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子どものものが、どうしても捨てられない

気づけば、家の中がモノであふれている

気づけば、家の中のモノがどんどん増えています。

特に、子どものもの。

片付けても、片付けても、
またすぐに増えていく。

リビングの隅、棚の上、引き出しの中。
気づかないうちに、少しずつ、確実に増えていきます。

「そろそろ整理しないとな」と思いながら、
つい後回しにしてしまう。

そしてまた、次の“捨てられないもの”が増えていく。


小さくなった服も、捨てられない

子どもが着ていた服。

もうサイズが合わなくなって、
着ることはないとわかっているのに、捨てられません。

あのとき、この服を着ていたな。
よく転んで、よく汚していたな。
抱っこしたときの重さや、においまで思い出します。

ただの布なのに、
そこに時間が染み込んでいる気がしてしまう。

袋に入れて処分しようとしても、
結局また取り出してしまう。

そんなことを何度も繰り返しています。


「これ、パパにあげる」と言われたもの

保育園で作ってきたもの。

紙でできた何かだったり、
形がよくわからない工作だったり。

「これ、パパにあげる」と言って、
少し照れくさそうに渡してくれたもの。

正直、実用性はありません。

でも、だからこそ捨てられない。

あのときの顔や声、
一生懸命作ってくれた時間まで一緒に思い出してしまいます。


どんぐりすら、捨てられなかった

公園で拾ってきたどんぐり。

ポケットに入れて持って帰ってきて、
「見て!」と嬉しそうに見せてくれたもの。

最初は何気なくテーブルに置いていました。

でも、気づけばそれも
「捨てられないもの」になっていました。

ただのどんぐりなのに、
あの日の公園の空気まで思い出してしまいます。


モノじゃなくて、時間を手放す感覚

捨てられない理由を考えてみると、
モノそのものではない気がします。

そのモノに紐づいている時間や記憶。

それを手放してしまうような感覚があるから、
どうしても手が止まる。

たぶん、「捨てる」という行為に対して、
まだ気持ちが追いついていないのだと思います。


でも、このままだと片付かない

とはいえ、現実として
家の中はどんどんモノであふれていきます。

スペースには限りがあります。

新しいものが増えるたびに、
どこかで何かを手放さないといけない。

わかってはいるけれど、
その“どれを手放すか”が決められない。

片付けようとして、
途中で止まってしまう理由は、きっとそこにあります。


まだ、手放せないだけなのかもしれない

最近は、少しだけ考え方が変わってきました。

「捨てられない」のではなく、
「まだ手放せないだけ」なのかもしれない。

そう思うと、少しだけ気持ちが軽くなります。

無理に手放す必要はないけれど、
いつか自然に手放せる日が来るのかもしれない。


みなさんはどうしていますか?

子どものもの、どうしていますか?

気持ちを割り切って捨てていますか。
それとも、どこかに残していますか。

何かうまく付き合う方法があるなら、
ぜひ知りたいと思っています。


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