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日本国憲法【第9回】社会権・受益権・参政権 ――「国家による自由」と、主権者としての私たちの権利【全15回】

【第9回】社会権・受益権・参政権 ――「国家による自由」と、主権者としての私たちの権利

これまでの講義では、国家権力が私たちの「精神」や「経済活動」、そして「身体」に不当に介入することを防ぐための権利、すなわち「自由権(国家からの自由)」について学んできました。自由権は「国は私を放っておいてくれ」と要求する権利です。

しかし、歴史は残酷な事実を人類に突きつけました。国家が何も干渉せず、完全に自由な競争社会(資本主義)を放置した結果、社会には極端な貧富の差が生まれました。病気や失業、老齢によって「自由に生きたくても、今日食べるパンすら買えない」という悲惨な人々が街に溢れたのです。

「ただ放っておかれるだけの自由では、人間は生きていけない」。 この痛切な反省から20世紀に誕生したのが、「社会権(国家による自由)」という新しい人権の概念です。国家に対して「人間らしく生きるためのサポートをしてくれ」と積極的に求める権利です。

第9回は、この「社会権」、国家の機能を利用する「受益権」、そして私たちが国家の方向性を決める「参政権」について、現代日本が抱えるリアルな課題とともに学んでいきます。


1. 生存権(第25条)と「人間らしい生活」

日本国憲法 第25条

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

日本国憲法の社会権の根幹をなすのが、この第25条「生存権」です。 「健康で文化的な最低限度の生活」とは、単に「飢え死にしない(動物的に生き延びる)」という意味ではありません。本を読み、たまには映画を観て、人間としての尊厳を保って生きるための水準を指します。これを具体化する制度の代表が「生活保護制度」です。

プログラム規定説と朝日訴訟

しかし、ここで一つの大きな法的な問題が生じます。「健康で文化的」という基準は、非常に曖昧です。もし、ある人が「今の生活保護の支給額では月に1回も映画に行けない!憲法25条違反だから、国はもっとお金を払え!」と裁判を起こした場合、裁判所は国に支払いを命じることができるのでしょうか。

この問題が正面から争われたのが、憲法史上に残る「朝日訴訟(あさひそしょう)」です。 重い結核を患い、国立療養所に入所していた朝日茂さんは、当時の生活保護の基準(日用品費として月額わずか600円)があまりにも低すぎ、パンツ一枚すら満足に買えないとして、「これは憲法25条が保障する健康で文化的な最低限度の生活に反する」と国(厚生大臣)を訴えました。

最高裁判所は、どのような結論を下したでしょうか。 最高裁は、憲法第25条の性質について「プログラム規定説」という考え方を採用しました。 これは、「第25条は、国が『国民の生活を良くするように頑張ります』という政治的な目標(プログラム)を宣言したにとどまる。国民が直接、国に対して『お金を払え』と裁判で請求できる具体的な法的な権利を与えたものではない」という論理です。

さらに最高裁は、「何が健康で文化的な最低限度かは、その時の国の財政事情などを考慮して、厚生大臣が専門的な裁量で決めることだ。その判断が『著しく裁量権を逸脱・濫用したと認められるような極めて例外的な場合』でない限り、裁判所は口を出さない」とし、朝日さんの訴えを退けました。(※後の「堀木訴訟」でも同様の枠組みが踏襲されています)。

この「プログラム規定説」に対しては、「憲法に書かれている権利を単なるスローガンに格下げするものだ」という強い批判が憲法学者からなされています。生活保護の切り下げや、年金問題がニュースになる現代において、第25条が私たちに何を保障しているのかは、今なお熱く議論されるテーマです。

2. 教育を受ける権利と、労働基本権

社会権には、生存権の他にも重要な権利が含まれています。

① 教育を受ける権利(第26条)

「健康で文化的な生活」を送るためには、文字を読み書きし、社会の仕組みを理解する力が不可欠です。憲法第26条は、すべての国民が「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」を有し、また保護者に対しては「子どもに普通教育を受けさせる義務」を負わせています。義務教育が無償とされているのも、貧困によって子どもの学習機会が奪われるのを防ぐためです。教育は、社会の不平等を是正し、子どもが自立するための最大の武器となります。

② 労働基本権(第27条・第28条)

資本主義社会において、労働者(雇われる側)と使用者(雇う側・社長)の力関係は決して対等ではありません。放っておけば、労働者は「嫌ならクビだ」と言われ、劣悪な環境で低賃金で働かされることになります。 そこで憲法は、労働者が使用者と対等に交渉できるよう、以下の「労働三権(第28条)」を強力に保障しました。

