日本国憲法【第5回】精神的自由権 (1) 内心の自由 ――国家は「心の中」に踏み込めるか
【第5回】精神的自由権 (1) 内心の自由 ――国家は「心の中」に踏み込めるか
前回の第4回講義では、人権の総論として「人権は誰のものか」「自由の限界(公共の福祉)」「法の下の平等」について学びました。今回からは、日本国憲法が保障する具体的な「個別の権利」の中身へと足を踏み入れます。
憲法が保障する基本的人権は、大きく「精神的自由権」「経済的自由権」「人身の自由」「社会権」などに分類されます。その中でも、民主主義社会を成立させるための最も根源的で重要な権利とされるのが「精神的自由権」です。人間が自由にものを考え、それを表現する自由がなければ、主権者たる国民が政治について議論し、投票行動を決めることなど到底不可能だからです。
精神的自由権は、さらに「内面の自由(心の中の自由)」と「外面の自由(表現の自由など)」に分けられます。今回は、国家権力が絶対に踏み込んではならない神聖な不可侵領域である「内面の自由(内心の自由)」――すなわち、思想・良心の自由、信教の自由、そして学問の自由について、過去の重要な最高裁判例とともに深く考察していきます。
1. 思想・良心の自由(第19条)――「絶対的」な自由空間
日本国憲法 第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
「心の中で何を考え、何を信じても自由である」。現代を生きる私たちにとっては、息をするのと同じくらい当たり前のことに思えます。しかし、歴史を振り返れば、この当たり前を獲得するために数え切れないほどの血が流されてきました。
戦前の日本(明治憲法下)では、国家の体制(天皇制)や資本主義を否定するような思想を持つこと自体が「治安維持法」などの法律によって厳しく取り締まられました。特別高等警察(特高警察)が人々の思想を監視し、心の中の考えを理由に逮捕・拷問が行われ、多くの命が奪われました。 第19条は、こうした国家による「思想弾圧」への強烈な反省から生まれた規定です。
内心にとどまる限り「絶対的無制約」
第4回の講義で「人権は公共の福祉による制約を受ける」と学びました。しかし、心の中(内心)にとどまっている限り、思想・良心の自由は「絶対的無制約(いかなる理由があっても制限できない)」と解釈されています。 どれほど危険な思想(例えば「テロを起こしてやる」という考え)であっても、それが頭の中にあるだけで、具体的な準備や行動(外面への表現や実行)に移さない限り、国家がそれを理由に処罰したり、不利益な扱いをしたりすることは絶対に許されません。また、国家が国民に対して「何を考えているか教えなさい」と無理やり告白させること(沈黙の自由の侵害)も禁止されます。
では、この第19条の解釈が現実の裁判で争われたケースを見てみましょう。
判例①:謝罪広告強制事件(1956年)
他人の名誉を傷つけた(名誉毀損)として裁判で敗訴した人が、裁判所から「新聞に謝罪広告を載せなさい」と命じられました。しかし、負けた側は「自分は間違っていないと思っている。心にもない謝罪を強制するのは、私の『良心の自由』を侵すものであり違憲だ」と主張して最高裁まで争いました。
最高裁判所は、これを合憲(憲法違反ではない)としました。 その論理は、「この謝罪広告の内容は、単に『裁判で負けました。ご迷惑をかけました』という事実を告白し、相手の傷ついた名誉を回復するためのものに過ぎない。個人の内面的な道徳的・倫理的な意思(心からの反省)までも強制しているわけではないので、第19条には違反しない」というものでした。つまり、「事実としての謝罪」を命じることは、内心の自由の侵害にはあたらないと判断したのです。
判例②:君が代ピアノ伴奏拒否事件(2007年)
公立学校の音楽教師が、卒業式で「君が代」のピアノ伴奏をするよう校長から職務命令を受けましたが、「私の歴史観・世界観(思想・良心)に反する」として拒否し、懲戒処分を受けました。これが第19条違反ではないかが争われました。
