見出し画像

音を生きるためのことば 【第3話】猫を撫でるように

まだドイツに留学していたころ、とある先生がレッスン中ふと語った言葉が今も私の中に残っている。

「演奏するっていうのはね、猫を撫でるようなものなんだよ。」

そう言って、先生は無邪気な笑顔とともに、まるで雑談のようなやわらかさで私に向けて語りかけてきた。
それは新緑の季節で、その空気も、隣でほほえんでいた友人の笑顔も、レッスン室の無機質な感じも、今でもなんとなく覚えている。


ドイツ語では、弦楽奏者のことを「Streicher(シュトライヒャー)」という。
「streichen(シュトライヒェン)」は、こする、さする、などの意味を持ち、
そしてそこから派生した「streicheln(シュトライヒェルン)」という言葉は、「やさしく撫でる」という意味になる。

「streichen」と、「streicheln」。
このふたつの言葉の響きと意味を考えることがとても好きだ。
なぜなら、弓を動かして音を奏でることは、
まさに「こする」と「撫でる」のあいだにあることだと思うから。

ただ物理的にこするのではなく、
うつくしいな、素敵だな、愛おしいな、
そんな気持ちで一音一音を愛でる。
そうすると奏者の心が、弦を通してそのまま音の表情にあらわれる。


イタリアの作曲家ジェミニアーニは、ヴァイオリン奏法に関する自身の文献の中でこう語っている。

…作曲者とともに演奏者にも聴衆に感動を与えようという希望があるが、まず自分自身が感動しなければならないということである

…as well the Composer as the Performer, who is ambitious to inspire his Audience, to be first inspired himself


つまり、「自分が感動していなければ、他人を感動させることはできない」のだ。
猫を撫でるという行為も、音を奏でるという行為も、
自分の中にたっぷりの愛情がなければ、相手の心には届かないのだと思う。


猫は、乱暴に触られるとすぐに逃げてしまう。
けれど、こちらが「大丈夫だよ」と、やさしく手を差し出せば、
向こうからうれしそうに寄ってきてくれることがある。
音楽もきっと同じだ。
演奏とは、音楽に何かをさせることではなく、
「音楽と仲良くなる」ことなのだと思う。


たとえ自分が楽器を通して主導しているように見えても、
本当は音楽の方がずっとそこに存在していて、生きていて、待っている。
私たちはそれを音として鳴らしてあげる手助けをしているだけなのかもしれない。

だから猫を撫でるときのように、「ほら、こっちにおいで」と語りかけるように、
焦らずゆっくり、ご機嫌をうかがい、ときに微笑みながら、そっと弦に触れてあげよう。
私は、そういう弓の使い方をしたいと思う。
ただ音を出すのではなく、音をかわいがるように、音を愛でるように。


私は Streicher シュトライヒャー(奏者)であるけれど、時に “Streichler シュトライヒラー(撫でる人)”でありたい。
こんな言葉は存在しないかもしれないけれど、私はこの言い方がとても好きだ。
音を「鳴らす」のではなく、大切な音と暮らし、音とともにありたい。


※ noteを始めて、ほんの数日。
ドキドキしながらアカウントを開設し、最初の記事を投稿しました。

すると、思いがけず多くの方が目を留めてくださいました。

心から感謝しています。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

次の記事は、5月11日(土)午後に更新予定です。

タイトルは、
「休むという勇気」。

週末の午後に、コーヒーやお茶とともに
ほっとひと息つけるようなことばたちをお届けできたら嬉しいです。

#Shiologue
#
大切にしている言葉
#エッセイ
#音楽と言葉
#古楽
#バロック音楽
#音楽家の思考
#哲学と音楽
#ヴァイオリン
#音を生きるためのことば
#古楽に学ぶ今の在り方

いいなと思ったら応援しよう!