  1. 団結権:労働組合を作る権利。一人では弱くても、集団になれば対等に戦えます。

  2. 団体交渉権:労働組合として、使用者と賃金や労働条件について交渉する権利。

  3. 団体行動権(争議権):交渉がまとまらない場合、ストライキ(業務のボイコット)などの実力行使をする権利。

【公務員の労働基本権の制限】 ただし、警察官や消防士、あるいは一般の公務員がストライキを起こして行政サービスが停止すれば、社会全体がパニックに陥ります。そのため、公務員については、これらの労働基本権が法律で厳しく制限(または禁止)されています。最高裁も「全体の奉仕者」である公務員の特殊性を考慮し、この制限を合憲としています(全農林警職法事件など)。

3. 受益権(国家に対する請求権)

自由権や社会権を実質的なものにするためには、「権利が侵害されたときに、国家に救済を求める権利」が必要です。これを受益権(または請求権)と呼びます。

  • 裁判を受ける権利(第32条):誰もが、裁判所に訴えを起こし、公正な裁判を受ける権利。もし「お金持ちしか裁判を起こせない」という法律ができれば、それは第32条違反です。

  • 国家賠償請求権(第17条):公務員(例えば警察官など)の不法行為によって損害を受けた場合、国や地方公共団体に対して賠償を求める権利。

  • 請願権(第16条):国や自治体に対して、「法律を変えてほしい」「被害を救済してほしい」と希望を述べる権利。

これらは、私たちが国家の「制度」を利用して、自らの権利を守るための不可欠なツールです。

4. 参政権と「一票の格差」問題

さて、本日の講義の最後を飾るのは「参政権(政治に参加する権利)」です。 第1回の講義で、国家権力を縛るのが憲法(立憲主義)だと学びました。同時に、日本国憲法は「主権は国民にある(国民主権)」と定めています。私たちが主権者として、国家の方向性を決定する最も重要で直接的な手段が「選挙権」です。

制限選挙から普通選挙へ

かつての明治憲法下では、一定以上の税金を納めている一部の男性しか選挙権を持っていませんでした(制限選挙)。しかし現在では、第15条第3項が「公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する」と定めています。財産、性別、人種などに関係なく、一定の年齢(現在は18歳)に達したすべての国民に選挙権が与えられます。

最大の憲法問題:「一票の格差」

普通選挙においては「一人一票(One person, one vote)」が当然の原則です。しかし、憲法学上、それだけでは不十分だと考えられています。 「一票の価値(重み)も、平等でなければならない」のです。これが、現代日本が抱える最大の憲法問題の一つである「一票の格差問題」です。

例えば、過疎化が進む「A県」では、有権者10万人で1人の国会議員を選出するとします。一方、人口が集中する「東京」では、有権者30万人で1人の国会議員を選出しているとします。 この場合、東京の有権者の一票は、A県の有権者の一票に比べて「3分の1の価値(影響力)」しかありません。これは、憲法第14条が定める「法の下の平等」に違反するのではないか、という重大な問題です。

最高裁の苦悩:「違憲状態」と「事情判決」

選挙のたびに、弁護士グループが「一票の格差が大きすぎる。この選挙は違憲だから無効だ!」と訴訟を起こしています。

最高裁判所は、格差が「2倍〜3倍」を超えるようなケースについて、たびたび「違憲状態(いけんじょうたい)」という判決を出しています。「今のままでは憲法の平等原則に反している(違憲の状態にある)」と国会に厳しく警告しているのです。 しかし、最高裁は「選挙を無効(やり直し)」にすることには極めて慎重です。もし選挙を無効にしてしまえば、選ばれた国会議員が全員いなくなり、国政が大混乱に陥るからです。このように、「法律的には違法(違憲)だが、それを取り消すと公共の利益に著しい障害をもたらすため、あえて有効のままにしておく」という判決のテクニックを「事情判決の法理」と呼びます。

最高裁は「国会よ、早く選挙区の区割りを変更して格差を是正しなさい」とボールを投げ続けていますが、地方の議員を減らすことには政治的な反発も強く、完全な是正には至っていません。私たちが投じる一票の重みが住んでいる場所によって違うという現実は、民主主義の根幹を揺るがす未解決の課題なのです。

第9回のまとめ

本日の講義の重要ポイントを振り返ります。

  1. 生存権(第25条)とプログラム規定説:国家に「健康で文化的な最低限度の生活」を求める社会権の代表。しかし判例(朝日訴訟など)は、これを国の政治的目標(プログラム)を定めたものとし、裁判で直接請求する権利を厳格には認めていない。

