姫華ちゃんとエンコー教師 最終話 姫華ちゃんの青い春
少しずつ茜色を増してきた夕日に照らされる屋上庭園には、何人かの生徒とお客さんがいた。
屋台は出ていないものの、園芸部の活動の成果である庭園を見てもらうためにハルモニア祭の開催中も常時解放している。名前はよく知らなくても、咲き誇っている花々はきれいでいい香りを運んできてくれる。
「おお、素晴らしいですね。ヒガンバナにダリアにリンドウにコスモス。どれもいい顔つきです」
マスオちゃんは早口言葉みたいに花の名前を言って、高給な絨毯みたいな鮮やかな彩りを見て目を輝かせていた。なんだか子どもみたいでかわいい。
「先生、お花好きなんですか?」
「ええ、母が華道の先生をしているものでして、それで子どものころから花の名前を教え込まれたりしました。そのせいか気がつくと、花があるところが落ち着くようになり、自分でも花を育てるようになってしまいました」
「へえ、オシャレ」
花にはとんとむとんちゃくな私と、花に詳しいマスオちゃん。これはバランスがいいのでは。お互いの足りないところを補い合う、理想のカップル的な。私がマスオちゃんのなにを補えるのかはまだわからないけど。
「でもそのせいで小学生のころはバカにされたものでした。女子にまじって花のお世話をする係をしていたら、男のくせに花なんて、って。ほかの男子からそう言われて、仲間はずれにされたものです」
「ああー、男の子どうしだとそういうのありそう。好きなものがあるのはなんだって素敵なことなのに、そんなこと言うほうがおかしいんです」
苦笑いしていたマスオちゃんは、やさしい顔になって私を見つめた。
「なっ、なんですか」
「いえ、今の押野さんの言葉を小学生のころの私に聞かせてやりたいなって、思っただけです。ありがとう、押野さん」
「は、はい、どういたしまして」
にっこり笑いかけられて顔がカッと熱くなった。それだけで心臓が鐘みたいに高鳴っちゃう。これ、告白するなんてなったら、弾けとんじゃうんじゃないかな。
「さてと、枡野さんが言っていたのはコスモスでしたね。コスモスにも色や種類がありますが、どれにしましょうか。何かこういうのがいいとかありますか?」
一瞬誰だっけと思ったけど、枡野は愛実の苗字だ。名前で呼び合ってるからあんまり耳慣れない。
「えっ、コスモスにも種類とかってあるんですか?」
「ええ、ありますよ。桜にもソメイヨシノとか八重桜とかあるみたいに。例えばそこの黒っぽい紫色のはチョコレートコスモスです」
「へえ、なんか大人っぽい雰囲気がする色」
「名前だけじゃなくてにおいもチョコみたいなんですよ」
大人のお姉さんみたいな色気を放つ華麗な花にかがんで鼻を近づけてみると、ぶわっと香ってきた。
「わっ、ホントだ!カカオの濃いチョコみたいなにおい!おいしそう!」
「食べられませんからね」
「わかってます」
「イヒヒ、冗談です」
「もう」
気持ち悪い笑い方をするマスオちゃんをじろりとにらんで脇腹をつついた。なんだかこの笑い方にも慣れてきてしまった。
あれ、というか今のやり取り、ちょっとカレカノっぽくない。恥ずかしいけど、こそばゆい。
「それで、これはどうでしょう?」
「うーん、ちょっと大人過ぎる感じがします。高校生にはまだ早いっていうか」
「なるほど。それではこちらはどうでしょう」
マスオちゃんに案内されて屋上庭園を見て回っていると、デートしたらこんな感じなのかなって思って、すっかり楽しんでしまった。
ああ、どうしよう。この時間がずっと続いてほしいけど、そういうわけにはいかないもんなあ。コスモスを選んだらとけてしまう魔法の時間。シンデレラの魔法がとけるよりもはかない逢瀬。
