93歳の母を引き取る 1 ~母と歯車がかみ合わない
随分投稿の間が開いてしまいました。
書いていなかったわけではないのです。
母と私、歯車がかみ合わないということを書いては消し、書いては消しを繰り返しているうちに1週間たってしまいました。
こんな内容なのですが……。
母を車いすに乗せて歩いていたら、高齢のご婦人に、
「押してもらって、幸せね」
と言われました。
母は耳が遠いので聞こえなかったのですが、聞こえていたらこう言ったでしょう。
「押してもらって申し訳ないのよ」と。
母は私が車いすを押すと、「重いでしょ、ごめんね」と謝ってばかりいます。
そして降りたそうに降りたそうにします。
「幸せ」とは少し違うのです。
ということを書きました。
こう書くと、母と娘の愛の物語みたいになっちゃうので、それは違うんだと思ってボツにして書き直し、書き直し。
要はね、
腹が立つわけですよ。
私が。
母が異常に恐縮するのに。
私は母に満開の桜を見せてあげたかった。
なのに母は手放しでは喜ばない。
歯車がかみあわないことはまだあります。
以前書いたことがあるのですが、同居から1カ月、母はこの家に何もせずに居させてもらうのが心苦しくてしかたありません。
何かやることはないのかしらと言います。
私は何のためにいるのかしらと言います。
自分の趣味のことじゃだめなのです。
自分が楽しむという経験が、彼女にはありません。
彼女は90年間、他人に尽くして生きてきました。だからここでも何かしないと落ち着かないようです。
でもね、お母さん、
あなた、立っていられないでしょ。
認知症が進んできて、教えても全部忘れるでしょ、
と私はちょっとイラっとするんです。
母のようないい人に、いらだってしまう。そんな自分がとてもいやで落ち込んでしまう。
私は母に、自分の好きなことをして楽しんでもらいたいのに。
私が母にしてあげたいことと母がやりたいことがどうもかみ合わない。
その、なんとなくちぐはぐな同居生活を書きたかった。
ということで、今回は投稿しましたよ。
自分の思いがちゃんと書けたか不安ですが。
お読みくださりありがとうございました。
今日も今から桜を見に行きます。
母が喜んでくれるといいのですが。
