傘グミ地平線【三題噺】【ショートショート#147】(1750字)
デスクに腰かけて眉間にしわを寄せながら、僕はパソコンに向き合っていた。午後十時。よくないことだと知りつつ、引き出しからグミの小袋を取り出して一つ口に放り込んだ。

「おい、オフィスで飲み食いするなよ」
一年先輩のカネコさんが横に立ってニヤニヤしていた。
「あ、すんません」
僕は、グミの小袋を机の下のゴミ箱に落した。
「冗談だよ。それくらいいいって。それより、ストレス溜まってそうだな」
僕があいまいに笑うと、カネコさんに背中をバンと叩かれた。
「これから時間あるか?」
そういうとカネコさんは近くにあった踏み台に乗った。何をしようというのかと訝しんでいたら、傘をひらくようなジェスチャーをして踏み台から飛び降りた。メリー・ポピンズの真似だろうか。
「何してるんですか。危ないですよ」
「知らないのか。最近テレビで流行ってるだろ」
「あ~僕、テレビ番組見ないんですよね~」
「……何でテレビ見ない奴って自慢気に言うんだろうね」
それから三十分ほど電車で移動して表参道に着いた。
その店は、フライングタイガーコペンハーゲンのようなおしゃれな雑貨屋風の外観をしていた。十時過ぎにもかかわらず若い女性客でそこそこ賑わっておりカネコさんと僕は若干浮いていた。

「あった。これだよ、これこれ」
カネコさんの指先にあったのは、ポップな色あいの折りたたみ傘のコーナーだ。数えきれないほどのカラーバリエーションがあり、まるで量り売りのキャンディー売り場のようだった。「で、これがストレス解消にどう関係するんです?」
「パラグライダーってあるだろ。パラシュートを背負って山頂から滑空する遊び。あれの簡易版というか手ごろなバージョンだよ。こいつを持って山に登って山頂から……」
「まさか飛び降りるんですか」
「そう。危なそうに見えるだろ? でも、カーボンナノチューブで出来ているから骨は絶対に折れない。最新の流体力学に基づいて誰でも気流を乗りこなせるように出来てるスグレモノだ」
「飛んだことあるんですか。カネコさん」
「ああ。最高の気分だぞ。地平線を眺めながら滑空していると、会社での悩みなんてちっぽけに見えてくる。最近は毎週末こいつ片手に山登りしてるよ」
カネコさんの話を聞いていたら僕はワクワクしてきた。明日は土曜日。趣味に合う迷彩柄の傘(スカイアンブレラという製品名らしい)を見つけるなり僕の足はレジに向かっていた。
日曜日の午前十時。僕とカネコさんはロープウェーで高尾山の山頂に降り立っていた。快晴。インストラクターから三十分ほどの講習を受けて、ヘルメットを借りるともう滑空できることになった。
「お先に」
サングラスをしたカネコさんはサムズアップをした。黒い傘をひらいて斜面を駆け下りてふわりと空を飛んでいく。まさにメリー・ポピンズそのものだった。

僕は覚悟を決めた。
山の斜面を駆け下り出したとき背後から「ちょっと待って、気流が乱れて––––」とインストラクターの声が聞こえたが、脚はもう止まらなかった。
身体が浮き上がる感覚には感動をおぼえた。ぐんぐん高度が上がっていき、視界いっぱいに地平線が広がった。とてつもない解放感。カネコさんに心のなかで感謝した。
ところが突風が吹いてきて、まるでトランポリンで飛び上がるようにものすごい勢いで上昇させられる。前方を滑空するカネコさんがごく小さい黒点に変っていった。
同時にみるみる気温が下がっていき寒気が止まらなくなる。いきなり周りがまっ白になった。積乱雲に入ったのだと分かったとき意識を失った。
落下し続けるなかで僕は目を覚ました。氷に覆われた腕を見て、冷凍庫で霜焼けした肉のようだと思った。だがしっかりと右手は傘を掴んでいた。
多摩川の誰もいない河川敷に着地するなり僕はまた気を失った。
「おい、大丈夫か!?」
カネコさんの怒鳴り声がして不快感で僕は目を覚ました。
「……はい」
「ああ、よかった。上昇気流に巻き込まれて上空1万メートルまで飛ばされたんだぞ。お前よく生きてたな」
急に空腹を感じて、何か口にできるものはないかと問う。金曜日に会社のゴミ箱に捨てたはずのグミの小袋がカネコさんのポケットから出てきた。その一つが僕の口に押し込まれる。
「で、感想は?」
「ストレス解消はグミで充分です」
こちらの企画に参加させていただきます。
▼今週のお題
■セリフ
「で、感想は?」
■三題
・傘
・グミ
・地平線