少しでも遅らせられないかと往生際悪く思っていると、平和の鐘がすぐ近くにあった。なんたることか、しかも私たちの周りには誰もいない。みんな花に見惚れて、みだりに鳴らすべからず、とちょっと怖いフォントで書かれた看板が立った鐘には見向きもしていない。
これは、チャンスなのでは。
「あの、先生」
「はい、なんでしょう」
花の説明をしてくれていたマスオちゃんが、説明を中断されたのを気にする様子もなくこたえる。ああ、そういうとこも大人っぽくて好きだなって思っちゃう。
「先生は知っていますか。この平和の鐘の伝説」
「伝説って、何かあるんですか?」
「はい、あります」
私はすっと花の香りを胸いっぱいに吸い込んで、おだやかな気持ちで話した。
「ハルモニア祭の最中に、誰からも目撃されることなく、一緒に紐を掴んで鳴らしたものたちは永遠に結ばれる。そういう伝説です」
「へえ、それはまたロマンチックな伝説ですね」
「鳴らしませんか、先生」
「えっ?」
「私と一緒に、鳴らしてくれませんか」
まっすぐ見つめながらはっきりと言うと、マスオちゃんは目を見開いた。
「ええと、それはつまりその、私は押野さんから告白、されたのでしょうか」
「そうです。私好きなんです、先生のこと」
告白したけど弾けとんじゃうことはなくて、思っていたよりも落ち着いていた。やっと言えた、っていう達成感と安心感と、私の中でなにかがコトリと動いたっていう実感があった。
子どもと大人の境目で揺れていた私が、大人の側にちょっとだけかたむいたような、そんな気がした。すごろくで言えばひとマス進めたくらいのちいさな前進。
「ありがとう、ございます」
マスオちゃんはそれ以上動揺することもなく、落ち着いてズレた眼鏡の位置を直している。その余裕がムカつく。もっと動揺してよって思っちゃう。
だけどそれもそうかなと思う。
前に愛実が言ってた。マスオちゃんいろんな子たちから告白されてるみたいだ、って。
はあ、そりゃ慣れもするよね。またか、ってうんざりしたりもするんだろうな。断るしかないのに告白なんかするなよ、って。
もしも私が一番最初にマスオちゃんに告白していたら、もっと慌てさせられて、大きな爪あとを刻めたのかな。何年も忘れられないくらい大きい、押野姫華っていう女の子がいたっていう証を。
でもそれが何番煎じかわからないくらいになっていたら、簡単に埋もれてしまう。またかの中に埋もれて私なんて、鰯が傷むくらいあっという間に(キミカン語録)忘れられてしまう。
マスオちゃんの口から何人もの生徒に言ってきたであろう、断り文句が聞こえてきた。
「押野さんの気持ちはとても嬉しいです。ですが、私は教師で押野さんは生徒です」
嫌だ。そんなの嫌だ。せめて私を忘れないでいてほしい。
なにかほかの子たちがしてきてない、私だけの何かをできないか。
えっと、そう、例えば、キス、とか。
あの薄くて形のいいくちびるに、私のそれを重ねて、マウストゥマウス。
だめだ、できるわけない。私はともかく、マスオちゃんの社会的な立場はそれだけで失われてしまう。
こんなときでもそんなことを思ってブレーキをかけてしまう。私はそうゆう人間なんだ。シケた海に船を出せない人間なんだ。(キミカン語録)
「だからその、待っててもらっても、いいですか?」
「へっ?」
あれ、いまなんて言われたんだろう。ごめんなさいじゃなかったのは確かだ。断られる前提で、津波に飲まれる覚悟でいたから(キミカン語録)、それ以外の言葉を脳が上手く飲み込んでくれない。
だけどマスオちゃんは、私の目を見てしっかりと言ってくれた。
「押野さんが卒業するまで、同じ気持ちでいてくれたなら、一緒に鐘を鳴らしましょう。近所から苦情がくるくらい、ガンガン鳴らしましょう」
まさかそんなことを言ってくれるなんて思ってもいなかった。私の胸の鐘はガンガン鳴って、もう弾けとびそうになっていた。
ああー、なんか嬉しすぎて、夢みたいで、ふわふわしてきちゃった。
