子どもがいなかった頃の自分に、会いたい
子どもがいなかった頃の自分に、会いたいと思ってしまいました。
後悔しているわけではありません。
今の暮らしが嫌なわけでもありません。
娘がいない人生に戻りたいわけでもありません。
それでも、ふと会いたくなったのです。
きっかけは、スマホの容量が足りなくなったことでした。
写真を整理しようと思って、写真フォルダをさかのぼっていきました。
運動会。
七五三。
去年の誕生日。
一昨年の誕生日。
娘の身体が、少しずつ小さくなっていきます。
ああ、こんな時期もあったな。
この頃はまだ小さかったな。
そう思いながら、指を動かしていました。
すると、あるところで急に娘が写真の中から消えました。
娘が生まれる前、空を撮った写真でした。
子どもがいなかった頃の写真
娘が生まれる前の写真は、まず枚数が少なかったです。
ひと月に数枚しかない月が、ほとんどでした。
今は、気づけば娘の写真でスマホの容量がいっぱいです。
同じような写真が何枚もあります。
少し笑った顔。
変な顔。
寝ている顔。
ごはんを食べている顔。
保育園の帰り道。
公園。
お出かけ。
何でもない日常。
でも、娘が生まれる前の写真には、それがありません。
写っているのは、本当に何でもないものばかりでした。
ピントの合っていない料理。
どこで撮ったのか思い出せない駅の階段。
夕方の空。
友達と飲みに行ったときの写真。
なんでこんなものを撮ったんだろう。
そう思いました。
でも、たぶん理由なんてなかったのだと思います。
きれいだと思ったから。
なんとなく撮りたかったから。
誰かに送るためでもなく、記録するためでもなく、ただ自分が見ていたものを撮っていた。
その頃の私には、そういう時間があったのだと思います。
戻りたいわけではない
ある写真で、指が止まりました。
居酒屋で友達と撮った写真でした。
口を開けて笑っていて、髪も少し乱れていて、たぶんそれなりに酔っていました。
写真の中の自分は、明日のことを何も考えていないような顔をしていました。
その顔を見て、少し不思議な気持ちになりました。
戻りたい。
そう思ったわけではありません。
これは本当に、戻りたいわけではないのです。
娘がいない人生を想像しようとしても、もううまく思い浮かべることができません。
夕方、保育園の門から走ってくる娘の顔がない世界。
寝る前に甘えてくる声がない家。
「パパ見て」と呼ばれない休日。
そんな毎日を、今の私はもう思い浮かべることができません。
だから、戻りたいわけではありません。
ただ、会いたいと思ったのです。
子どもがいなかった頃の自分に。
「戻りたい」と「会いたい」は違う
「戻りたい」と「会いたい」は、少し違う気がします。
戻りたい、は今を否定する言葉のように感じます。
でも会いたい、は、その人がもうここにいないことを認める言葉なのかもしれません。
私は、子どもがいなかった頃の自分に戻りたいわけではありません。
でも、あの頃の自分にはもう会えません。
時間の使い方も、お金の使い方も、休日の過ごし方も、写真に残すものも違いました。
考えていることも、心配していることも、今とはまったく違いました。
子どもが生まれて、私は父親になりました。
それはとても大きなことです。
でも、父親になったあとも、前の自分が完全に消えたわけではないと思っていました。
けれど過去の写真を見ていたら、やっぱり少しずつ遠くなっているのだと感じました。
失ったと言いにくいもの
子どもが生まれて、得たものはたくさんあります。
数えきれないくらいあります。
娘がいてくれることで、見えるようになった景色があります。
感じるようになった気持ちがあります。
知ることのできた幸せがあります。
でもその一方で、失ったものもあるのだと思います。
自由な時間。
何も考えずに出かける休日。
自分のためだけに使う夜。
ただ空がきれいだから写真を撮るような余白。
そういうものは、確かに少しずつ変わりました。
でも、子どもがいると、それを単純に「失った」とは言いにくいです。
そんなことを言うと、じゃあ子どもがいない方がよかったのか。
そう受け取られそうな気がするからです。
でも、そういう話ではありません。
全然、そうではありません。
子どもがいてくれてよかった。
それは本当に思っています。
それでも、子どもがいなかった頃の自分に会いたくなる日がある。
その二つは、同時にあってもいいのではないかと思います。
もしあの頃の自分に会えたら
もし、子どもがいなかった頃の自分に会えたら、何を話すでしょうか。
たぶん、アドバイスや小言は言いません。
「今のうちに自由を楽しんでおいた方がいいよ」
「そのうち大変になるよ」
「子どもが生まれたら全部変わるよ」
そんなことも言いたくありません。
これから先を知っている自分が、あの頃の自分に介入したくないのです。
何も知らずに笑っているなら、そのまま笑っていてほしい。
明日の予定を何も考えずにお酒を飲んでいるなら、その時間をちゃんと楽しんでいてほしい。
たぶん私は、ただ隣に座ると思います。
そして、ひとつだけ聞くと思います。
「なんで、あの空を撮ったん?」
きっとその頃の私は、
「なんとなく」
と答えると思います。
でも、その「なんとなく」が、今の私には少し眩しいのです。
今の写真は、ほとんど娘が写っている
写真フォルダを閉じました。
スマホの容量は、結局ほとんど空きませんでした。
隣の部屋から、娘の声が聞こえます。
私は立ち上がって、いつもの自分に戻ります。
ごはんを用意して、お風呂に入れて、寝る準備をして。
いつもの日常が続いていきます。
今の写真フォルダには、娘がたくさんいます。
同じような写真が何枚もあります。
同じ笑顔。
同じポーズ。
同じような寝顔。
たぶん、消してもいい写真もたくさんあります。
でも、消せません。
その一枚一枚に、その日の娘がいるからです。
そして、そこには今の私もいます。
写真には写っていなくても、撮っている私がいます。
娘を見ている私。
娘の成長を残したいと思っている私。
子どもがいなかった頃の私とは違う、今の私です。
それでも、たまに思い出したい
子どもがいなかった頃の自分に、会いたいと思ってしまった。
それは、今を後悔しているからではありません。
娘がいる毎日を、ちゃんと大切に思っています。
でも、父親になる前の自分も、確かにそこにいました。
何でもない空を撮っていた自分。
友達と何も考えずに笑っていた自分。
時間を自分のためだけに使っていた自分。
その人は、もう同じ形ではここにいません。
でも、完全にいなくなったわけでもないのだと思います。
たまに写真の中から顔を出して、
「こんな時間もあったよね」
と思い出させてくれます。
その日、遊びに行った帰り道の空が少しきれいでした。
いつもなら、娘の写真を撮るところです。
でもその日は、カメラを空に向けました。
子どもがいなかった頃の自分を、少しだけ思い出しながら。
そしてまた、家に帰って娘の写真を撮りました。