  2. 教育と労働の権利:自立のための教育を受ける権利と、使用者と対等に交渉するための労働三権(団結権・団体交渉権・団体行動権)が社会権として保障される。

  3. 受益権:裁判を受ける権利や国家賠償請求権など、人権侵害から回復するために国家の制度を利用する権利。

  4. 参政権と一票の格差:普通選挙は一人一票を保障するが、一票の「価値(重み)」の平等も憲法上要求される。格差が著しい場合、最高裁は「違憲状態」と宣言するが、国政の混乱を避けるため選挙の無効には踏み切らない傾向がある。

「自由権」が国家の暴走を防ぐブレーキだとしたら、「社会権」や「参政権」は、国家という車を私たちが豊かに生きるための方向へと進めるアクセルとハンドルです。権利は、主張し、行使し続けなければ、すぐに錆びついてしまいます。

次回、第10回は人権分野の総仕上げです。社会のデジタル化やテクノロジーの発展によって生まれた「プライバシーの権利」や「自己決定権」など、憲法の条文には明記されていない「新しい人権」について学んでいきます。

【修了試験】(第9回 復習問題・全5問)

本日の講義内容を定着させるための修了試験です。特に「プログラム規定説」と「労働三権」は確実に押さえてください。

【問題1】 憲法第25条が保障する「生存権」について、最高裁判所(朝日訴訟など)は、「これは国に対する国民の具体的な法的な権利を定めたものではなく、国の社会的・政治的目標(方針)を宣言したものにすぎない」と解釈しています。このような学説(考え方)を何というか。

【問題2】 資本主義社会における労働者と使用者の実質的な不平等を是正するため、憲法第28条は労働者に対して3つの重要な権利(労働三権)を保障しています。「団結権」「団体行動権(争議権)」のもう一つは何か。

【問題3】 公務員の不法行為によって国民が損害を受けた場合、国民は国や地方公共団体に対して賠償を求めることができます(第17条)。この権利をはじめとする、国家に対して積極的な作為(救済など)を要求する権利の総称を何権と呼ぶか。

【問題4】 財産や性別、人種などの条件による制限を設けず、一定の年齢に達したすべての国民に選挙権を保障する制度(第15条3項)を何選挙というか。

【問題5】 「一票の格差」訴訟において、最高裁は、有権者間の投票価値の不平等が憲法上の許容範囲を超えているものの、国会による是正のための合理的な期間が過ぎていないなどの理由から、ただちに「違憲」とはせず、現状の不平等な状態そのものを指摘する判決を出すことがあります。このような判決(状態)を何と呼ぶか。

【修了試験:解答と詳細な解説】

【問題1:解答】 プログラム規定説(プログラムきていせつ)

【解説】 「国は頑張って生活水準を上げる努力(プログラム)をします」というスローガンに過ぎないとする解釈です。この説によれば、生活保護の金額が低くても、それは政治的・道義的な問題であって、裁判所が法律的に「違憲だ」と介入することは極めて難しくなります。生存権の法的性格をめぐる最大の論点です。

【問題2:解答】 団体交渉権(だんたいこうしょうけん)

【解説】 労働組合(団結権)を作り、ストライキなどの実力行使(団体行動権)を背景にしながら、社長と対等な立場で給料や労働時間について話し合う権利が「団体交渉権」です。これら3つが揃って初めて、弱い立場の労働者が資本家に対抗できる「武器」となります。

【問題3:解答】 受益権(じゅえきけん)、または 請求権(せいきゅうけん)

【解説】 自由権が「国家からの自由」、社会権が「国家による自由」であるのに対し、受益権は「国家への請求」という性質を持ちます。裁判を受ける権利(第32条)や国家賠償請求権(第17条)、刑事補償請求権(第40条)が含まれます。基本的人権を確保するための手段としての権利とも言えます。

【問題4:解答】 普通選挙(ふつうせんきょ)

【解説】 歴史上、選挙権は「一定の税金を納めた男性」だけに与えられる制限選挙からスタートしました。そこから労働者や女性が血を流して権利を獲得し、現在の「普通選挙」へと到達しました。対義語は制限選挙です。

【問題5:解答】 違憲状態(いけんじょうたい)

【解説】 一票の価値が2倍や3倍も違うのは、憲法14条(法の下の平等)の理念に反する「違憲状態」です。しかし、裁判所が「違憲・無効」として選挙をやり直させるのは影響が大きすぎるため、「憲法の理念には反している(違憲状態)が、国会に是正の時間を与えるため、今回の選挙自体は無効とまでは言わない(合憲・有効)」という、非常に苦しいバランスをとった判決を下すのが最高裁の近年のトレンドです。

第9回の講義は以上となります。お疲れ様でした。

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