🦉エセー番外編⑱名前を呼ぶ力 ― 存在を承認するということ
「名前を呼ばれる」ということは、単なる呼称以上の意味を持ちます。
それは存在を承認されること、生命が確かに燃えていると感じさせること。
今回は映画・哲学・日常を横断しながら、名前の持つ力について考えます。
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名を呼ばない罰
アルゼンチン映画『瞳の奥の秘密』の被害者の夫は、捕まえた犯人を25年間自宅で監禁しながら、一度も名前を呼びませんでした。
犯人が「名前を呼んで欲しい」と懇願する場面は、名を呼ばれないことが究極の罰であることを突きつけます。
呼ばれない名前は、存在を無化されるのです。
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名を呼ぶことの倫理
高齢者が「今日一日、誰にも名前を呼ばれなかった」と寂しさを語るのを耳にすることがあります。
また人質立て籠もり事件の交渉人は、必ず犯人と名前を呼び合おうとします。
名前を共有すると「無名の他者」が「関係を結ぶ存在」へと変わり、撃たれるリスクが大幅に下がるのです。
名を呼ぶことは、存在を承認し、他者とつながる行為なのです。
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固有名詞の翻訳不可能性
固有名詞は翻訳できません。
「Michael Jackson」は世界中どこでも「Michael Jackson」であり、「ジャクソン・マイケル」にはなりません。
ところが日本人は自己紹介の際に「山田太郎 → My name is Taro Yamada」と、順序を入れ替えてしまう。
これは固有名詞の翻訳不可能性に反する行為であり、自分の固有性を文化に迎合させて揺るがしてしまう矛盾を孕んでいます。
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名をつけないという知恵
一方で、日本の畜産業において最高級とされる松阪牛には、売るための牛には決して名前をつけません。
名付けると感情移入が生まれ、その牛は「商品」ではなく「取り替え不可能な存在」になってしまうからです。
このことは次のように言えます。
名をつけるか否かの判断は、経済や感情に直結するほどの力を持つ。
つまり、名前を与えるかどうかは、単なる言葉の問題ではなく、
「その存在をどう扱うか」に直結し、ビジネス(経済)や人の心(感情)を大きく左右するのです。
畜産農家の実践は、名付けの持つ力を逆説的に証明しています。
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歌が伝えること
ゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」はこう歌います。
「名前 それは燃える生命(いのち)… 呼びかけよう 名前を、すばらしい名前を」
名前とは、翻訳不可能な唯一無二の存在。
呼びかけられることで、その人の尊厳は輝き、生命の火が確かに燃えるのです。
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結語
名を呼ぶことは存在の承認であり、名を呼ばないことは存在を無化する罰である。
さらに、名をつけるか否かの判断は経済や感情に直結する。
固有名詞は翻訳できないがゆえに絶対性を持ち、呼びかけや名付けによって人間の尊厳を支えている。
だからこそ、名前をめぐる営みは、私たちが互いの生命を尊重し合う最も根源的な実践なのです。
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☕️ 本編はすでに終了しています。
本稿はその幹から派生した「枝葉」として、新しい視座を試みたもの