最高裁は、これも合憲と判断しました。 「ピアノ伴奏は音楽教師にとって通常の職務であり、伴奏したからといって、その教師が特定の思想を持っている(あるいは持っていない)と外部から評価されるわけではない。したがって、思想・良心の自由を『直接的』に制約するものではない」と論じました。ただし、個人の歴史観に由来する行動であることも認め、「間接的な制約」にはなるものの、学校行事の円滑な進行という目的のために「必要かつ合理的」であるとして、処分を適法としたのです。(※この判決には、裁判官の間でも激しい意見の対立がありました)。
2. 信教の自由と政教分離の原則(第20条)
日本国憲法 第20条
思想・良心の自由の中でも、特に「宗教」に関する自由を独立して手厚く保障したのが第20条です。これも、戦前の日本が「国家神道(神社神道)」を事実上の国教とし、国民に神社参拝を強制したり、他の宗教(キリスト教や新興宗教)を激しく弾圧したりした歴史への深い反省に基づいています。
信教の自由は、①内心の信仰の自由(何を信じても、信じなくてもよい)、②宗教的行為の自由(礼拝や祈りを行う自由)、③宗教的結社の自由(教団を作る自由)の3つから構成されます。 そして、この信教の自由を制度として裏から支えるための仕組みが「政教分離(せいきょうぶんり)の原則」です。
国家は宗教に対して「中立」であれ
政教分離の原則とは、「国家(政治)と宗教は完全に切り離さなければならない。国家はいかなる宗教も特別扱いしてはならず、中立でなければならない」というルールです。国家という強大な権力が特定の宗教と結びつくと、たちまち他の宗教を信じる人への弾圧が始まることを、人類は歴史から学んできたからです。
しかし、現実社会において「国家と宗教の完全な分離」は不可能です。例えば、国宝のお寺を国の税金で修繕することや、公立学校にクリスマスツリーを飾ることも「宗教に対する国の援助(関わり)」と言えなくもありません。 では、どこまでがセーフで、どこからが憲法違反のアウトなのでしょうか。最高裁が編み出した基準が「目的効果基準(もくてきこうかきじゅん)」です。
目的効果基準と「津地鎮祭事件」
最高裁は、国家と宗教の関わりが憲法違反になるかどうかを判定するため、以下の2つのテスト(目的効果基準)を示しました。
目的のテスト:その行為の目的が、宗教的意義を持っているか?
効果のテスト:その行為が、特定の宗教を援助・助長したり、他の宗教を圧迫・干渉したりする効果を持っているか?
この基準が初めて適用されたのが「津地鎮祭事件(1977年)」です。三重県津市が、市立体育館の建設にあたり、神道の儀式である「地鎮祭(じちんさい:土地の神を鎮める儀式)」を公金(税金)で開催したことが政教分離違反ではないかと争われました。 最高裁は目的効果基準を適用し、「地鎮祭は確かに神道の儀式に由来するが、現代では建築の無事を祈る単なる世俗的な慣習(一般的な行事)になっている。特定の宗教を援助する目的や効果はない」として、合憲と判断しました。
踏み越えた一線:「愛媛県玉串料訴訟」と「空知太神社事件」
しかし、国家の関与が度を越えれば、当然違憲となります。その代表例が「愛媛県玉串料訴訟(1997年)」です。 愛媛県知事が、靖国神社などの例大祭に「玉串料(たまぐしりょう:神への捧げ物)」として公金を支出した事件です。最高裁は、「玉串料の奉納は、地鎮祭のような世俗的慣習とは異なり、極めて宗教的意義の深い行為である。県が特定の宗教を特別に援助しているという効果をもたらす」として、目的効果基準に照らし、初めて政教分離原則違反による違憲判決を下しました。
また、北海道砂川市が市有地(公有地)を神社に無償で長期間使わせていた「空知太(そらちぶと)神社事件(2010年)」においても、最高裁は「特定の宗教に対する特別な便益の提供だ」として違憲と判断しています。
