どうすればよかったんだろう
小学校低学年の頃、私は引っ込み思案なところがあって、友だちとも積極的に遊ぶ方ではありませんでした。
津田さんとは背が高いという共通点があり、背の順で私の前でしたので仲良くなりました。
授業で2人組になる時は、よく津田さんとペアを組みました。
しかし実はそこまで気が合う好きな友だちというのでもなかったのです。
たまたま私に仲のいい子がいなかったというだけ。
津田さんは今でいう知的障害児のごく軽い子どもでした。勉強はできないし、髪はいつもぼさぼさでした。
でもとてもやさしかったのです。
まあ、自分の意見を言わないというか、いつも私が言うことを静かに聞いてくれました。
私も人に何やかや言えない方ですので、安心できたのだと思います。
けれども残酷なことですが、子どもは成長します。
小学校3年生ともなると交友関係が広がり、学校から帰って遊ぶ子が津田さんとは違って明らかに明るい子たちになっていきました。
私は勉強はできましたし、ずっと学級委員でしたので友だちに困ることはありませんでした。
しだいに津田さんとは距離をとるようになりました。
ちょうどそのころです。
図工で粘土をしていました。
先生がいなくなってから、男の子たち7、8人が津田さんに向かって小さくちぎった粘土を投げつけていました。
津田さんは粘土を投げつけられながら、私の方を見ていました。
私はすぐに津田さんをかばいにいき、男子に向き合いました。
声をあげるところまではできませんでしたが、私は津田さんの隣で、男子が投げる粘土を払いのけていました。
男子もそれほどの悪党でもありません、私までいじめる気はなかったようで、粘土投げはすぐおさまりました。
津田さんは私の方を見ていたのに、今までのようにすぐこちらに来なかったのは遠慮していたのだと思います。
私はその時、津田さんから少し距離を置くようになっていたのです。
それにその時初めて思いました。津田さんって髪の毛ぼさぼさじゃないかと。
とにかくそんな風に私は津田さんにいい顔をしながらも少しうっとおしいと思う、自分でも少しちぐはぐな態度をとっていたのです。
小学校4年生になりました。
私に大きな転機が訪れます。
親友ができました。
その子は小学校4年生で松本清張の文庫本を次々と読むようなキレものでした。
私もようやく引っ込み思案を脱っしつつあり、学校から帰って友達と遊ぶようになりました。タイミングもよかったのかもしれません。
私と唯ちゃんは、毎日学校から帰ると一緒に遊びました。
そうこうするうちに唯ちゃんを通じて友だちはどんどん増えました。
そして6人のグループができたのです。
6人はいつも一緒に遊びました。楽しかった。
私は津田さんのことはすっかり忘れていました。
小学校6年も過ぎていき、修学旅行の季節になりました。
6年生は3クラスありました。先生は3つのクラスの全員を一部屋に集め、言いました。
「6人グループを作ってもらいます。一緒に旅館の部屋に泊まる人です。クラスは関係ありません。仲のよい友だちでグループを作ってください」
6人!
私たちは歓喜しました。
集まるのは一瞬でした。6人が手をつないで輪になって、もう決まったよとばかりに笑い合っていました。
その時私は見てしまったのです。
津田さんがぽつんと一人でいて、こちらを見ていました。
私が誘ってくれるかと思った、そんな顔でした。思いすごいかもしれませんが。
小学校の修学旅行なんてどこで何をしたか全く100%忘れてしまいましたが、私は津田さんのあの顔だけは忘れられないのです。
私は津田さんを見ないようにして、6人グループの中に埋もれていました。
だってどうすればいいのと思っていました。
小学校6年生。
あれから50年以上、私は津田さんのことを他の仲の良かった友だち以上に思い出します。
どうすればよかったのと思っています。
津田さんを無視した罪悪感がいまだにあります。
