あなたたちが覚えている私は、どんな母親だろう?
今日はピアノのレッスン日。
いつもは30分ですが、今日は先生の都合で45分になりました。
送迎は基本的に旦那の担当ですが、次女はレッスン後に空手教室があるので、長女のお迎えは私の役目です。
『今日は45分だし…』と油断して、noteを読んでいたら、ほっこりしたりニヤニヤしたり。コメントまで書いて、何気なく時計を見ると、『え!?もうこんな時間!?』と気づけば、レッスン終了の10分前でした。
自宅からピアノ教室までは車で約10分(ただし、信号はすべて青の想定)。
間に合わない…。
慌てて家を飛び出したものの、車のキーを忘れた私。
そういう時に限って、エレベーターが来ない!いや、来なすぎる!!(※私の体感です)
誰が悪いかって、noteが面白いから…ではなく、明らかに油断していた自分。娘にきちんと謝ろうと心に決めて、急いで車を走らせました。(安全運転でね。)
幸い、レッスンが少し長引いていて、ちょうど教室から出てきた長女とばっちり合流しました。(結果オーライ)
車に乗った娘に、『ギリギリになっちゃってごめんね。』と謝りました。すると、娘から『間に合ってるし、別に謝ることじゃないでしょ。どうせnoteに夢中になって、時間忘れちゃってたんでしょ?スキつけてもらえた?』と言われました。
み、見透かされてる!?
え?しかも、スキまで気にしてくれてる!?
冷静に考えると、なんだか上から目線なのでは?笑
娘にとって、私は一体どんな風に見えているんだろう。
ちょっと聞いてみたくなって、先ほどからマインクラフトに夢中な娘たちに、『ママを漢字一文字で表すとしたら何だと思う?』と聞いてみました。
長女いわく、『愛』
次女いわく、『優』
娘たちが答えた『愛』と『優』という文字は、本心かはかなりあやしい。マイクラに熱中しているタイミングだったし、ゲームを続けるために適当に答えた可能性だって、なくはない。笑
それでも単純な私は、やっぱりうれしくて、この子たちのためにもっと頑張ろうって思えるには十分すぎる言葉でした。
私が『こうありたい』と思う母親像と、娘たちが見ている母親という存在は、たぶん全く違います。なぜなら、感情的になって怒ってしまう日もあるし、焦って空回りして、うまくいかないこともたくさんあるからです。
娘たちに優しくできなかった夜は、寝顔を見ながら『ごめんね』と心の中で何度もつぶやいていては、『明日こそは変わろう』と何度も何度も誓ってきました。
そんな私の怒った顔も、笑った声も、そしてnoteに夢中になって慌てて迎えに行った今日みたいな日も、娘たちの心のどこかに、自分の母親像として(忘れてほしいことほど鮮明に)残っていくのだと思います。
『どんな母親でありたいか』は、私が決めることではなく、娘たちがこれからの人生で、自然と決まっていくものなのかもしれません。
娘たちが大人になって、ふと昔を思い出した時、その記憶の中にいる私が、彼女たちにとっての母親です。
じゃあ今、私は娘たちに何を残せているんだろう。
何を伝えられているんだろう。
ふとした一言や、小さな時間の積み重ねが、未来の彼女たちのなかで何かに変わっていくといいな、と考えさせられた一日でした。
でも、少しはママのこと美化してね。
ここまでお読みいただき、
ありがとうございました^^
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