3. 学問の自由と大学の自治(第23条)
日本国憲法 第23条 学問の自由は、これを保障する。
内心の自由の最後を飾るのが「学問の自由」です。なぜ、思想の自由や表現の自由とは別に、わざわざ「学問」だけを独立した条文で保障しているのでしょうか。 ガリレオ・ガリレイの地動説を思い浮かべてください。真理の探求(学問)というものは、往々にして「その時代の常識(多数派)」や「国家権力」と衝突する危険性を孕んでいます。多数決で真理を決めることはできません。だからこそ、学問の研究やその発表は、国家権力から特別に手厚く保護される必要があるのです。
戦前の日本では、京都帝国大学の滝川幸辰教授が自由主義的な刑法学説を理由に休職に追い込まれた「滝川事件(1933年)」や、美濃部達吉の「天皇機関説」が弾圧された事件など、国家による学問への露骨な介入がありました。第23条は、その歴史を繰り返さないための防波堤です。
学問の自由を支える「大学の自治」
学問の自由には、①研究の自由、②研究発表の自由、③教授の自由(教える自由)が含まれます。 そして、この学問の自由を制度として守るための仕組みが「大学の自治」です。大学における人事(どの教授を採用するか)や施設管理は、国家(文部科学省など)の介入を許さず、大学自身が自主的に決定できるという原則です。
もし警察権力が大学のキャンパスに自由に立ち入り、学生や教授を監視できるようになったら、萎縮してしまって自由な研究などできません。したがって、警察官は原則として、大学の許可なくキャンパス内に立ち入ることはできないとされています。
判例:東大ポポロ事件(1963年)
この「大学の自治」と警察の立ち入りが正面から衝突したのが「東大ポポロ事件」です。 東京大学の公認学生団体「ポポロ劇団」が、学内で松川事件(当時の社会的な冤罪疑獄事件)をテーマにした演劇を上演していました。そこに、観客に紛れ込んで私服警察官がスパイ活動(情報収集)を行っていたのを学生が発見し、警察官を捕まえて暴行を加えたという事件です。学生たちは「警察の立ち入りは大学の自治・学問の自由の侵害であり、自分たちの行為は正当防衛だ」と主張しました。
最高裁は、どのような判断を下したでしょうか。結果は合憲(警察の立ち入りは憲法違反ではない)というものでした。 最高裁は、「大学の自治が及ぶのは、あくまで『学問的研究と教育』に関する範囲である。今回の演劇は、実社会の政治的・社会的活動(政治集会)と同じ性質のものであり、純粋な学術研究の発表とは言えない。したがって、警察官の立ち入りは大学の自治を侵害するものではない」と判断し、学生側を有罪としました。この判決は、大学の自治の適用範囲を厳格に(狭く)解釈したものとして、現在でも議論の対象となっています。
第5回のまとめ
本日は、精神的自由権の根幹をなす「内心の自由」について学びました。
思想・良心の自由(第19条):内心にとどまる限り絶対的に無制約である。国家が国民の心の中に踏み込み、特定の思想を強制したり禁止したりすることは絶対に許されない。
信教の自由と政教分離原則(第20条):過去の宗教弾圧と国家神道の反省から、国家と宗教の結びつきを禁じる。その判断基準として、最高裁は「目的効果基準」を用いている。
学問の自由と大学の自治(第23条):真理の探求を権力の介入から守るため、学問の自由を保障し、その防波堤として大学の自治(人事や施設の自主管理)が認められている。
私たちの「心の中」は、誰にも侵されない絶対的なサンクチュアリ(聖域)です。国家がこの聖域に踏み込むことを許せば、社会は一瞬にしてディストピアと化します。 しかし、心の中で考えたことは、やがて言葉や文章、芸術といった形となって「外の世界(社会)」へと表現されます。外に出た表現は他者とぶつかり合うため、必ず「限界」が生じます。
次回、第6回は精神的自由権の第2弾、民主主義の生命線である「表現の自由」と、現代のSNS社会における新たな課題について熱く議論していきます。
