僕が「鬱病」「パニック障害」で人生が豊かになった理由 (第2章)

こんにちは!
たかぽんです!
今回は前回の続きの記事です。

「僕が鬱病、パニック障害で人生が豊かになった理由」(第1章)

の続きとなりますので下記の記事も是非ご覧ください。

20代の頃はパニック障害のおかげで
人生を見つめ直すきっかけとなり
自分を大きく変える事ができました!

常に営業成績は会社の上位で役職も営業職の中では1番上の地位まで上がりました。

ですが、営業会社でお仕事をしている方ならわかると思いますが、成果を上げる営業マンに対して上司は特に何も言わなくなります。
(自分の経験上の話しです)

おそらく自由にやらせてもクレームも引かず、売上も勝手に取ってくるし、放任した方が上司も楽だからだと思います。

そんな立ち位置になっており、お給料も会社での権威も上がり、僕に物申す人はほぼいない状態になりました。

ストレスもまったく無く、今思えば凄くいい環境でお仕事をさせてもらってました。

ですが、僕はそんな状況に恐怖を感じておりました。入社当初はわからない事だらけでしたが常に自分の成長を感じる事ができていました。

今は成長も感じられなくなり、上司から叱られる事もなく、この環境の中で仕事をし続けても自分の成長はここで止まってしまう。

そんな気持ちになったこともあり
「もっと自分を厳しい環境に追い込もう」
そう決めました!

さっそく上司に辞める事を伝えました。
上司はいつでも戻ってきていいよと言ってくれたり、僕を慕ってくれていた部下の子たちは退職祝いもしてくれました。

なんていい人ばかりなんだと思いましたが、僕は転職を選びました。

今までは完全反響の営業だったので、お客様を1から自分で作る能力が不足していると思い
考えた結果、飛び込み営業にする事にしました。

仕事内容
→アポなしの完全飛び込み営業で、1億円以上の賃貸物件、戸建、マンションなどを建ててもらう営業です。ちなみに不動産業界で1番厳しいという声も多いい仕事です

某大手賃貸事業の会社に入社しましたが、不動産業界ではブラックで有名な会社です。

正直、前職で営業の成果を上げていた人間が飛び込み営業に転職する事は珍しいですし、ましては同じ不動産業界でブラック企業と知りながら
入社する人もなかなかいないと思います。

それだけ自分を追い込んで成長したいという気持ちが強かったのです。そして実際に入社しました。

ですが、初日から衝撃を受けました。

明らかに支店にある席数に対して営業マンの人数が少ない状態で
不思議に思っておりましたがその理由が直ぐにわかりました。

初日は支店のミーティングの日だったのですが
まず、支店長が営業マン1人1人をゴリ詰め。。

終わったと思いきや
今度は課長が、売上が上がっていない営業マンを名指しで罵詈雑言。。

詰められている途中にトイレに駆け込み嘔吐する営業マンもおりました。

とんでもない会社に来てしまった。。。

だけどブラックな事は想定していたのでなんとか
この会社で結果を残すまでは辞めないと強く自分に誓いました。

僕なら前職の実績もあるし営業には自信があるからすぐにトップ営業マンに
なれると自信満々で仕事をしておりました。

ですが現実はそんなに甘くありません。
飛び込み営業&商品単価が基本1億円以上ということもありすぐに結果が出るどころか売上の見込みすらほぼないような状態。

雨の日も雪の日も炎天下の日もインターホンを押し続けて100人中100人に断られる。

支店に戻れば上司から売上へのプレッシャーをかけられる。そんな毎日の繰り返しで、同期は辞める人もいれば体調不良で入院する人もいました。

そんなある日、僕の体にも異変が起き始めました。

下半身に激痛が走り、病院に行くと前立腺が炎症を起こしてその菌が睾丸に回って、通常のサイズの3倍ほどの大きさまで膨れ上がりました。

さらに、めまいが多発するようになり、長い間パニック発作を起こしていなかったのですが、パニック発作も起こるようになりました。

異変は感じていたものの
「大丈夫だ。ここを乗り越えればなんとかなる」
そう自分に言い聞かせてました。

ですが、徐々に鬱症状が出始めました。
今まで楽しいと思っていたことが楽しく無い。

ずっと楽しみにしていた友達とのゴルフの約束も断りました。

仕事にも支障が出始め、いつもなら3分ほどで終わる作業も30分かかるようになってしまい。

先輩からのご指摘頂いたときも
「うるせーよ」と言い返してしまったり

自分が自分でないような状況が続きました。

そんなある日、
自分にとってはトドメの事件が起こりました。

7年間同性していた彼女に別れを切り出されたのです。

僕はは人に心を開くことが苦手で、唯一自分をさらけ出せるのは彼女でした。
常に心の支えでしたが、それを失うことになりました。

そんな負の連鎖が続く中で
引越しをしないといけなかったので

新しい賃貸物件の申込書を書こうとしたときに僕のメンタルは限界を迎えました。

自分の名前が書けない、自分の住所が書けない。一文字も書けない。

意味がわかりませんでした。
自分の名前が書けないのはおそらく幼稚園以来です。

とにかく書けない。
引越しができない。
仕事ができない。
ご飯が食べれない。
夜は眠れない。

以前、パニック発作を克服した時は
自分1人でなんとかなりましたが

今回に関しては1人で処理することは
到底できない事を察しました。

今まで誰1人として精神疾患の事に関して相談してきませんでしたが、初めて母親に相談する事にしました。藁にもすがる気持ちで。

僕が学生時代に両親は離婚しており、それ以来ほぼ会っていなかったので母親からすれば突然の事だったと思います。

ですが、思わぬ返事が返ってきたのです。
「私も若い頃からパニック障害だよ。お姉ちゃんは20代のころに鬱病で1年休養してたよ」

今ままで、恥ずかしくて、情けなくて、誰にも言い出せなかったのに、こんなに身近な人が同じ経験をしていたことに衝撃を受けました。
と同時に今までの10年間の荷が一気に降りた気がしました。

母親は「それなら私の家に来ていいよ」
と言ってくれました。
心が救われました。人生で初めて理解してくれる人がいたからです。

だけど、、、
ここから本格的に鬱病がはじまりました。。

今回の記事は以上になります!いかがでしたか?
最後までお読み頂きありがとうございます。

次回は「第3章」でお会いしましょう!
ではまた!





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たかぽん(豊かな人生の案内人) これからも生業の傍らではありますが、皆様の人生を変えれるきっかけになるような記事を作っていきたいと思っておりますので是非応援してください😊