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📚シリーズ未整理と断片:「優秀な人」とは誰なのか――ポジショントークを切り口に考えてみた

僕は、ポジショントークが苦手かつ、嫌いだ。

自分の所属や肩書によって、言うべきことが最初から決まっているような場面に出くわすと、必要に迫られない限り、沈黙してしまう。

なぜなのか。

最近、財務省の一松旬(ひとつまつ じゅん)氏の異例人事をめぐる報道を見ながら考えてみた。

一松氏個人を論じたいわけではない。
極めて優秀だと評価されてきた人物だからこそ、題材として意味がある。

僕が問いたいのは、「その優秀さとは、何に対する優秀さなのか?」ということだ。

よって、僕が興味を持ったのは、「開成、東大法、財務省、主計局、次官候補」「10年に1人の逸材」といった報道上の人物像である。

これらはすべて、その人がどのような構造を通過し、そこでどう評価されたかという構造履歴だ。

📌一般名詞とは「属性の集合」である

例えば、「財務官僚」「課長」「局長」「社員」「管理職」等々。

これらは一般名詞であり、特定の対象を指す固有名詞とは異なり、あるカテゴリーに共通する性質や特徴を定義する「属性の集合」によって成立している。
そして組織は、その一般名詞に対応した「型」を人に要求する。

ただし、忘れてはいけない。
その型が有効なのは、あくまで想定範囲の内側だと言うことだ。

想定範囲が変われば、昨日までの「優秀さ」がそのまま通用するとは限らない。
あくまでも、ある規定条件(想定範囲)のもとで、ある型をうまく作動させている人と言って良い。

にもかかわらず僕たちは、「ある構造に高度に最適化していること」を「人間として優秀であること」へ拡張してはいないだろうか。

📌方向性と立場

視点を分解すると、「方向性」と「立場」に分けられることに気づいた。

▶︎生成は、方向性を生む。
▶︎構造は、立場を与える。

本来なら「自分はどこへ向かいたいのか」という方向性があり、その実現のために立場を使う。

ところが逆転すると、

立場から方向性を作り始める。
これがポジショントークの正体ではないか。

そして立場から方向性を作り続ければ、究極的には「組織を維持する」という方向へ収束していく。

構造が生成を支えるのではなく、構造を守ること自体が目的になる。


📌漫画家水木しげるさんが描いたもの

ここで僕は、水木しげるさんの『総員玉砕せよ!』を思い出す。

DVD:NHKスペシャル 鬼太郎が見た玉砕
~水木しげるの戦争~

水木さんは戦場で、日本軍という巨大な組織の非人間的な特性(サイコパス)を身体で経験した。

そこでは取り替えの効かない固有名詞であるひとりひとりの「生きたい」「帰りたい」という生成より、「兵士」という一般名詞に要求される型が優先された。

そして生き残った水木さんが戦後に描き続けたのは、妖怪をはじめとする、どこか構造からこぼれ落ちたものたちだった。

分類しきれない。合理化しきれない。役に立つかどうかも分からない。

それでも、いる。

そこに僕は、水木さんの人間観を見る。

昔、好きでよく読んでいた作家の宮部みゆきさんは、その著作『火車』の中で、
「買い替えがきくものに根は生えない。」と書いてあったことを思い出した。

今ならこう言い換えたい。
「取り替えが効く関係...そこに絆は存在しない。」

特に大きな組織は取り替え可能性によって強くなる。
しかし人間は、「あなたでなければならない」という取り替え不能な関係の中で根を張る。

だから僕が怖いのは、組織そのものではない。

構造にとって都合の良い人間を、「優秀な人間」と取り違えてしまうことだ。

良い構造とは、人を一般名詞として処理しながらも、その向こう側に、属性の集合では決して回収できない固有名詞の人間がいることを忘れない構造なのだと思う。

そして、本当に問うべきなのは、

「あなたは、どこに立っているのか」

ではない。

「あなたは、そこからどこへ向かおうとしているのか」なのではないだろうか。

構造に最適化された人物が、その構造の代弁者として語り始めるとポジショントークになる。

会社、マスメディアやSNSなどで、日々うんざりするほどこの手のトークが溢れかえっている。

ふと思った...構造の内部にいながら、その構造の方向とは違うことを言い始めた人をがいたとしたら、自分はどう評価するのだろうか。

🙎‍♂️あとがき
――「あなたでなくてもいい」の帰結

「静かな退職という働き方」は、突然現れた若者の価値観なのだろうか。

1990年代後半以降、日本企業は雇用の流動化や成果主義などを進め、「人は交換可能である」という側面を以前より露わにしてきた。
そしてそれは大企業だけでなく、中小零細企業にも拡がった。

しかし大手と違い、(日本人の大半の雇用を支える)中小零細企業にあった強みは、社員を「営業職」「事務職」という一般名詞ではなく、「○○さん」という固有名詞で結べることではなかったか。

会社が社員に「あなたでなくてもいい」と、明示・黙示を問わず伝え続ければ、やがて社員もこう答える。

「別にこの会社でなくてもいい。」

本稿で取り上げた宮部みゆきさんは著書『火車』で、「買い替えがきくものに根は生えない」と書いた。

会社が人を交換可能な部品として扱いながら、愛社精神や献身を求めるのは難しい。

「静かな退職という働き方」とは、その矛盾への静かな応答――会社員という立場には残りながら、自分の人生の方向性を会社から回収する現象なのかもしれない。

早々に5刷を超える大ヒットを記録とのこと

🤖あとがき2ーー事務処理能力は必要

私は「事務」を否定しているのではない。
むしろ事務は、人の生成を社会の構造へ着床させ、その生成を支えるために不可欠な仕事だと思っている。
私が批判しているのは、事務が生成を支えるという本来の目的を失い、生成を捨象してまで既存構造を維持する仕事へと自己目的化してしまうことである。

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