アナキズムの脆弱性
ど田舎には、生まれも育ちも地元の方の他に、
私達のような「思想の強い移住者」がチラホラいる。
我が家は元々はリベラル寄りな家庭だったが(これは現行の保守と名乗る人達が全然保守ではないためだったが)コロナ禍で突如クリスチャンになり、それまで親和性が高いと思っていた人達との間に軋轢ができた。
近いところに住む一家は、リベラルを通り越して、アナキズムを体現している。
私も若い頃はサウスバウンドという小説を読んだりして、アナキストってカッコいいなとふんわり思っていた。
けれど実際そういう思想の人と付き合ってみると、アナキズムの問題点がよくわかった。
無政府は無秩序ではないとは言うものの、一切自己責任の世界観で生きるということは、言うならば動物の世界に近い。
弱肉強食、フィジカル命である。
なのでその家の子達の野生的でダイナミックな遊び方に関しては感心するばかりだが、親御さんの自由さもとい放任具合と、既存の体制にアンチなため周囲からの孤立具合がすごすぎて、それに振り回される子ども達のメンタル面は大丈夫なのかといつも心配だ。
近所のおばちゃんとして、祈りながらできることはサポートしているけども。
何を隠そう私も、思想の極端な母親に育てられて病んで今の人生がある。(クリスチャンになれたから結果オーライだが)
長子はフィジカルはイマイチなので、一緒に遊ぶと色々と不利益を被るらしく、せっかく近くにいて遊べるのに足が遠のいてしまった。
クリスチャン界隈にも、「野生のクリスチャン」なる概念がある。これは、キリスト教的なアナキズムともいい代えられる気がする。
クリスチャンの滑り出しからそういう概念に影響されて、わりと大きく事故ったので書いているが、聖書は最初から群れでいること、組織の規律の中で生きることを想定して書かれている。
組織内のなんらかの悪に対する反骨精神は、正しい手続きで表明するべきで、がむしゃらに教会から飛び出せばいいというものではないと身をもって学んだ。
現代人はほとんどは、地から離れて暮らす都会の民だ。
だから簡単に野生などと名乗ろうとするのだと思うが、
本来野生とは食うか食われるかの危険な世界であることを忘れてはいけない。
私は今、黙示録の黒い馬(飢餓)の時代に突入しているのではないかと読んでいる。それが仮に外れていても戦後80年安定していた平時から有事に変わる節目に入っていくような気配がある。
日米地位協定の下にある日本は、昨今のアメリカの混乱の渦に巻き込まれそうになっているように思う。
そんな時に、自分の好き勝手な思想、聖書解釈を持つ烏合の衆は、歴史のうねりの中に簡単に呑まれてしまう気がしてならない。
歴史的にアナキズムが多数派になったことは、
ただの一度もないのだから。
「先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。 「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。」
「そのころ、イスラエルには王がなかったので、おのおの自分の目に正しいと見るところをおこなった。」