「せんせい、ほかの子にもおなじようなこと、言ったりしてないですよね?」
だからあまえるような口調になって、聞いていた。
「言ってないです。しっかり断ってきました。押野さんにだけです、こんなこと言うのは」
「ほんとうですかあ?」
「ほんとうです。信じてください」
真剣な目で見つめ返してくれて、切実な声で言ってくれて、私はもうしあわせすぎて、どうにかなっちゃいそうだった。太平洋を大シケさせるくらいの、幸せの潮を吹いてしてしまいそうだった。(キミカン語録)
「んー、わかりました。信じてあげます」
「よかった」
心底からほっとしたみたいに息をつくマスオちゃんがかわいくて、愛しくてたまらない。なんかもう、愛実みたいなことをしたくなっちゃうくらいに。イソギンチャクみたいに絡み合いたいくらいに。
「あっ!」
腕時計に目をやったマスオちゃんが慌てたような顔をしている。
「どうしたんですか、いきなり大きい声出して」
「時間、そろそろ第二幕が終わりそうなくらいです」
「えっ!?ヤバッ!」
うへうへしていた私の意識が冷水を浴びせられたみたいに一気にシャキッとした。
クライマックスまでに持っていけばいいやとのんびり思っていたら、まさかもうそんなに時間が経っていたなんて。マスオちゃんとラブラブしすぎてしまった。
「花どうしましょう」
「そんなのもうテキトウなコスモスでいいですよ!花の種類なんて誰もわかんないだろうし、間に合わない方が大問題です!」
「ですが花にはひとつひとつ個性や花言葉がありまして」
「はいはい!今はそういうのいいですから!なんか見栄えのいいコスモスないんですか!」
「うーん、そうですねえ。あっ!あれはどうでしょう」
マスオちゃんが指さしたのは、淡い紫色の花びらが放射状に広がった清楚な花だった。
奇跡的に私でも知っているあの花に似ている、愛らしく清楚な大和撫子みたいな雰囲気のお花。
「なんかちっちゃいキクみたいな花ですね。これもコスモスなんですか?」
「そうです。これはブラキカムといって、別名を姫コスモスといいます。花言葉は優美、可憐な仕草。まさに姫華さんにぴったりです」
「えっ、いま私のこと名前で呼びました?」
「いや、気のせいでしょう。さて、六七本くらい束ねて持てば見栄えもするしこれでいきましょうか」
「先生、もう一回呼んでくださいよお」
あまえる私をかまってくれず、マスオちゃんははさみで姫コスモスを切り、リボンで手早く巻いて花束にした。なんていう早わざ。
「さっ、行きますよ、押野さん」
「あっ、呼び方もどした。ずるーい」
「ずるくないです」
じゃれ合うように言い合いをする私たちの後ろで、平和の鐘がカーンと澄んだ音を立てた。きっとしあわせなふたりが生まれた音。
来年は私とマスオちゃんで鳴らしてやるから待ってろよ。あれでも、私の卒業を待つなら再来年か。まあ細かいことはいいや。
とにかく今は早く教室に戻らないと。
「行こっ、先生」
「あっ、ちょっと押野さん!?」
私はマスオちゃんの手をにぎって屋上の出入り口に走った。すぐ振りほどかれるかと思ったけど、マスオちゃんも手を握り返して小声で言った。
「しょうがない、屋上から出る間だけですからね」
「ええー、どうしよっかなあ」
「ちょっと、今度はエンコー教師じゃなくて手つなぎ教師になっちゃいますよ!」
「手つなぎ教師はあんまりおもしろくないです。なにか別の言い方考えてください」
「えっ!?じゃあべつのところをつなぐんですか!?」
「なっ、なに言ってるんですか!?変態教師ですか!?」
「イヒヒ、冗談です」
「おもしろくない!ぜんっぜんおもしろくない!」
とりあえずマスオちゃんには卒業までに、ユーモアの基本とカップルのありかたを叩き込まないとだめみたいだ。
あとついでに、気持ち悪くない笑い方も教え込もう。