【修了試験】(第5回 復習問題・全5問)
本日の講義の理解度を確認するための修了試験です。重要な判例の結論やキーワードを正確に答えられるようにしましょう。
【問題1】 基本的人権は「公共の福祉」による制約を受けますが、「思想・良心の自由」のうち、特定の思想を心の中に抱き続けるという「内心領域」における自由は、どのような性質のものと解釈されているか。「絶対的」という言葉を用いて簡潔に説明しなさい。
【問題2】 「謝罪広告強制事件」において、裁判所が名誉を毀損した加害者に対し、新聞に謝罪広告を掲載するよう命じることは、憲法第19条(思想・良心の自由)に違反するか、違反しないか。最高裁の結論を答えなさい。
【問題3】 政教分離の原則に関して、国家の行為が憲法違反になるかどうかを判定するために最高裁が採用している基準を何と呼ぶか。行為の「目的」と「効果」に着目する基準の名称を答えなさい。
【問題4】 問題3の基準を適用した結果、最高裁が「政教分離の原則に違反する(違憲である)」と判断した事件の判例を1つ挙げなさい。(※ヒント:愛媛県、あるいは北海道砂川市での事件)
【問題5】 大学における学問の自由を制度的に保障するため、大学における教員の選任や施設の管理などを、国家権力(警察など)の介入を排除して大学自身に任せる仕組みのことを何というか答えなさい。
【修了試験:解答と詳細な解説】
【問題1:解答】 公共の福祉による制約を受けない、絶対的な自由(絶対的無制約)であると解釈されている。
【解説】 「表現の自由」や「職業選択の自由」など、外の世界に向けて行われる行動は、他人に迷惑をかける可能性があるため「公共の福祉」によって制限されます。しかし、頭の中で何を考えるかは他人に迷惑をかけようがないため、国家権力が介入することは一切許されません。内心の自由は人権の最も奥底にある絶対不可侵の領域です。
【問題2:解答】 違反しない(合憲である)。
【解説】 謝罪広告を命じることは、加害者の心からの反省(道徳的な意思)までを無理やり強制するものではなく、単に「裁判で負けた事実を認め、相手の名誉を回復させるための世俗的な手段」に過ぎないと最高裁は判断しました。したがって、内面的な良心の自由を侵すものではないと結論づけられました。
【問題3:解答】 目的効果基準(もくてきこうかきじゅん)
【解説】 国家と宗教の関わりがすべて直ちに違憲になるわけではありません。最高裁は「その行為の目的が宗教的意義を持ち、かつ、その効果が特定の宗教を援助・助長したり、他の宗教を圧迫・干渉したりすることになるか」という2つのフィルター(テスト)を用いて、社会通念に照らして総合的に判断するという手法をとっています。
【問題4:解答】 愛媛県玉串料訴訟(えひめけんたまぐしりょうそしょう)、または 空知太神社事件(そらちぶとじんじゃじけん)など。
【解説】 「津地鎮祭事件」では合憲(世俗的行事)とされましたが、「愛媛県玉串料訴訟」では、靖国神社等への玉串料の支出は宗教的意義が深く、特定宗教(神道)を援助する効果があるとして、最高裁として初めて政教分離違反の違憲判決を下しました。「空知太神社事件」でも、公有地を神社に無償提供している状態が違憲とされました。
【問題5:解答】 大学の自治(だいがくのじち)
【解説】 学問の自由(第23条)は、単に個人の研究の自由を保障するだけでなく、大学という機関に対する干渉を排除する「制度的保障」の機能も持っていると解釈されています。「東大ポポロ事件」では、この大学の自治と警察権の立ち入りが争われましたが、最高裁は学生の演劇を「政治的活動」とみなし、大学の自治の保護範囲外であるとして警察の立ち入りを適法としました。
第5回の講義は以上となります。お疲れ様でした。
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