何もしていないのに消耗している理由 情報を浴び続けないと不安になる正体
何もしていないのに
ずっと疲れている
寝ても回復しない
休んでも軽くならない
一日中
大したことはしていないはずなのに
内側だけが削れている感覚がある
同時に
もう一つの感覚がある
何かを見ていないと
不安になる
動画
SNS
ニュース
コンテンツ
止めると
落ち着かない
置いていかれる気がする
多くの人は
これを
怠けだと思う
集中力がないと思う
意志が弱いと思う
だが
それは違う
これは
情報中毒ではない
正確には
情報によって
自分をつなぎ止めている状態だ
まず
決定的な事実を言う
情報は
休息ではない
処理だ
見ているだけ
聞いているだけ
流しているだけ
そう思っている間にも
脳は
選別し
比較し
判断している
何が正しいか
何が流行か
何が価値か
これを
止めずに続けていれば
消耗しない方が不自然だ
だが
ここで
一つ疑問が残る
なぜ
疲れているのに
情報を止められないのか
理由は
快楽ではない
刺激でもない
恐怖だ
情報を止めると
何が起きるか
静かになる
外部入力が消える
すると
今まで
情報に覆われていたものが
浮かび上がる
空虚
不安
方向感覚のなさ
自分が何をしているのか分からない感覚
これに
人は耐えられない
だから
また情報を浴びる
ここで
アハ体験が起きる
あなたは
情報を楽しんでいたのではない
情報で
自分の不在を
覆い隠していただけだ
今の社会では
多くの人が
自分の人生を
自分で動かしている感覚を
持てていない
代わりに
上から
完成したコンテンツが降ってくる
これが面白い
これが正解
これが幸せ
これを見ろ
それを
受け取る
消費する
次へ送られる
この循環の中では
自分で選ぶ必要がない
考えなくていい
決めなくていい
だが
同時に
自分で生きている感覚も
育たない
情報を浴び続ける生活とは
生きているのではなく
運ばれている状態だ
自分で歩いていないのに
景色だけが流れていく
だから
手応えが残らない
満たされない
なのに
止まると
怖い
ここが
最も重要なポイントだ
何もしていないのに消耗しているのは
あなたが
何もしていないからではない
自分の人生を
他人の文脈で
処理し続けているからだ
他人の関心
他人の価値観
他人の成功モデル
それを
一日中
体内に流し込めば
疲れる
当然だ
多くの人は
ここで
こう言われる
デジタルデトックスしろ
SNSをやめろ
意識を高く持て
だが
それもズレている
問題は
情報の量ではない
問題は
自分の人生が
情報に吊られていることだ
最後に
もう一段
認識を反転させる
情報中毒とは
快楽への依存ではない
存在を保つための
仮の足場だ
情報を浴びている間だけ
世界とつながっている気がする
時代に遅れていない気がする
自分がまだここにいる気がする
それが
手放せない理由だ
だから
あなたは
壊れていない
怠けてもいない
この社会で
自分が消えないよう
必死に
情報にしがみついていただけだ
ここは
情報を断つ場所ではない
意識を高める場所でもない
ただ
なぜ
情報を浴び続けないと
不安になるのか
なぜ
何もしていないのに
消耗していたのかを
構造として
言語化する場所だ
