会社に、FAXが来た日—————原稿は電話線を走らない。
今ではFAXもビジネスの現場から姿を消しつつある。
若い人の中には、実物を見たことがない人もいるかもしれない。
しかし、私が若かった頃、会社にFAXが導入された日の衝撃は大きかった。
それまで、見積書や図面、原稿などは郵便やバイク便で届けていた。
急ぎの書類があると、担当者が車を飛ばして持っていくこともあった。
それがFAXなら、会社にいながら相手先へ送れる。
まるで未来の機械だった。
ところが、導入直後、そのFAXを使おうとした機械に疎い上司が困っていた。
「おかしいなあ」
しばらく機械と格闘したあと、こう言った。
「さっきから原稿を送ろうとしているんだけど、どうしても反対側から出てきて送れないんだ」
話を聞いてみると、上司はFAXをバイク便のようなものだと思っていたらしい。
原稿そのものが機械の中を通って電話線を走り、そのまま相手先へ届くと思っていたのだ。
だから、何度入れても紙がこちら側から出てくるので、「送れない」と悩んでいたのである。
しばらくして相手先から電話がかかってきた。
「同じ原稿が何枚も送られてくるんだけど、どうなってるの?」
どうやら、ちゃんと送信はできていたらしい。
今となっては笑い話だが、私はこの話を思い出すたびに、人間というのは新しい技術を理解するとき、まず古い経験に当てはめて考えるものなのだと思う。
FAXを初めて見た人は、それを「速いバイク便」だと思った。
パソコンが出てきた頃は、「電子タイプライター」だと思った人もいた。
インターネットは「電子版の電話帳」だと思われていた。
そして今、私たちはAIを前にしている。
AIを「すごく物知りな人」だと思う人もいる。
「質問したら正しい答えを返してくれる機械」だと思う人もいる。
しかし実際には、AIは人間とも検索エンジンとも少し違う。
だから使いながら理解していくしかない。
考えてみれば、FAXを初めて見た人たちも同じだった。
誰も最初から本質を理解していたわけではない。
私たちはいつも、新しい技術を古い常識で理解しようとする。
そして、その勘違いを少しずつ修正しながら生きている。
もしかすると、今の私たちがAIやクラウドについて「こういうものだ」と思っていることも、10年後の人たちから見れば笑い話になるのかもしれない。
あの日、会社にFAXが来た時の上司のように。
そう考えると、未来は案外面白い。
