺も一拍遅れて頭を下げた。
外へ出たら、風が冷たかった。
まさるが小さく言う。
「顔を見せられただけで違いますね」
はるが「うん」で返す。
車に戻る。
俺はポケットの中でキーを握り直した。
指先が冷えて、少し力が入った。
夜。
本店。
今の本店は、俺の部屋の机を使ってる。
机の上には、佐伯さん向けの定型文。
工場直のテストメモ。
ケンの支払い表の下書き。
紙が増えて、机の端が狭い。
はるがパソコンを閉じて、バッグを肩にかけた。
「じゃ、帰る」
「おう」
靴を履いて、ドアに手をかけた時、俺が言った。
「はる」
「なに」
少し間が空く。
「飯、行こ」
はるが眉を上げる。
「今から?」
「うん。少しだけ。温かいものでも食べて、すぐ戻ろ」
はるは黙って、バッグの持ち手を握り直した。
「仕事、残ってる」
「残っててもええ。いったん区切ろ」
俺は続けた。
「今日くらいは」
はるが小さく笑った。
「約束、覚えてる?」
「覚えてる」
「じゃあ、行く」
近所の定食屋。
カウンターだけの店。
湯気の匂いがした。
店員が水を置く。
はるはメニューを見て、すぐ閉じた。
「おすすめでいい」
「焼き魚でええか」
「それで」
俺は唐揚げ。
注文が通る。
はるが言った。
「今日、工場、行ってよかった」
「よかったな」
「佐伯さんも、今週は問題ないって」
「問題ないのが、いちばんや」
はるが頷く。
「ほんと、それ」
焼き魚が来る。唐揚げも来る。
2人とも、しばらく黙って食べた。
はるが味噌汁を1口飲んで、言った。
「……仕事の話、やめよ」
「うん」
はるは箸を置かずに、視線だけこっちに向ける。
「じゃあ、聞く」
俺は頷いた。
「……聞く」
「裕は、私のこと、どう思ってる?」
すぐには言葉が出ん。
でも黙って終わらせたくない。
「お前がおると、決める時に迷いにくい」
「なにが」
「いろいろ」
俺は少し考えてから言った。
「帰る時も」
はるの箸が止まる。
「帰る時?」
「お前が帰ったあと、助手席が空くやろ」
俺は目をそらさずに続けた。
「静かすぎて、落ち着かん」
はるは魚を1口食べて、少し間を置く。
それから、小さい声で言った。
「私も」
「なにが」
「裕がいないと、帰り道が怖い」
俺は唐揚げを1つ食べて、飲み込んでから言った。
「そういう時は、連絡して」
言い方を整える。
「無理なら無理って言ってくれたら、それでいい」
はるが息を吐く。
「……うん。言う」
「うん」
俺も頷く。
「言ってくれたら助かる」
はるが少しだけ笑った。
「少しだけ、って言ったのにね」
「思ったより話したな」
「うん。でも今日は、ここまで」
はるが言う。
「約束だから」
「ここまででええ」
会計の伝票が置かれる。
俺が取る。
はるがすぐ言った。
「次、私が払う」
「なんで」
「奢られっぱなしは、落ち着かない」
「真面目やな」
はるは小さく肩をすくめた。
「そういう性分」
店を出ると、夜の空気が冷たかった。
はるがコートの前を押さえる。
俺は車道側に立つ。
はるのアパートの前。
階段の下で、はるが鍵を出して止まる。
「裕」
「ん」
「今日は……ありがとう」
「おう」
はるは鍵を開けて、入る前に振り返った。
「帰り、気をつけてね」
「おう。気ぃつける」
ドアが閉まる。
足音が遠ざかる。
俺は階段の下で、少しだけ立ってた。
明日も走る。
でも今日は、約束の方を先に動かした。

(つづく)


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