子どもが最後に〇〇した日を、覚えていないなと思った話
子どもの「初めて」は、よく覚えているものです。
初めて寝返りした日。
初めて歩いた日。
初めてしゃべった言葉。
初めて保育園に行った日。
初めて自分で靴を履けた日。
親は、子どもの初めてに敏感です。
写真を撮ったり、動画を残したり、家族に話したりします。
「今日、こんなことができた」
「初めて〇〇した」
そうやって、子どもの成長を喜びます。
でも最近、思いました。
子どもの「最後」は、ほとんど気づけないのではないか、と。
最後は、予告なくやってくる
「初めて」は分かりやすいです。
昨日できなかったことが、今日できるようになる。
それは目に見えます。
親も気づきやすい。
嬉しいし、成長を感じます。
でも「最後」は、とても分かりにくい。
今日で終わりだとは思わないからです。
また明日もすると思っている。
また今度もあると思っている。
でも、気づいたら終わっていることがあります。
私にとって子どもを最後にベビーカーに乗せた日がそうでした。
最後にベビーカーに乗った日。
その日は、確かにあったはずです。
でも私は、その日がいつだったか覚えていません。
いつの間にか、出かけるときに使わなくなっていました。
前は当たり前のように乗せて、荷物をかけて、飲み物を置いて、眠くなったらそのまま寝かせて。
ベビーカーがあるだけで、少し安心できた時期がありました。
でも今は、歩くのが当たり前になっています。
あのベビーカーに最後に乗った日が、必ずあったはずです。
でも、その日が最後になるなんて思っていませんでした。
きっといつものように乗せて、いつものように押して、いつものように帰ってきたのだと思います。
そしてそのまま、知らないうちに終わっていました。
成長は嬉しい。でも少し寂しい
子どもが歩けるようになることは嬉しいです。
自分の足で歩く。
階段をのぼる。
少し先を走る。
「こっち行きたい」と自分で選ぶ。
親として、とても嬉しいことです。
でも、その裏側で終わっていくものもあります。
ベビーカーを押す時間。
眠った子どもの顔をのぞきこむ時間。
段差に気をつけながら歩く時間。
小さな背中を見ながら、ゆっくり進む時間。
その時は大変でした。
ベビーカーで電車に乗るのも気を使いました。
エレベーターを探すのも面倒でした。
狭い道で人とすれ違うのも大変でした。
正直、早く自分で歩いてほしいと思った日もあります。
でも、いざ終わってみると寂しい。
あれほど大変だった時間が、もう戻らないと思うと、少し胸がぎゅっとします。
子育ては、そういうことの繰り返しなのかもと思いました。
いつの間にか、親の手がいらなくなる
子どもは、少しずつ親の手を必要としなくなっていきます。
前はできなかったことが、できるようになる。
前は怖がっていたことを、平気でするようになる。
前は「やって」と言っていたことを、自分でするようになる。
嬉しいことです。
でもそのたびに、親の出番は少しずつ減っていきます。
靴を履かせること。
服を着せること。
ごはんを食べさせること。
抱き上げて移動すること。
手を引いて歩くこと。
ひとつひとつは小さなことです。
その瞬間は、むしろ大変に感じていたこともあります。
でも、なくなってから気づきます。
あれはただのお世話ではなく、親子の時間だったんだなと。
「また今度」が、来ないこともある
子どもとの時間には、つい「また今度ね」と思ってしまいます。
また今度読めばいい。
また今度遊べばいい。
また今度ゆっくり聞けばいい。
また今度写真を撮ればいい。
でも、その「また今度」が来ないこともあります。
子どもは待ってくれません。
毎日少しずつ変わっていきます。
昨日と今日の違いは小さすぎて分からないのに、1年前と比べるとまったく違う。
気づいたときには、もう終わっていることがあります。
最後にベビーカーに乗った日も、きっとそうでした。
「今日が最後」だと分かっていたら、もう少しちゃんと覚えていたかもしれません。
写真を撮ったかもしれません。
帰り道の景色を、もう少し見ていたかもしれません。
でも最後は、そんなふうに教えてくれない。
だから、知らないまま通り過ぎてしまうのです。
今この瞬間も、何かの最後かもしれない
今、娘は5歳です。
まだまだ甘えてきます。
まだまだ手もつなぎます。
まだまだ「見て」と何度も言ってきます。
でも、そのひとつひとつにも、いつか最後が来るのだと思います。
保育園までずっと手をつないで歩く日。
「パパじゃないと嫌」と言う日。
小さな石を宝物みたいに持って帰る日。
その日は、きっと普通の日の顔をしてやってきます。
私はたぶん、また気づけません。
今日が何かの最後かもしれない。
そう思うだけで、目の前の子どもの姿が少し違って見えます。
最後だと知らないから、今日を見ていたい
子どもの成長は嬉しいです。
できることが増えていく。
自分で歩いていく。
自分で選んでいく。
親から少しずつ離れていく。
それは喜ばしいことです。
でも、成長にはいつも少しだけ寂しさが混ざっています。
できるようになるということは、手伝わなくてよくなるということでもあるからです。
離れていくということは、その子が自分の世界を持ちはじめるということだからです。
親は、子どもの成長を喜びながら、終わっていく時間を少しずつ見送っているのかもしれません。
最後にベビーカーに乗った日を、私は覚えていません。
これからも、気づかないうちに終わっていくことがたくさんあると思います。
だからせめて、今日をしっかり見ていたいなと思います。
今日つないだ手。
今日聞いた話。
今日見せてくれたもの。
今日一緒に笑ったこと。
それが何かの最後だったとしても、あとから思い出したときに、
「あの時間、ちゃんとそこにいたな」
と思えるように、子どもの初めてだけでなく、知らないうちに過ぎていく最後にも、少しだけ目を向けていたいです。
