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「もうやめよう」と思った発信を、僕が再び始めた理由。

僕は、毎日、命をかけてnoteを書いてる。
…いや、大袈裟か。
でも、それくらい一生懸命書いているのは本当だ。

気づけば、もうすぐ120投稿だって。
まあまあな数になってきたよな。

これからも、できるだけ多くの人に読んでほしいし、
できるだけ多くの人の、心の深いところに触れたいと思ってるんだ。

「誰かの中で、消えずに生き続ける言葉」
みたいなものが、
もし、このnoteで残せたら、
それは、僕が昔から、一番やりたかったことなんだと思ってる。

だからそのために、頭をフル回転させて、
誰も使ってないような、
新しい言葉や切り口を搾り出してる。

でも、一つ書き終えたからって、満足や安心なんてほとんどしないんだ。

心がずっと落ち着かない。
それが発信をやるって事だと思う。

どこまでも、読んでくれた人がどう感じたのかが気になるし、昨今は特にリスクもデカい。
書けば書くほど、自分の未熟さもわかるし。

出しては不安になり、出しては不安になり、
心のどこかでは、
やめようか続けようか迷うのは、少なくないんだよな。

たぶん、これを読んでくれている人も、
何かしらの形で発信している人が多いんじゃないかな。
だから、この気持ちはわかってくれるはずだよな。
発信してる人のこと、みんなすごいと思ってる。

発信ってさ、ほとんどの人が好意で受け止めてくれるよな。
応援してくれる声のほうが、圧倒的に多い。

いいねやフォローって、本当に嬉しいよな。
お金じゃ買えないものだしな。

でも、ごく一部には、冷たい言葉を投げてくる人もいるだろ?
理由はさまざまだけど、
誰にでも“アンチ”は必ず現れるし、
そこで受けた傷は、
心の奥に残って絶対に消えないよな。

もちろん、発信者がまったく無実ってわけでもない事も多いから、アンチを頭ごなしに否定するつもりもないんだよ。



僕は、小さい頃から、家庭でたくさんの愛を受けて育った。
小中学校の友達にも恵まれすくすく育ち、
高校も大学も、バンド活動も、
いつも温かくて、すごいやつらに囲まれてきたと思う。

世間から見れば“不良”でも、
僕にとっては命より大切な仲間だった。
今もそうだ。僕の財産はなにより"人"だと思う。
最強の仲間が、今もたくさんいる。

そんな絆の熱い世界で生きてきた僕には、

SNSの冷たさなんて、自分には土台があるからか、そんなには気にならなかった。

…そう、思ってたんだ。


でも、結局、僕は発信をやめてた。
発信を5年本気でやって、HPが徐々に削られ、0になったんだと思う。

知らず知らずのうちに、
刃が心の奥に突き刺さり、
溜まり続けて、
血尿が出るほど心を削り、体を壊して倒れた。

YouTubeのチャンネル登録者は2.5万人。
ニュース番組の定期レギュラーも、
ブルームバーグのお話も、
5年間積み上げてきた様々な活動も、
ある日すべてを手放し、
2年間、完全に声を失った。

承認欲求なんて言葉も、僕から消えた。
すべてをリセットしたくなるような日が続いた。


でも、結局僕は、
もう一度noteを書き始めた。

理由はひとつだと思う。
「伝えたいこと」があるからだ。

どれだけ頭を使って言葉を捻り出しても、
伝えきれないことばかりだ。
リスクも取りたくないしな。

でも、このnoteにプライドを持って書いてる。



SNSは自己満足だ、って言う人もいる。
でも、僕はそうは思わないんだ。

だって、発信してる人はみんな、
誰かに向けて発信してるだろ?

読んでくれた誰かが、
ほんの少し元気を取り戻したり、
「やってみようかな」って思ってくれたら、
それが、本当に嬉しいよな。

全員に好かれる文章なんて存在しない。
もしあったとしても、
それは角を削ぎ落とした退屈なものだと思う。

だから尖ったままでいいんだと思う。


発信を通じてわかったことがある。

「発信は、人を変えるし、なにより自分を変える」

それが、発信するすべての人にとって、意味のないはずがない。

僕は、本気で何かを頑張る人すべてにリスペクトを持ってる。
だから、もっと自由に。
何にも囚われず、
自分の好きなことを発信してほしい。

発信で死にかけた僕が言うんだから。


*娘に、大人になったら絶対パパのnoteを全部読んでねって伝えてる。
すごく楽しみにしててくれてるみたいで嬉しい。

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